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エッセイ81:気づかない思考停止の当り前化が心配で

 対象が新社会人であれ、新任管理者や中堅社員であれ、基礎教育における教育ニーズの多くは、千載不易の側面が多いように感じています。だからと言って、毎年同じやり方でお茶を濁していてはプロ失格です。私の場合、最低年1回の見直しを欠かしたことはありませんから、教材の改訂は小まめに行っております。
 中には、20数年間使い続けている教材があります。同じカリキュラムの同じ教材であっても、重要ポイント、マーカーする箇所、特に意識して実行することを奨励したい項目などは、毎年教材研究を欠かさずに見直しております。ストーリーや言い方、進め方も、一から練り直します。そうすることは、ある時から決意をした私の仕事観であり倫理観なのです
 2年前から、いくつかのカリキュラムを抜粋して、保存している20年前、10年前、5年前のMY虎の巻の比較を敢行してみました。同じ教材でも、進め方、ストーリー、表現方法、補足教材などが、どのような変遷をしているのか、不易部分はどこなのか、・・・ に興味を抱いたからです。
 ねらいやストーリーの骨格は不変でしたが、使う言葉の変化はありました。強調ポイントには、明らかな変化がありました。進め方も同様です。「プレゼンテーションの基本」という2時間のカリキュラムでも、ICT技術の急速な進展は、コミュニケーション能力の教育課題に対して多大な影響を及ぼしているのが分かります。補足資料が変わっているのです。強調したい文言や繰り返して方向づけする箇所にも、かなりの変化がありました。20年前までは当り前の行動様式であったFace to Faceの意義や、基本的な能力強化策を強調しなくてはならない場面も増えています。

 教育機会における不易流行を意識しながら、見直しすることが学びそのものであって、そこから新たな見方や考え方、捉え方を発見することがあります。継続して学び続けことが、自力でコントロールできる数少ない成長手段であることに気づかされます。

 今回のエッセイは、以前も取りあげました思考停止について、もう少し考えたいと思います。

気づかない思考停止の当り前化が心配で…

 前文で申しあげましたが、ICT技術の急速な進展は、コミュニケーション能力の教育課題に多大な影響を及ぼしています。教育課題の捉え方が多様化しているようにも思います。何しろ、知りたい情報があれば、その多くがその場で入手可能になりました。ツールさえ手許にあれば、誰もが手軽に検索をして入手できる便利な時代になったのです。
 情報量も情報入手速度も、10年前とは明らかに異なります。20年前とは隔世の感があります。私自身その恩恵を受けている身ではありますが、心の片隅でボソッと、それも無意識につぶやいていることがあります。日常茶飯事とは申しませんが、諦念感を伴った習慣化された心配事になっているのでしょう。
 私のICTツールはデスクトップ型パソコンです。知りたいことや確認したいことがあれば、パソコン上の検索画面を開き、検索窓口に知りたい情報に関するキーワードを入力するだけで、選択に困るほどの既存情報が表示されます。その中から、不確かな選択基準の下、“これならば信用できそう”と判断した情報にカーソルを合わせてクリックをします。
 多忙で余裕のない時には、その内容をほとんど百%正しいと信じて、解ったつもりになっている自分の姿を見る時があります。時間的精神的余裕があると、そんな自分自身にゾッとする時があります。私以外の方々に同様のケースを感じた時には、末恐ろしくなった時もありました。
 そんな危機感を覚えた時には、何かの本で読んだ問いかけを起動するように、私の脳内リスク監視システムにセットしております。

「クリックしただけで“わかったつもり”になってはいませんか?」という問題提起です。
 この“わかったつもり”ということを、“情報入手=理解という思い違い”のことではないか、と解釈しております。表現を変えると、いわゆる思考停止状態を指します。
 この思考停止状態、かなり蔓延していると感じております。20年前には当り前に行われていたディスカッション(討議)が、教育手段として強調されていることも一因です。
 さらに心配していることがあります。思考停止状態に気づいていないことです。それは知らず知らずの内に思考停止を容認しているマネジメントや教育機会が増殖しているのではないか、という私なりの心配にまで発展しているのです。そのことは、思考停止状態が及ぼすであろう将来の負の遺産に対する危機意識へとつながっています。
 考えること、掘り下げること、組み立てること、追究すること、…… 。最近、とみに申しあげる機会の多い問題解決の思考プロセス”は、科学者の一員である薬剤師にとって必須の行動習慣でなければなりません。思考習慣であって欲しいと思い続けております。
 考える力は、一歩踏み出す行動力であり、“迷う”ということは考えている証左になります。
 進展し続けているICT化による手軽さや便利さの恩恵を、否定したり避けて通ることは出来ませんし、するべきことでもありません。情報ソースを探す、欲しい情報に触れる、地球の裏側の出来事がリアルタイムに分かる … 。現在のICTツールは、知るきっかけとしての優秀な手段であることに変わりありません。しかし、そっくりそのまま鵜呑みにするのではなく、それぞれのツールや手段の長所、短所を理解して、自分の頭で思考しながら活用することです。ネット情報を活用する時には、複数の情報を調べて、その内容を突き合わせて一度は自分の頭で考える行動習慣を身につけて欲しいと思います。
 それにしても、健康食品、化粧品、トイレタリー商品…、数多くの謳い文句がネット上を支配しています。消費者による絶賛の声を尻目に、“ホンマかいな?”と高を括っております。
 アンチエイジングは、アンチ思考停止がナンバーワン&オンリーワン!
 ここ数年、つくづく感じていることを取りあげました。
                                                                (2014.11.9記)

