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エッセイ108:一人ひとりの心の中にある学び舎

“日々勉強する”ことは、私にとりまして一生涯の志事なのです。ある時にそう決めて、現在に至っております。その時が何時のことであったのか、実は思い出せないのですが…。
 それ以来、学び塾を始めとして私が企画し運営をする教育機会では、「勉強の目的は何でしょうか?」、「その理由は何でしょうか?」という問いかけの頻度が、かなり多くなりました。その問いかけに対する回答が何であれ、自答を持つということは、やらされ意識ではない積極的な自己動機付けに繋がってくるのです。言われなくても自主的に取組むようになるのです。さらに、そのような自律した生き方は、お互いの志が共有できている周りの方々に対して、少なからず良い影響を与えてくれます。それはパーソナルインフルエンスの世界ですね。
 「勉強の目的は何でしょうか?」、「その理由は何でしょうか?」という問いかけに対する私の考え方は、エッセイ69回(人材育成の本質を考える:2014年6月10日記)で取りあげております。
 ある予備校講師が受験生に対して、勉強の目的をこう語っていらっしゃることを知りました。
「勉強すればするほど、すてきな仲間に出会う可能性が高まります。だから勉強しましょう」と。そして、「あなたは他の人から見て、出会うに値するだけの仲間となって新しい学校に行こうとしていますか? 出会うに値する仲間として新しい企業に参入しようとしていますか?」と続きます。
 大いに共感させられました。
 今回のエッセイは、学びの大切さと要諦について、改めて呟いてみましょう。

一人ひとりの心の中にある学び舎

 成人前の薬学部2年生Sさんは、ある悩みを抱いているそうです。昨年初夏の話です。その状況から判断した私の見解、そして私のある思いを申しあげたいと思います。皆さんにも考えて頂きたいのです。
 そのSさんは、それなりの志を立てて薬学部を受験し、一昨年の春合格したそうです。入学してからの14ヵ月間、入学前の想定とは異なる環境からか、“選択ミスをしたのではないか”という不安にかられ、自分自身の将来を描けなくなっているのだそうです。その理由の一つは、入学してから学んでいる一般教養科目の面白さに目覚めたこと、もう一つはSさんが感じる同窓生との相性にありそうでした。
 どのような学部でも同じだと思いますが、入学初年度の専門科目は限られており、いわゆる一般教養科目がほとんどではないでしょうか。また、他学部、他学科の学生と机を並べて学ぶ機会があるのも、この時期の特徴かもしれません。その様な環境下で、Sさんは一般教養科目に圧倒的な興味と楽しさを覚えました。また対人関係においては、同じ薬学部生とは波長が合わないと感じているのです。挙句の果て、“薬剤師には向いていないのではないか?”、“薬学部生は薬剤師以外の選択肢はないのではないか?”というように、将来像が描けないことを悩み始めたのでした。さらに掘り下げていけば、真剣に模索し続けていくうちに、自分自身の将来を見据えることの難しさの壁が高くなってしまった、と感じているのかも知れません。
 薬学の専門的イロハを履修する前の段階で、ましてや患者と直接向き合う経験すらない成り立ての2年生の段階では、Sさんの悩みは当然の結果と言えましょう。不躾な表現になりますが、“一笑に付す”レベルであって、現時点においては何ら心配する必要性を感じないのです。
 その理由の第一は、それなりの志を抱いて薬学部に入学したことです。漠然とした憧れではなく、薬剤師の職能を理解して、ある程度の覚悟と使命感に基づいての選択だと思われるからです。
 もう一つの理由は、薬剤師としての固有専門能力修得の根幹となる一般教養科目の面白さに目覚めたことを評価したいのです。どのような職業にも相通じることですが、任務遂行と使命実現の基盤はその都度向き合うことになる種々の問題解決であるということです。その問題解決に必要な能力の拠り所の土台は共通専門能力であって、その学び舎こそが一般教養科目にあたるからです。多くの学生には見向きもされない科目なのかもしれませんが、そこに目覚めつつあるSさんを高く評価したいのです。

 ここからは、Sさんの今後についてのつぶやきを続けましょう。
 Sさんが今の問題意識を忘れずに目の前の科目を学び続け、将来像を描く難しさを承知の上で自問自答を繰り返していけば、他の誰にも左右されないSさんオリジナルの将来像は、数年後までには明らかになると確信しております。
 何故に、確信と言い切れるのでしょうか。
 理想とする将来像は、将来の職業に関する専門能力の修得進度によって様変わりします。また、キチンと向き合った現場体験、出会った先生・師匠や同窓生・同志・ライバルなど、それぞれから様々な影響を受けることになります。結局は、学年を重ねる毎に、徐々に明らかになっていくのではないでしょうか。理想とする将来像追究という問題意識が消えない限り、その都度彷徨いながらも、収斂されていくのだと思います。Sさんの場合、将来像を描くだけの土台すら積みあがっていない段階ですから、悩みの渦に巻き込まれているのです。何年か後には、選択肢の巾が拡がっていくでしょう。その時点で、改めて将来像を考えれば良いのであって、心配無用と言いたいのです。
 私が感じるSさんの強みは、学ぶことの目的、勉強の目的について、自問自答を繰り返して、その回答を見出そうとしているところにあります。それは、大学のキャンパスだけが学び舎なのではなく、Sさんの全身全霊こそが一番の学び舎であって、目の前の科目を主体的に学んだ結果、一般教養科目から圧倒的な興味と楽しみを享受しているのです。近い将来学ぶ機会が増えてくる専門科目においては、今以上の興奮を持って学ぶことになるでしょう。
 この30年間、強く感じ続けていることがあります。それは、学び舎は一人ひとりの心の中にあって、その学び舎を造るのはその人本人なのだ、ということです。主体的に自問自答する、主体的に問題を投げかける、主体的にディスカッションに興じる、主体的に意思決定する、…… 。これが、心の学び舎の運営指針なのです。Sさんからは、やり通す期待感を抱いたのでした。
 学ぶ目的は10人10色で構いません。10人10色が当然です。一人ひとりの心の学び舎で、諸課題と向き合って自己啓発し続けることが重要なのだと思います。

 今回、Sさんの重苦しい心情を想像しながら、就職活動(以下、就活)中の多くの薬学生への問いかけに対する反応度の低さが、またぞろ蘇ってきたのでした。将来像を曖昧にしたまま、“病院だ”、“調剤薬局だ”、“製薬メーカーだ”の選択をし、同業他社との比較検討も疎かのままに内定をゲットして就活を終える比率が高いという実感は、10数年前から変わることがありません。採用活動が本格化する時期になると、憂鬱な気分が染み出してきます。気がつけば、来年卒業する学生の就活がもう間近に迫ってきているのです。
 私の問いかけは、「就活のスタートは、どのような薬剤師になりたいのか、将来の薬剤師像を明らかにすること」というものです。さらに、「何故薬学部を選択したのですか」、「どのような人間を目指していますか」と続きます。そのステップを突破しない限り、薬学部六年制の意義が闊歩することはないでしょう。薬学生の姿勢を含めた就活の実態がどうであれ、そう問いかけることを使命として、負げることなく問い続ける所存です。思いの温度は冷めておりませんから…。
                                                                      (2016.1.16記)

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