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エッセイ197:好きこそ物の上手なれ

 新聞の切抜き記事が目の前にあります。2019年1月30日(水)付の朝日新聞です。15面オピニオン&フォーラムには、経済同友会代表幹事小林喜光氏のインタビュー記事が掲載されています。タイトルは“敗北日本生き残れるか”で、二つの見出し(技術は米中が席巻・激変に立ち遅れ・挫折の自覚ない/財界は権威失う・異文化と接し進取の気性培え)が、かなり気になりました。その中に、“茹でガエル状態”という表現が出てきます。4年半前のエッセイで、同じように“茹でガエル現象”という危機感をブツブツと呟きました。その時のことを思い返しながら、平成の時代は「茹でガエル状態」に気づかない鈍感な30年間ではなかったのか、そんな気もしています。心ある有識者たちが問題提起すれども、悲しいかな、重要な事案が先送りされて現在に至っているように思います。かといって、あまり悲観的過ぎないように、しかし思考停止には決して陥らないよう気をつけております。
 そんな中、何人もの方々から勇気を頂戴することがあります。最近では、前回のE森で取りあげましたスポーツ選手たちです。閉塞した世界情勢の中で、大怪我と向き合い、或いは重圧と対峙して、それぞれのビジョン実現のために敢然と立ち向かっているのです。三者三様のセルフコントロールとセルフマネジメントで対自競争しながら、内発的モチベーションを高めているのだと感じています。私ごときの想像力では、とてもじゃありませんがコメントなどできません。ただ言えることは、それぞれの競技が「大好き」だということではないでしょうか。平昌五輪後の羽生選手のドキュメント番組(大怪我から五輪2連覇までのプロセス)、2018年MLB閉幕後の大谷選手のドキュメント番組を拝聴して、使命感の強さと素直なサービス精神は当然として、「この二人は、心の底からスケートが大好きなんだ。野球が大好きなんだ」と感じ入りました。
今回は、どなたもご存知のことわざを取りあげてみます。前々回のエッセイ195回の続編的内容になりそうです。

好きこそ物の上手なれ

 好きなことであれば、率先して自ら学び、誰に言われるまでもなく熱心に取り組み、考えては工夫を繰り返します。だから、スキルの上達が早いのでしょう。“好きこそ物の上手なれ”は、概ねそんな意味だと思います。
もう少し掘り下げてみれば、“対他競争や他律要因には目もくれず、自分自身をセルフコントロールし、モチベーションを保ちながら、目標を達成するまでセルフマネジメントする”、そんな考動習慣を当たり前に実践している人を評することわざではないでしょうか。
 何事も、好きであれば、自律性・自主性が保たれており、やらされ意識は芽生えることがありません。小学生の時、ある遊びに夢中になって、日が暮れても続けていたことを思い出します。仕事でも、時間を忘れて没頭したこともありました。例え誰かに指示されたことであっても、好きなことであれば、仕方なくイヤイヤやらされている感覚にはなりません。好きということが、何事においても取組み意欲をしっかりと支えてくれているのです。

 「勉強は好きですか?学ぶことは好きですか? …… 」。
 この問いかけは、私が薬学生や若手薬剤師に対する最近の質問の中でも、間違いなくベスト3に入ります。その回答をもとに、私の考えを織り交ぜながら応答の対話を繰り返します。質問、そして対話の目的は、学ぶことが好きになって欲しいからです。学ぶことが好きでなければ、仕事が楽しく、面白いと感じるようにはなりません。自主性をもって前向きに取り組むことは難しいと思います。
 国家資格である薬剤師の任務を果たすためには、自主的に、日々アップデートされる専門知識を学ぶことが大前提です。そのプロセスは、薬剤師である限り、延々と続いていくのです。シンプルに考えて、学ぶことが好きでなければ、掘り下げた勉強は極力避けるでしょう。勉強し続けなければ能力アップは望めません。不勉強の状態では、患者を始めとして、生活者、仕事仲間、同僚から評価されないばかりか、自分自身の居場所すら危うくなります。好きだから面白くなり、面白いから追究し、そこから新たな着眼点が見つかり、能力のスパイラルアップが図られていくのです。身近なところでは、大好きな趣味を思い起こせば納得できるでしょう。
 何度も申しあげますが、問いかける目的は、学ぶことが好きになって欲しいからです。この20数年間、“好きです”と明るく言ってくれた人に出会った記憶は、極々限られています。多くの方が、何か怪訝そうな表情で、言い出しにくそうな表情で、ぼそっと「… 好きではありません」、「ウ~ン、… 嫌い … 」という感じで話されます。思ってもみなかった質問、本音をどこまで明らかにしたらいいのか迷う質問に、戸惑っての回答なのかもしれません。これ一つとってみても、薬剤師の任務の重さを鑑みれば、危機感の薄い茹でガエルを思い出してしまいます。
 一方、現状がどうであれ、“なぜそうなのか?”という本質的側面を置き去りにしては思考停止と同じことになります。また、私の考え方を押しつけてもいけません。共に考える姿勢で、その要因を明らかにするプロセスが大事であり、対話しながら掘り下げるようにしております。