エッセイ80:目の前の事とキチンと向き合うためのメモ

 師走を意識し始めた平成26年11月半ばのことでした。
 受講者の年齢や職務経験に関係なく、その時々の状態で即応できるような教材や資料作成を始めたのがいつ頃であったのか、何故そうしようとしたのか、四半世紀以上も前のことを思い起こしていたのでした。
 専任教育担当を拝命して、その職務遂行に自信が持てなかった時期であったことに間違いはないでしょう。40歳前後から40歳代半ばまでの6、7年間は、脇目もふらずに、指示されたことに対して精一杯対処していた時期でした。指示されたことしか、目に入らない状態の時期でした。
 特に、研修担当者として社員の前に立つ時には、“受講者からの質問の回答に窮してしまわないか … ”、そんなことが気になって、常に大きなストレスを感じながら落ち着かない心境の期間が続きました。集合教育機会が多かったこともあって、この状態では心身ともにもたないと思いつめた時期でもありました。一方、弱気虫は自助努力を蝕むと言い聞かせて、折れそうなプライドを支えようともしました。その僅かばかりのプライドが、ある時、あるヒントを呟いてくれたのでした。確たる自信はありませんが、そう信じています。

その日一日を振り返って、君が必要と考えた君自身のための教材集を作成してみないか。それがダメであったなら、その時に考え直してみればいいのではないか!」と。

 その呟きがきっかけとなって、その都度必要と感じた教材作り、資料作りに励むようになりました。どのような質問がきたとしても私の見解を回答できるようにするための問答集、その都度感じられる教育ニーズ解決のための日々の行動指針例、必要に迫られて作成した教材、… 目の前の課題解決のために、手当たり次第に作りまくったのでした。行き当たりばったりの毎日であったことでしょう。その当時、ワープロ技術を持ち合わせておりませんでしたから、手書き原稿を作っては、部下にワープロでの清書をお願いしました。そんな記憶も蘇ってきます。
 その癖は、将来必要となるであろうと想定した教育課題にまで発展していきました。想定した教育課題を解決するための新カリキュラムの企画立案です。この一年は、薬局長などの中間管理者向けの人材育成を主テーマとした基礎教育のカリキュラムを、試行錯誤を繰返して、考えて、掘り下げて、組み立てております。
 教材集を作り始めた頃に作成したものの一つに、『メモ習慣化の効用』(A4版1頁)というタイトルの教材があります。現在でも活用しております。メモする習慣が身についていないビジネスパーソンが多いからでしょうか。
 今回のエッセイは、最近気づいた私流のメモ効用をつぶやいてみたいと思います。効用というよりも、私の作法という表現の方がピッタリくるのですが …… 。

目の前の事とキチンと向き合うためのメモ

 “常に”ではありませんが、複数の仕事や課題が重なってしまって、かなりの時間を要すると判断した場合、その仕事や課題の一覧表をメモ風に書き出して貼り出すことにしております。メモの内容は、仕事・課題の名称、納期、優先順位などです。仕事・課題の名称は、MYメモですから私が理解できる範囲の略称で表記しております。
 作成のきっかけは、メモランダムの日本語訳である備忘録だったのかもしれませんが、それ以上に“取りこぼし絶対防止という目標必達魂を、自分自身に言い聞かせるのだ”という意思表示でした。そう決め付けて、一人悦に入って実行していた時期もありました。
この作法、最初にやり始めて以降、当り前の躾として習慣化されてしまったようです。当たり前のことですから、いつでも自然体で行なっております。
 
 ある時、パソコンに貼っていたメモを眺めながら、ふと頭をかすめたことがあります。この数年間の口癖の中でも、使う頻度の多い部類に属する口癖があります。
「先ず、目の前のことにキチンと向き合いなさい」が、それです。
 メモを眺めながら、「そうか、このメモはキチンと向き合うための意思表示なのだ」、そう思えてきたのです。
 私の仕事&課題一覧表は、目の前にある仕事をキチンと遂行する、キチンと課題を解決するのだという責任感の意思表示になっているのです。最近になってそう思えるようになったのです。

