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エッセイ78:歴史から学ぶ人でありたい

歴史から学ぶ人でありたい

 ジャンルを問いませんが、史実を改めて調べ直したり、関連づけて考え直してすると、それまで気にも留めずに素通りしていた事柄が反転して、大いなる興味へと変わることがあります。新たな想像の世界に引き込まれるように。
 いわゆるクラシック音楽の世界の話になります。名だたる名曲の初演日を時系列で並べてみると、“あの曲とあの曲は、同じ時代に作られた曲だったのか”という驚きに出会うことがあります。
楽聖といえばベートーベンですが、最後の大作である交響曲第九番ニ短調作品125「合唱」の初演は、200年近く前まで遡ります。1824年5月のことでした。それから6年後の1830年12月に、フランスの作曲家ベルリオーズの幻想交響曲が初演されました。楽聖の死の3年後になります。現在では標題音楽の最初の傑作と評される曲ですが、当時としては最も前衛的な音楽だったそうです。
 最近、そのような事実に気づかされながら、型を重んじていた時代に作られた、形式も雰囲気も異なるシンフォニーの曲作りのきっかけは何であったのか、動機付けの要因は何であったのか、大いに興味をそそられます。
 さらに、唱歌や童謡などの子どもの歌について、それらの歴史を知る機会がありました。
 8月下旬、ある音楽会を聴きに上京しました。全国大学音楽教育学会関東地区学会主催の「うたと映像でつづる日本の子どもの歌140年歩みコンサート」です。私の大学時代の部活(東京薬科大学合唱団)の恩師が企画構成し、司会まで務めた2時間のコンサートでした。
 140年の歩みとは、子どもの歌の歴史そのものです。その歴史にはその時々の世情が深く絡まりあっていることを知りました。日本における国情やその時代背景などでしょうか。幾重にも連なる壁を乗り越えて現在があることを認識することで、今まで意識もしていなかった側面が見えてくるのです。畏敬の念を禁じえません。

 何かの本からだったでしょうか、「歴史を学ぶ人でありたい」というアドバイスを頂戴したことがあります。現在を結果と置き換えれば、結果の原因は過去にあります。過去のプロセスの中に主因が存在します。現在は過去の歴史があっての産物と言えそうです。
 ただし、気をつけて学ばなければなりません。同じ人物、出来事でも、諸説が存在することです。何が真実であったのか、その見極めが難しい場合があるのです。学ぶことは当然として、そのまま鵜吞みにして信じてしまい、思考停止で終わらぬようにしなければなりません。
 学びの教材は、その気になれば彼方此方に存在しています。そのようなことを気づかせてくれた平成26年の夏でした。

                                                                (2014.10.20記)

エッセイ77:つぶやきエッセイを生涯のライフワークに!

つぶやきエッセイを生涯のライフワークに!

 私が企画し運営する全ての教育機会(以下、いのうえ塾)では、今でも育て続けている定番カリキュラムがあります。その一つが、当日或いは翌日に、その日一日(或いは前日)の振り返りをすることです。時間の許す限りという条件付きではありますが、反復することで要点を刻み込んで確実なものにしておきたいのです。一ヵ月後に同じ質問をされても、即答できるレベルにしておきたいからです。
 振り返ることの目的や重要性は、つぶやきエッセイで何度か取りあげております。直近では、エッセイ74回「振り返ることは、心を耕すこと」にて、掘り下げた見解を申しあげております。

 振り返りの時間帯は、その日の予定カリキュラムが始まる前の時間帯が多いですね。時間確保がし易いという理由もありますが、大切なことは別のところにあります。それは、前日まで学んできた内容と当日のカリキュラムの関連性を理解してもらうことです。それは自発的動機付けを高める導火線にもなります。その日の終礼後や昼食後のスタート時に組み入れる場合もあります。
 日によって異なりますが、振り返りは40分から60分の範囲で企画しております。現実には、メインカリキュラムの進行状況によって変わりますから、内容の優先順位を決めて進めていきます。その時間帯は、ホームルーム(以下、HR)という呼び方にしております。
 HRで取りあげるテーマの中では、「初志」、「行動理論(心構え)」、「○○観(考え方)」、「行動姿勢(行動姿勢)」に関する内容が、かなりのウェイトを占めています。それも、私自身の考え方、先哲の考え方を、噛み砕いて紹介します。さらに問題提起をしながら、一人ひとりに考えて意思決定する進め方にしております。日々の取組姿勢によっては、褒めることもありますし、叱る場合だってあります。
 もう一つ重要なテーマがあります。前日(または前回)学んだ要点や着眼点の復習と理解度確認です。復習内容は、事前に伝えておく場合もあります。研修で大切なことは、重要な点を理解することであり、何が何でも覚え切ることです。回答するまでに時間を要する人には、自助力の無さを恥かしいと感じて頂く時間帯にもなります。
 1週間以上にわたる研修、年間を通した“いのうえ塾”の場合は、HRは必須の定番カリキュラムです。定番化している根拠を問われても、確たる回答を持ち合わせておりません。強いてあげれば、30年間の試行錯誤の上での経験則としか言いようがありません。