 人生目的が曖昧なことが、本質的要因の一つと考えられます。どのような事情や他律要因があろうとも、この世に生を享けた人間として、私はどう生きるかという人生観を明らかにすることは義務だと思います。その行為から逃げてはいけません。そうすることで、健全な判断力が養われます。無知の知であることが自覚できて、そこから学ぶことの意義が見えてきます。学んだことを活かしていけば、さらに学ぶことが楽しくなります。好きになると思うのです。これは私の経験則です。
 もう一つの要因は、自分自身のなりたい理想像作りが疎かになっていることも考えられます。ビジョン、身近な目標も、漠然としている感じがします。そのように感じる理由は様々でしょうが、その多くは他律要因であって、やはり茹でガエル現象を思い出してしまいます。甘えるな、と言いたくもなります。他人から言われてやる“やらされ感”の原因は、自分自身の心の中にあります。これだけは、自分自身で意思決定しなければいけません。自分を変えられるのは、自分しかいないのです。
 最後に、私の思いをはっきりと伝えています。薬剤師の任務を果たすためには、あなた自身が楽しみながら生き甲斐を感じるライクワーク&ライトワークにすることです。だから、「仕事を好きになってください。誰はばかることなく“大好き”と公言する人になりましょう。そうなれば、学ぶことが楽しくなります。笑顔の輪が拡がります」と結んでいます。

 超有名な前文の選手たちは、“好きこそ物の上手なれ”の申し子だと思います。天賦の才能を具えた別世界の人かもしれませんが、身近な私たちの周りにも、同じような申し子がいらっしゃいます。目立たないけれども、コツコツ努力している達人がいらっしゃいます。その人たちは、日々の仕事が大好きです。楽しんで仕事に励んでいます。どうしたら好きになれるか、その方途は十人十色でしょうが、自主性・自律性が共通の土台だと思います。
                                                    (2019.9.3記)

【参考】エッセイ84回:学生と社会人との大きな違いの一つ(2015.1.19記)より
 “茹で蛙現象”に陥るな! 
 この警句をご存知の方は、かなり多いのではないでしょうか。先ず、茹で蛙現象の復習をしましょう。
ここに二匹の蛙がいます。一匹の蛙を水の入った鍋に入れます。その鍋を徐々に温めていくと、その蛙は水温の上昇に気づかないまま良い気分になり、やがて沸騰したお湯の中で死んでしまいます。二匹目の蛙は、最初から沸騰した鍋に入れました。二匹目は驚いて、直ちに跳びはねて鍋から脱出をしました。ただし、この二匹の蛙の比較現象は、科学的な実験結果ではなく、疑似科学的な作り話として広まった、というのが事実のようです。
 この茹で蛙現象は、ビジネスセミナーや管理者研修などにおいて、今でも引用されることの多い警句の一つだそうです。会社も組織も人間も、ゆるやかな経営環境の変化に気づきにくく、気がついた時には致命的な状況に陥っていることへの警鐘として使われています。そのことは、経営環境への適応こそが生き残りの重要な条件であることを示唆しています。そして、気づかないまま陥ってしまうマンネリ化に対する、さらに知らず知らずに進行してしまうぬるま湯体質に対する、それはそれは強烈な目覚ましパンチなのだ、と受け止めております。

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