 60歳も半ばを過ぎたあたりからでしょうか。こんなことが増えたように思います。
あの時の、あの人の、あの行動は、あの意見や言動は、そういうことだったのか。…… 」
 時空を超えて分かることがあるのです。そう認識できることが増えてきたのです。それだけ、様々な経験を積み、謙虚に振り返っている結果なのでしょうか。
 私の仕事&課題一覧表作成理由も、時空を超えて気づいた『メモ習慣化の効用』の主要な一つになりました。

                                                                (2014.11.21記)

エッセイ79:「五ナイ」精神は“アオイクマ”

 明けましておめでとうございます。平成27年が幕を開けました。
 これからも、目の前の課題と向き合って、精一杯取り組む所存です。私のエッセイでは、日常生活や体験を通して気づいたことを中心に、そこから何らかの問題を投げかけ続けたいと考えております。倦まず弛まずの姿勢を堅持しながら……。本年も、宜しくお願い申しあげます。

 年初のエッセイは、五ナイ精神という私にとっての自戒精神について考えてみます。
 部下を持つ管理者向けの未活用の教材があります。1988年(平成元年)に作成しました、新任営業マネジャー教育用の教材兼手引き(マニュアル)です。所属組織で中堅クラスになった学び塾メンバーや、なかた塾の薬局長向けに手直しをしております。その教材兼手引き、『なんてったってアイドルになる具体的17ヵ条』と名付けました。
 その17ヵ条の各条文には、私の当時の未熟な心情や感情が反映されています。その時点では気づいていませんでしたが、20数年を経て、より客観的な眼で観察すれば、掲げた条文内容の原点や経緯が見えてくるのです。その原点や経緯については、別の機会に譲ることとして、その第13条を取りあげてみます。当時受講したマネジャー研修で学んだ精神と記憶しております。

「五ナイ」精神は“アオイクマ”

 先ず、手直ししました第13条をそのまま紹介しましょう。

第13条:顧客に対して「五ナイ」精神で接している人
 薬局長の頭痛のタネに、患者様やその他の顧客からのクレームがあります。例え、当方に落度が無かったとしても、苦情や抗議を受けることもあるでしょう。電話の場合には、相手の方の顔や姿勢が見えないだけに、ついつい言葉遣いや対応姿勢が粗雑になってしまう可能性も出てきます。
 そのような時に、一人ひとりが、冷静になって考えて頂きたいことがあります。考え直して頂きたいとことがあります。それは、「私たちの使命は何でしたか?」、「私たちの仕事の原点は何でしょうか?」という問いかけです。
 私たちの使命は、我が社の、私たちの仕事上のステイクホルダーに喜んで頂くことです。その上で、永続的な繁栄を実現し続けることではないでしょうか。頭痛のタネである苦情や抗議のクレームにこそ、喜んで頂くための大きなヒントが潜んでいる気がするのです。
 そこで、対人関係の鉄則とも言える「五ナイ精神」の出番です。五ナイの頭文字をとって、「アオイクマ(青い熊)」と呼んでみましょうか。

   焦らナイ/怒らナイ/威張らナイ/腐らナイ/負けナイ

 五ナイ精神は、私の自戒精神でもあります。当時、私自身に言い聞かせたのは、“負けナイ”、“腐らナイ”、そして“焦らナイ”でした。
 そして、このようなメモも残しております。どなたの言葉かは不明ですが、当時の私を支えてくれた言葉です。

  我、決してあせらず、くさらず、辛抱して平凡なことをやり続ける。
  我、不都合を人に押しつけない。相手の身になって、当り前のことをやり続ける。
  これ誠実なり。

 アオイクマは状況に応じた解釈が求められます。まだまだ未熟ではありますが、その奥が少しは見えてきたように思います。

                                                     (2015.1.5記)