 定番カリキュラムには、“MY(マイ)新聞”や“同期の歌”などの個性を表現できる自主制作ものもあります。その中のMY新聞について紹介したいと思います。
 中学生時代に作成経験された方が多いようですね。B4判の自作新聞がMY新聞です。平成元年の新卒新入社員研修から始めました。一番の目的は、時間の経過とともに、心の押入れにしまいこまれる運命の「初志」を忘れないためです。忘れないというより、現実に流されて萎んでしまいがちの大志を、年に一度は思い出して自己動機付けしてステップアップして欲しいからです。
 初代MY新聞の作者は、50歳目前の年代になりました。本人にとって、MY新聞の価値はいかばかりなのか、確認してみたくなりました。いや、私の自己満足に過ぎないのか、私の想い違いなのか、見極める責任を感じております。

 さて、あと五日寝ると68回目のMY誕生日になります。
 何とか続けてこられましたつぶやきエッセイを、生涯のライフワークにしたいと思います。“納得できる内容が表現できるまで”という条件つきではありますが、数日前に決めました。
 今回のエッセイは、私のつぶやき宣言でした。

                                                      (2014.10.2記)

エッセイ76:エッセイは内省のつぶやき

 詩人の茨木のり子さん(故人)は、東邦大学薬学部を卒業されました。薬学を学んだ私にとりましては、大先輩にあたります。
 感銘を受けた詩がいくつかあります。初めて出会った「自分の感受性くらい」の一行一行は、私の甘ったれていた心に突き刺ささりました。その記憶は、今でも消すことが出来ないほどです。
 “みずから水やりを怠っておいて”、“しなやかさを失ったのは どちらなのか”、“なにもかも下手だったのは わたくし”、ダメ押しは“そもそもが ひよわな志にすぎなかった”と。
 そして、“駄目なことの一切を 時代のせいにするな”、締めは“自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ”なのです。
ぐうの音も出ませんでした。ぐうの音も出せないような時期に出会った詩でした。

 それ以来、傲慢さが表面化した時、弱気虫が顔を出してやり過ごそうとした時、必ず意識させられる存在になりました。
 そうなってからは、仕事でも、日常の私的行動や言動でも、例え1秒しか時間が取れなくても、事の節目節目で、客観的に内省することを、心がけて実行するようになりました。数年を経て内省行為が躾化されてからは、振り返ることの重要性を、つくづく思い知るようになりました。
 一番の賜りものは、多くの事象に自然体で対処できるようになったことかもしれません。振り返って考えてみれば、9年半前にスタートした“採用担当者のつぶやきエッセイ”は、そのような心境の変遷の中で育まれてきたように思います。

エッセイは内省のつぶやき

 2005年4月にスタートしたつぶやきエッセイは、気がつけば354編になりました。200編までは、回数を目標につぶやきました。回数を意識し過ぎますと、どうしても内容が粗雑になりがちです。内容はダブらないよう、かなり気を配りました。

 150編を越えたあたりから、それまでの自分自身の行動や言動を振り返っていることに気づき始めました。振り返るたびに、自分自身の至らなさが明らかになるのです。問題を提起したり、その方途を投げかけようとすれば、他人事では前に進まないことにも気づかされるのです。
ま た、綺麗にまとめあげることに気を配り過ぎますと、他律要因を持ち出しては言い訳してしまうこともありました。

 三年前の250編前後からは、私自身の内省を土台にしてつぶやくことにしました。至らなかった自分、至らない自分を素直に認めて、そこを出発点として対処法を導き出すことを心がけるようになりました
 この数年間は、エッセイを続けるプレッシャー(マイナスのストレス)を感じることは無くなりました。ありのままの姿で、等身大でつぶやくことが出来るようになったのでしょうか。
 目標必達魂は忘れずに、少しの緊張感と余裕を持ち続けて、目の前の志事と誠実に向き合っていく所存です。振り返ることは、決して後ろ向きな行動ではありません。内省することを、将来ビジョンを描くための前向きな振り返りとして機能させれば良いのです。

 ※ 当ホームページのエッセイは、354編の中から選んだものを加筆修正して掲載しております。

                                                   (2014.9.11記)

