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エッセイ163:失敗は“胆力強化の眠りの森”

 「見返り」という言葉があります。(ある行為に対して与えられる)報酬とか、あるいは保証という意味で考えてみたいと思います。
 周りを見渡せば、“これだけ頑張ったのに見返りが少ない”、“これっぽっちの見返りしかなかった”と不満を漏らし、“やる気が起きない”と陰口を叩く人がいます。口外しないまでも、心の中でそう呟いている人たちも含めると、ある一定の比率(それもかなりの高率)を維持しているように感じます。給料についても同じように不満を漏らす人がいます。
 ここで質問です。“給料は、会社が保証してくれるものでしょうか?”、“ 給料は、毎年アップすることが保証されているのでしょうか? ”と。あなたなら、どんな回答をされますか。
 私はこう考えます。所属企業の収入源となる製品やサービスを、これからも所属企業の顧客が選んでくれる保証が無ければ、社員に対する給料を保証することなど誰にもできないのではないでしょうか。顧客満足を追求し、顧客(広い意味ではステイク・ホルダー)から支持されなければ、会社の存続を維持することなどできないことは明らかです。ここはやはり、「給料は誰が支払うのか?」、「給料の源泉は何であるのか?」、「会社の収入、経費、利益の仕組みはどうなっているのか?」を、社員に対する基礎教育課程で明示するべきだと思います。コンプライアンス意識醸成の土台となる就業規定とともに、入社時にキチンと説明して理解させるべき重要テーマではないでしょうか。それは社員のためでもあるのです。春を迎える時期になれば、そんな思いが毎年のように過るのです。その実態を点検するのが、人事教育担当の優先度の高い任務の一つではないでしょうか。
 そんなことをフッと感じながら、今、頭の中にある問題意識を書き連ねたいと思います。

失敗は“胆力強化の眠りの森”

 “場数を踏む”という言い方があります。どのような場合に使われているのでしょうか。私自身は前向きで積極的なイメージを描いています。場数は経験の度数ですから、“場数を踏む”ことは、“多くの経験を積み重ねること”になります。行き着くところは、“積み重ねは力なり”、“継続は力なり”になりましょうか。目の前の課題から逃げないで、誠実に対処しなさいということです。課題の大小を問わず、時間を要することでもコツコツ努力を積み重ねると、気がつけば多様な能力が身についているのです。それらについては、エッセイでもE森においても、しつこい程に言い続けてきました。今回は、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
 場数と言っても、数は当然として、その内容にこそ成長の秘訣が潜んでいるとつくづく感じております。リスクテイクの精神(多くの可能性の中から一つに絞り込んで、実現のために集中して取り組むこと)で、時には難関にもチャレンジすることが、成長度を高めてくれるということです。難易度の高い関所にどれだけ挑戦したかによって、それ以降の生き方にも影響してきます。積極的なチャレンジ行動を積み重ねた結果得られるものが、“腹が据わってものに動じない気力”、いわゆる胆力ではないかと思えるのです。予期せぬ場面に接する可能性の高い医療従事者にとって、腹が据わってものに動じない気力は、その任務からして優先度の高い基礎能力だと実感しています。
 度胸や肝っ玉とも言い換えられるこの胆力は、一朝一夕で身につくものではありません。場数を踏むこと、つまりは目の前のこととキチンと向き合って、失敗を恐れないで果敢にチャレンジすることを積み重ねて育まれるのだと思います。それだけが胆力を身に付ける王道なのではないでしょうか。“失敗を恐れないで”と申しあげましたが、チャレンジ回数が多くなれば、失敗事例も積み重なってきます。しかし、それで足を止めては元の木阿弥、ここは楽観的な行動理論を貫くことです。例えば、「継続は力なり」、「一所懸命取り組んだ結果の失敗から教わったことが、いつの日にか、私の地力、底力として蓄積されていくのだ」というように…… 。
 失敗に関して、私はこのように考えています。
 失敗は“胆力強化の眠りの森”だということです。失敗をそのまま放っておけば、何事も躊躇したまま先送りする、臆病風に吹かれて諦めてしまう、現状維持で満足する、そんな症状が慢性化するでしょう。現状維持は後退を意味します。さらに、ほどほど意識が闊歩して鈍感さが支配し始めます。そんな病状は自力で追い払わなければ、先行きに明かりを点すことなどできません。眠りから覚醒させるためには、唯一PDCAサイクルを回すことです。“同じ轍を踏んでなるものか。同じ失敗の繰り返しは許さない”という目標必達魂で、失敗の原因を追求することしかありません。キチンと向き合って追求すれば、どう対処すれば失敗しないかが分かってきます。気がつけば新たな引き出しが増えているのです。それが地力・底力の蓄積であり、胆力強化を促してくれるのです。失敗から学ぶとは、そういうことだと思います。それにしても、失敗から学ぶということが、どれだけ行われているのでしょうか。私には置き去りにされているとしか思えません。このことに関しては、機会を改めて考えてみたいと思います。