エッセイ78:歴史から学ぶ人でありたい

歴史から学ぶ人でありたい

 ジャンルを問いませんが、史実を改めて調べ直したり、関連づけて考え直してすると、それまで気にも留めずに素通りしていた事柄が反転して、大いなる興味へと変わることがあります。新たな想像の世界に引き込まれるように。
 いわゆるクラシック音楽の世界の話になります。名だたる名曲の初演日を時系列で並べてみると、“あの曲とあの曲は、同じ時代に作られた曲だったのか”という驚きに出会うことがあります。
楽聖といえばベートーベンですが、最後の大作である交響曲第九番ニ短調作品125「合唱」の初演は、200年近く前まで遡ります。1824年5月のことでした。それから6年後の1830年12月に、フランスの作曲家ベルリオーズの幻想交響曲が初演されました。楽聖の死の3年後になります。現在では標題音楽の最初の傑作と評される曲ですが、当時としては最も前衛的な音楽だったそうです。
 最近、そのような事実に気づかされながら、型を重んじていた時代に作られた、形式も雰囲気も異なるシンフォニーの曲作りのきっかけは何であったのか、動機付けの要因は何であったのか、大いに興味をそそられます。
 さらに、唱歌や童謡などの子どもの歌について、それらの歴史を知る機会がありました。
 8月下旬、ある音楽会を聴きに上京しました。全国大学音楽教育学会関東地区学会主催の「うたと映像でつづる日本の子どもの歌140年歩みコンサート」です。私の大学時代の部活(東京薬科大学合唱団)の恩師が企画構成し、司会まで務めた2時間のコンサートでした。
 140年の歩みとは、子どもの歌の歴史そのものです。その歴史にはその時々の世情が深く絡まりあっていることを知りました。日本における国情やその時代背景などでしょうか。幾重にも連なる壁を乗り越えて現在があることを認識することで、今まで意識もしていなかった側面が見えてくるのです。畏敬の念を禁じえません。

 何かの本からだったでしょうか、「歴史を学ぶ人でありたい」というアドバイスを頂戴したことがあります。現在を結果と置き換えれば、結果の原因は過去にあります。過去のプロセスの中に主因が存在します。現在は過去の歴史があっての産物と言えそうです。
 ただし、気をつけて学ばなければなりません。同じ人物、出来事でも、諸説が存在することです。何が真実であったのか、その見極めが難しい場合があるのです。学ぶことは当然として、そのまま鵜吞みにして信じてしまい、思考停止で終わらぬようにしなければなりません。
 学びの教材は、その気になれば彼方此方に存在しています。そのようなことを気づかせてくれた平成26年の夏でした。

                                                                (2014.10.20記)

エッセイ77:つぶやきエッセイを生涯のライフワークに!

つぶやきエッセイを生涯のライフワークに!

 私が企画し運営する全ての教育機会(以下、いのうえ塾)では、今でも育て続けている定番カリキュラムがあります。その一つが、当日或いは翌日に、その日一日(或いは前日)の振り返りをすることです。時間の許す限りという条件付きではありますが、反復することで要点を刻み込んで確実なものにしておきたいのです。一ヵ月後に同じ質問をされても、即答できるレベルにしておきたいからです。
 振り返ることの目的や重要性は、つぶやきエッセイで何度か取りあげております。直近では、エッセイ74回「振り返ることは、心を耕すこと」にて、掘り下げた見解を申しあげております。

 振り返りの時間帯は、その日の予定カリキュラムが始まる前の時間帯が多いですね。時間確保がし易いという理由もありますが、大切なことは別のところにあります。それは、前日まで学んできた内容と当日のカリキュラムの関連性を理解してもらうことです。それは自発的動機付けを高める導火線にもなります。その日の終礼後や昼食後のスタート時に組み入れる場合もあります。
 日によって異なりますが、振り返りは40分から60分の範囲で企画しております。現実には、メインカリキュラムの進行状況によって変わりますから、内容の優先順位を決めて進めていきます。その時間帯は、ホームルーム(以下、HR)という呼び方にしております。
 HRで取りあげるテーマの中では、「初志」、「行動理論(心構え)」、「○○観(考え方)」、「行動姿勢(行動姿勢)」に関する内容が、かなりのウェイトを占めています。それも、私自身の考え方、先哲の考え方を、噛み砕いて紹介します。さらに問題提起をしながら、一人ひとりに考えて意思決定する進め方にしております。日々の取組姿勢によっては、褒めることもありますし、叱る場合だってあります。
 もう一つ重要なテーマがあります。前日(または前回)学んだ要点や着眼点の復習と理解度確認です。復習内容は、事前に伝えておく場合もあります。研修で大切なことは、重要な点を理解することであり、何が何でも覚え切ることです。回答するまでに時間を要する人には、自助力の無さを恥かしいと感じて頂く時間帯にもなります。
 1週間以上にわたる研修、年間を通した“いのうえ塾”の場合は、HRは必須の定番カリキュラムです。定番化している根拠を問われても、確たる回答を持ち合わせておりません。強いてあげれば、30年間の試行錯誤の上での経験則としか言いようがありません。

 定番カリキュラムには、“MY(マイ)新聞”や“同期の歌”などの個性を表現できる自主制作ものもあります。その中のMY新聞について紹介したいと思います。
 中学生時代に作成経験された方が多いようですね。B4判の自作新聞がMY新聞です。平成元年の新卒新入社員研修から始めました。一番の目的は、時間の経過とともに、心の押入れにしまいこまれる運命の「初志」を忘れないためです。忘れないというより、現実に流されて萎んでしまいがちの大志を、年に一度は思い出して自己動機付けしてステップアップして欲しいからです。
 初代MY新聞の作者は、50歳目前の年代になりました。本人にとって、MY新聞の価値はいかばかりなのか、確認してみたくなりました。いや、私の自己満足に過ぎないのか、私の想い違いなのか、見極める責任を感じております。

 さて、あと五日寝ると68回目のMY誕生日になります。
 何とか続けてこられましたつぶやきエッセイを、生涯のライフワークにしたいと思います。“納得できる内容が表現できるまで”という条件つきではありますが、数日前に決めました。
 今回のエッセイは、私のつぶやき宣言でした。

                                                      (2014.10.2記)

エッセイ76:エッセイは内省のつぶやき

 詩人の茨木のり子さん(故人)は、東邦大学薬学部を卒業されました。薬学を学んだ私にとりましては、大先輩にあたります。
 感銘を受けた詩がいくつかあります。初めて出会った「自分の感受性くらい」の一行一行は、私の甘ったれていた心に突き刺ささりました。その記憶は、今でも消すことが出来ないほどです。
 “みずから水やりを怠っておいて”、“しなやかさを失ったのは どちらなのか”、“なにもかも下手だったのは わたくし”、ダメ押しは“そもそもが ひよわな志にすぎなかった”と。
 そして、“駄目なことの一切を 時代のせいにするな”、締めは“自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ”なのです。
ぐうの音も出ませんでした。ぐうの音も出せないような時期に出会った詩でした。

 それ以来、傲慢さが表面化した時、弱気虫が顔を出してやり過ごそうとした時、必ず意識させられる存在になりました。
 そうなってからは、仕事でも、日常の私的行動や言動でも、例え1秒しか時間が取れなくても、事の節目節目で、客観的に内省することを、心がけて実行するようになりました。数年を経て内省行為が躾化されてからは、振り返ることの重要性を、つくづく思い知るようになりました。
 一番の賜りものは、多くの事象に自然体で対処できるようになったことかもしれません。振り返って考えてみれば、9年半前にスタートした“採用担当者のつぶやきエッセイ”は、そのような心境の変遷の中で育まれてきたように思います。

エッセイは内省のつぶやき

 2005年4月にスタートしたつぶやきエッセイは、気がつけば354編になりました。200編までは、回数を目標につぶやきました。回数を意識し過ぎますと、どうしても内容が粗雑になりがちです。内容はダブらないよう、かなり気を配りました。

 150編を越えたあたりから、それまでの自分自身の行動や言動を振り返っていることに気づき始めました。振り返るたびに、自分自身の至らなさが明らかになるのです。問題を提起したり、その方途を投げかけようとすれば、他人事では前に進まないことにも気づかされるのです。
ま た、綺麗にまとめあげることに気を配り過ぎますと、他律要因を持ち出しては言い訳してしまうこともありました。

 三年前の250編前後からは、私自身の内省を土台にしてつぶやくことにしました。至らなかった自分、至らない自分を素直に認めて、そこを出発点として対処法を導き出すことを心がけるようになりました
 この数年間は、エッセイを続けるプレッシャー(マイナスのストレス)を感じることは無くなりました。ありのままの姿で、等身大でつぶやくことが出来るようになったのでしょうか。
 目標必達魂は忘れずに、少しの緊張感と余裕を持ち続けて、目の前の志事と誠実に向き合っていく所存です。振り返ることは、決して後ろ向きな行動ではありません。内省することを、将来ビジョンを描くための前向きな振り返りとして機能させれば良いのです。

 ※ 当ホームページのエッセイは、354編の中から選んだものを加筆修正して掲載しております。

                                                   (2014.9.11記)

エッセイ75:教育機会におけるオリエンテーションの重要性

 7月下旬、薬学生10名を対象とした「東日本大震災から学び考える“これからの薬剤師のあり方”」というタイトルのプロジェクトが開催されました。
 運営スタッフの一員として、初日の90分間のオリエンテーション(以下、オリエン)を担当いたしました。
 今回のエッセイは、薬学生に話した“今回のオリエンを私が担当した理由”と、“オリエンの重要性は?”などを中心に、教育機会におけるオリエンの重要性をつぶやいてみましょう。

教育機会におけるオリエンテーションの重要性

 私が担当するオリエンに90分もの時間をかけることには、ハッキリとした理由があるからです。
 今回の場合は、このプロジェクトの目的と目標の達成を前提として、参加する薬学生全員の自発的やる気を引き出し、自主性を高めて取り組んで頂くことが一番の眼目になります。
 具体的には「目的(背景、理由)」、「目指す目標」、「目標実現のための心構え、行動指針」の相互理解のために、90分という時間資源がどうしても必要となるのです。現実の教育機会に眼を向けますと、参加者の自発的やる気を高めるためのあり方に、大きな問題意識と危機感を抱いておりました。