 ここからは、場数を積み重ねることで得られる化学反応とその結晶(=成果、業績)について、私の体験を紹介したいと思います。
 それまで解決できなかったような難題にぶつかって、何とかしようと試行錯誤を繰り返す中で、それまで身につけたバラバラの知識が反応し合ったり、思わぬ形で結びついたりしながら、目の前の難題が解決したという体験に出会った時のことを思い出しております。その様な感覚を自覚できるようになったのは、40歳代半ばを過ぎた頃でした。それは、新たな知恵が結晶化されたような、何とも不可思議な感覚でした。そんなことが徐々に積み重なると、難題と感じる課題数が減ってくるのです。さらに、私に対する周囲の見る目が変わってきました。何かと相談されること、“教えてください”と懇願されることが多くなりました。
 そんな私ですが、40歳になっても、先行きを見極められるような眼力や知恵を持ち合わせていませんでした。とにかく、目の前の課題を解決することで精一杯だったのです。週休2日制導入が議論され始めた時代ですが、就労時間は1日14時間前後だったと思います。不本意ながら、そのような毎日を何年も続けました。しかし、ある時、思い描いた結果に到達する頻度が多くなっていることに気づいたのです。それが40歳代半ば過ぎだったと思います。それからは、私に何ができるのか、どのようなことで会社や社会に貢献できるのか、私は何をやりたいのか、そんなことが見えてくるようになりました。40何年間も続いた消極的な行動姿勢に、大きな変化が芽生えた時期でもありました。今にして思えば、そこからが私の新たな人生のスタートだったと思います。いつの間にか、「行き着いたのは“積み重ねは力なり”、“継続は力なり”」という表現を使うようになりました。時を同じくして出会ったのが、「人間は幾つになっても、自分の知らないことがあることぐらい、知っていなければいけませんね」という作家堀切和雅さんの著作のあとがきでした。そんな行動理論をプラットフォームとした生涯学習を心がけるようになりました。そして、今年の強調テーマのきっかけになったのです。
失敗から学ぶことは、自分自身の甘えとの闘いになります。克服は容易ではありません。しかし、乗り越えなければ、その場で安住するしかありません。結局は、一人ひとりの生き方の選択になります。エッセイで表明した生き方を、これからも地道に実践したいと思います。

「人間どれだけ年を重ねても、自分の知らないことがイッパイあることを、しっかり自覚しておかなければいけませんネ。その上で、日々謙虚に真摯に学ばなければいけません。学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから」

 そんな私の精神的支柱の一つが、最近知った山中教授(現・京都大学iPS細胞研究所所長)のプロフェッショナル論になります。
『自分が何も分かっていないということを分っていること。そして、それを乗り越えるように、ず~っと努力ができること。それがプロだと思っています』
                                                 (2018.5.1記)

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