 今プロジェクトの参加メンバーは、面識の無い方がほとんどでしたから、私の自己紹介からスタートといたしました。この段階では、私の話しに興味を抱き、もっと聴きたい、と思って頂くことが重要課題となります。過去30年間の失敗経験をもとに、親近感を意識して臨みました。
 自己紹介のあとは、教員ではない私が講義する理由を、率直に申しあげました。その時の内容を、全てご紹介させて頂きます。

『私は30年近く、いくつかの異なる業種の会社で、人事教育の仕事に従事してきました。薬学生はもちろん、数千人の理系・文系の学生とも接してきました。新社会人から幹部社員に対する企業内教育を通して、試行錯誤を繰り返しながら、人材育成の能力とノウハウを積みあげてきました。
 つくづく感じているのは、“大学時代に何を学び、何を考え、何を体験してきたのか”が、一人ひとりのその後の将来にとって重要な要素であるということです。そのようなことから、人材育成という共通目標を持つ企業の教育担当と大学が連携して取り組む必要性を、長い間強く感じておりました。
 一昨年12月のことです。薬学生向け合同就職相談会において、A大学薬学部のC先生と情報交換する機会に恵まれました。以降、薬学生や薬剤師の実態、問題点、課題などについて意見交換をさせて頂きました。数回の打合せを経て、共通認識の課題解決を目指してコラボレーションすることに至りました。そして、東日本大震災の被災地薬剤師から学び考えることを優先課題と位置づけて、今回のプロジェクトが誕生しました。今回のように本質的な課題を共有しながら進めるプロジェクト的連携が、継続して定着していくことを期待しております。』

 次に、“何故、オリエンを重要視するのか?”という問題を、率直に投げかけました。このテーマを、わざわざ時間をかけて取りあげた背景は、このエッセイの本文冒頭で申しあげた通りです。

『「何故オリエンが重要なのか?」、この点を参加者全員が理解し納得することは、このプロジェクト全体の目的と目標達成のための強力な推進役となります。人材育成の仕事に携わって30年になりますが、確信に近い私の経験則です。このプロジェクトの場合、理由はいくつかありますが、今回は次の四つのことを考えて頂きたいと思います。
 先ずは、次の二つの考え方を前提条件ととらえてください。
 一つは、「参加したメンバー一人ひとりが、“何らかの成果があった”と、自主的に判定し実感出来るようにしたい」という願望です。二つ目は、「人間の行動、言動には、必ず理由や背景(体験、思い、志など)が存在する」という認識です。
 その二つの前提となる考え方を推し進めていくと、目標達成に向けてチームパフォーマンスをあげる必須要件として、次の二つのプロセスは避けて通ることが出来ない、という結論に至ります。
 「プロジェクトの目的、目標、心構え・行動指針の着眼点を理解し共有化する」、そして「可能な限り、一人ひとりの思いや考えを率直に出し合って相互理解に努める」ということです。
 皆さんは、自主的意思決定によって当プロジェクトに参加しました。そうは言っても、人間は10人10色ですから、「何となく…」、「友人に誘われて…」という理由もあるかも知れません。
 いずれにしても、今申しあげました四つの理由を意識しながら、全員が自己紹介と参加理由の発表を行って、相互理解を深めるきっかけにしたいと思います。』

 自己紹介の内容は、次のようにしました。
 ・氏名、学年、所属ゼミ、出身地・出身校、好きな食べ物、嫌いな食べ物、現在の興味、何でも一言

 全員の自己紹介が終了して、そこから本題に入りました。
 目的、目標、目標達成の心構え・行動指針の着眼点の三点について、問いかけと対話による方向づけです。目的と心構え・行動指針は、現在の社会の状況や動きなどの背景、視野拡大のためのヒントなる考え方や着眼点を提示して、考えて意思決定するような進め方を志向しました。今回のエッセイでは、目的と心構え・行動指針の着眼点の一部をご紹介させて頂きます。

 目的については、プロジェクト告知案内状に掲載した文言と、私の考える三つの視点を交えながら、共有化と相互理解に努めました。
 プロジェクトとしての目標は、いのうえ塾の定番である“MY新聞”作成、さらにプロジェクト全体の見解発表を通して、同じ薬学生との議論の輪を拡げるきっかけ作りを予定しております。
 心構え・行動指針は、主に将来を考える着眼点と方向性について問いかけました。その骨子は、以下の通りです。

  ①着眼点1:予防医療・在宅医療・身近な健康相談ステーション、自助・共助・公助
     ・抜本的な医療のあり方の見直しが迫られている。
     ・被災地薬剤師の医療活動の中に、見直しのヒントがある。
  ②着眼点2:学ぶとは何か?→ 身につけたい問題解決の思考プロセス
     ・学ぶとは、「自主的に考えること、自問自答して気づくこと、決めること」、
      そして「多様な考え方があることに気づき、先ず受け容れて考えること」。
     ・育成課題の一つが、「自主・自律・自立」の三自であり、能動的な実行力。
     ・若い内に身につけたいのが問題解決の思考プロセス。
     ・自答が正答。その自答をぶつけあって、三人寄れば文殊の知恵を実現する
  ③着眼点3:社会の実態を知ることで、多職種連携の必然性とそのあり方を学ぶ。あるとすればどのようなことなのだろうか。

 以上、あるプロジェクトの初日の一部(90分間のオリエンテーション)を、つぶやきも含めて掲載させて頂きました。
 掲載目的を再度申しあげますと、教育機会におけるオリエンテーション(或いはガイダンス)の重要性に気づいて頂きたいからです。スタート時点で、参加メンバーと推進スタッフが、目的と目標を、背景・理由を含めて共有化し相互理解することで、メンバーの自発的やる気を可能な限り引き出すことです。そのプロセスを経ることによって、新たな方向性の展望視野が拡がる可能性が、大いに期待できるのではないでしょうか。
                                                    (2014.8.25記)

エッセイ74:振り返ることは、心を耕すこと

 我が家の庭で巾を利かせているのが椿とアジサイです。
 アジサイには、日本原産と言われているガクアジサイ、そしてホンアジサイ、西洋アジサイの他にヤマアジサイなどの品種が存在するようです。
 アジサイは水が大好物です。ですから、梅雨時のシトシト降る雨の日の鮮やかさといったら、表現のしようもないくらいです。最近は品種改良が盛んで、アッと驚く花色や花模様に出会います。
 6月からのひと月半は、大いに楽しませて頂きました。数えてみましたら、百本ものアジサイが身を寄せ合いながら、それぞれが元気に枝を伸ばしています。毎年の挿し木で増えてしまったようです。
 種類の特定は難しいのですが、二十種以上はありそうです。剪定後には、今年も挿し木をしました。数年後には、花を咲かせてくれるでしょう。

 さて、最近のエッセイでは、“振り返る”ことの意義をつぶやきことが多いですね。今回も、その“振り返る”ことについてつぶやきます。

振り返ることは、心を耕すこと

 振り返ることは、客観的に自分自身を見つめ直して、自分自身の状況や心情を知る旅でもあります。そうすることで現状の姿の背景が見えてきます。つまり、現状を結果とすれば、その背景である原因との関係が、明らかになってくるのです。

 振り返ることは、心を耕すきっかけになります。
 稲作で耕すのは田んぼです。稲の出来具合は、田んぼの耕し方で決まるそうです。私が表現しております“心を耕す”ということは、自分自身の心の本性を耕すことでもあります。稲作の表現を借りれば、心の田んぼを耕すということになります。
 心の田んぼを耕すことは、自己形成そのものになります。狭い心や堅くなった心をほぐしては掘り下げて、さらに深く耕します。そうすることで、等身大の自分の姿がクッキリと見えてきます。そこに辿り着いて、新たな志や将来の目標の芽を見つけることができるのではないでしょうか。

 教育とは、自分自身の本性を知る旅のように思えてきます。そのような視点に立って考えてみると、教育機会の中で、その時々の節目において、振り返りの時間をキチンと持つことは、一人ひとりの本質を明らかにする重要なプロセスの一つと位置づけられます。振り返ることは、自分自身の本性を明らかにするきっかけの一つになるのです。

 そう思えるようになったのは、何時頃からでしょうか。ある程度の経験を積み上げた結果からでしょうか。私自身の心の幹の年輪からきているのでしょうか。
 そのような自問自答をしながら、謙虚に振り返ることで見えてくることが増えてきたことは、明らかに認識できます。見えてきたことを素直に認めながら、目の前の諸事と誠実に向き合いたいと考えるようになりました。

                                                                       (2014.8.2記)

NHKBSで「チーム中田」が取り上げられます。

平成26年10月8日午後2時から、NHKBSで「薬を届けろ!~ 被災地を支えた薬剤師たち ~ 」という番組名で放送され、中田薬局も取り上げられます。
是非ご覧ください。

エッセイ73:バラバラな経験や知識・技能を結びつける引力は何か?

 私の友人であるTrilliumさんのエッセイを、先ずご紹介させて頂きます。「一千万円の買物」というタイトルです。

  【一千万円の買物】
    昭和45年に薬剤師になってから今日まで、約一千万円の書籍を購入しました。
    それは薬剤師として、不足の部分を埋めるための教材でした。

    薬のことだけではなく、生理、病態、解剖、診断、医学用語、検査、検査値、看護と系統も脈絡もなく、
                                                    ほとんど手当たり次第だったと思います。

    約40年の月日が流れ、私の中で氷山がひとつでき上がりました。
    日常は10%の海面上の力で処方せんに向い、患者様に接しております。
    海面下の90%は、私を支える自信です。
    学ぶこと、知ること、そして知っているという余裕が、私に仕事の楽しさをもたらしてくれました。

    結果だけではなく、そこに至るプロセスから得るものも大切です。
    ばらばらの知識が、あるとき突然にネットワークが出来上がり、生きた知識となるとき、水が氷に変わる瞬間を体感します。

    地球温暖化が危惧されるこの頃、私の氷山も溶けて小さくならないよう願っています。

 このショートエッセイは、自己啓発のあり方、能力開発の本質や意義を掘り下げて考える着眼点になりますね。世代に関係なく、着眼点として気づいて頂く教訓として、かなりの頻度で紹介しております。振り返って、私自身も同じような感覚を体感しました。
 今回のエッセイは、乱雑に散らばっていた知識がつながって、新たな結晶が形づくられる誘引剤、接着剤は何なのか、思いつくままつぶやいてみましょう。

バラバラな経験や知識・技能を結びつける引力は何か?

 私の学生時代の目的や姿勢を思い起こしております。朧げな記憶を遡りながら、視野が非常に狭かったことだけはハッキリと感じとれます。
 学校が決めたカリキュラムと指導要領に沿って、受け身で学ぶことが目的の中心であったと実感しております。ですから、それぞれの教科や単元がネットワークとして機能し合っていることを実感する経験は、皆無だったと思います。そのような問題意識を持った記憶すらありません。
 Trilliumさんと似たような体感を経験したのは、社会人になってからです。それも、30歳代半ばを過ぎてからだと思います。役職を拝命して、業務課題の達成難易度が高くなりました。達成を確信できる計画案策定には、様々な分野の関連知識を組み合わせて対処する必要性を自覚するようになってからだったと思います。試行錯誤しながら、ある時、計画案の骨子が出来上がった時のことを、懐かしく思い出しております。年齢を重ねるほどに、その経験は増えていきました。
 もう少し具体的に申しあげましょう。
 私の場合、社員教育の仕事に携わってから、そのような感覚を認識する機会が増えました。人事の仕事が加わってからは、さらに感じるようになりました。
 Trilliumさんの表現をお借りすれば、系統も脈絡もなく手当り次第に学んだこと、仕事遂行上の必要性に迫られて学んだこと、指示された体験を通して積み重ねてきたことなどが、あたかも突然のように、あちこちのピースがつながってジグソーパズルが完成するのです。1ヵ月かけて悩み続けた末に、ちょっとしたきっかけで実際的な方法に出会ったこともあります。労作を提案して認められ、それが役に立っていると実感した時の達成感は、今でもセルフモチベーションを支える原動力になっています。
 突然のごとくネットワークが出来上がる要因として考えられることは、それまでに様々な実体験を通して積み上げてきたノウハウ、学んだ知識、身につけた行動指針や組織運営のあり方、培った人間関係など、多岐に亘っていることに違いはありません。そのことが大前提ではありますが、それらの要因群の中から、効果につながるものを取捨選択して引っ張り出し、それらを結びつけてくれる引力は一体何なのか、その力はどこから来るのか、それが今回のエッセイのテーマになります。

 先ず、使命感が必須要件であることは疑いの余地がありません。しかし、今回は、年を重ねるほどにつくづく感じていることに焦点を当ててみたいのです。
 改めて強調したいことは、様々な体験を積むことです。自発的に学ぶ続けることです。学生時代は当然ですが、未熟だと自覚している間は、特にそうすることではないでしょうか。
「やるの?やらないの?どっちなの?」。
 答えは一つです。実行しなければ進みません。新たな道は前には存在しまません。後ろに出来るのです」。10数年前に転職してからの、私の代表的な口癖です。
 やらない言い訳が耳障りに感じる時には、語気を強めて問い質すことがあります。自信が持てなくて、躊躇している方の背中を押したい時にも発することがあります。
 様々な体験を積み重ねたり、学び続けるためには、克己心実行力が誘引剤であり接着剤になります。強調して申しあげたい引力です。
 自分自身のちょっとした甘えに打ち克って実行する、ということです。私たちの行く手を遮っているものには、多くの他律要因も出てくるでしょう。しかし、他律要因は風任せですから、解決には至りません。最初から向き合わなければならないのは、やはり自律要因です。
 使命感、克己心、実行力は、小学生時代から何度耳にしたことでしょうか。この不易の行動指針が、もっともっとクローズアップされなければ、知識が知恵に転じることは難しいと感じております。言い古された三つですが、温故知新はあちこちに存在しているのです。
                                                                                                                                           (2014.7.24記)

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