エッセイ75:教育機会におけるオリエンテーションの重要性

 7月下旬、薬学生10名を対象とした「東日本大震災から学び考える“これからの薬剤師のあり方”」というタイトルのプロジェクトが開催されました。
 運営スタッフの一員として、初日の90分間のオリエンテーション(以下、オリエン)を担当いたしました。
 今回のエッセイは、薬学生に話した“今回のオリエンを私が担当した理由”と、“オリエンの重要性は?”などを中心に、教育機会におけるオリエンの重要性をつぶやいてみましょう。

教育機会におけるオリエンテーションの重要性

 私が担当するオリエンに90分もの時間をかけることには、ハッキリとした理由があるからです。
 今回の場合は、このプロジェクトの目的と目標の達成を前提として、参加する薬学生全員の自発的やる気を引き出し、自主性を高めて取り組んで頂くことが一番の眼目になります。
 具体的には「目的(背景、理由)」、「目指す目標」、「目標実現のための心構え、行動指針」の相互理解のために、90分という時間資源がどうしても必要となるのです。現実の教育機会に眼を向けますと、参加者の自発的やる気を高めるためのあり方に、大きな問題意識と危機感を抱いておりました。

 今プロジェクトの参加メンバーは、面識の無い方がほとんどでしたから、私の自己紹介からスタートといたしました。この段階では、私の話しに興味を抱き、もっと聴きたい、と思って頂くことが重要課題となります。過去30年間の失敗経験をもとに、親近感を意識して臨みました。
 自己紹介のあとは、教員ではない私が講義する理由を、率直に申しあげました。その時の内容を、全てご紹介させて頂きます。

『私は30年近く、いくつかの異なる業種の会社で、人事教育の仕事に従事してきました。薬学生はもちろん、数千人の理系・文系の学生とも接してきました。新社会人から幹部社員に対する企業内教育を通して、試行錯誤を繰り返しながら、人材育成の能力とノウハウを積みあげてきました。
 つくづく感じているのは、“大学時代に何を学び、何を考え、何を体験してきたのか”が、一人ひとりのその後の将来にとって重要な要素であるということです。そのようなことから、人材育成という共通目標を持つ企業の教育担当と大学が連携して取り組む必要性を、長い間強く感じておりました。
 一昨年12月のことです。薬学生向け合同就職相談会において、A大学薬学部のC先生と情報交換する機会に恵まれました。以降、薬学生や薬剤師の実態、問題点、課題などについて意見交換をさせて頂きました。数回の打合せを経て、共通認識の課題解決を目指してコラボレーションすることに至りました。そして、東日本大震災の被災地薬剤師から学び考えることを優先課題と位置づけて、今回のプロジェクトが誕生しました。今回のように本質的な課題を共有しながら進めるプロジェクト的連携が、継続して定着していくことを期待しております。』

 次に、“何故、オリエンを重要視するのか?”という問題を、率直に投げかけました。このテーマを、わざわざ時間をかけて取りあげた背景は、このエッセイの本文冒頭で申しあげた通りです。

『「何故オリエンが重要なのか?」、この点を参加者全員が理解し納得することは、このプロジェクト全体の目的と目標達成のための強力な推進役となります。人材育成の仕事に携わって30年になりますが、確信に近い私の経験則です。このプロジェクトの場合、理由はいくつかありますが、今回は次の四つのことを考えて頂きたいと思います。
 先ずは、次の二つの考え方を前提条件ととらえてください。
 一つは、「参加したメンバー一人ひとりが、“何らかの成果があった”と、自主的に判定し実感出来るようにしたい」という願望です。二つ目は、「人間の行動、言動には、必ず理由や背景(体験、思い、志など)が存在する」という認識です。
 その二つの前提となる考え方を推し進めていくと、目標達成に向けてチームパフォーマンスをあげる必須要件として、次の二つのプロセスは避けて通ることが出来ない、という結論に至ります。
 「プロジェクトの目的、目標、心構え・行動指針の着眼点を理解し共有化する」、そして「可能な限り、一人ひとりの思いや考えを率直に出し合って相互理解に努める」ということです。
 皆さんは、自主的意思決定によって当プロジェクトに参加しました。そうは言っても、人間は10人10色ですから、「何となく…」、「友人に誘われて…」という理由もあるかも知れません。
 いずれにしても、今申しあげました四つの理由を意識しながら、全員が自己紹介と参加理由の発表を行って、相互理解を深めるきっかけにしたいと思います。』

 自己紹介の内容は、次のようにしました。
 ・氏名、学年、所属ゼミ、出身地・出身校、好きな食べ物、嫌いな食べ物、現在の興味、何でも一言

 全員の自己紹介が終了して、そこから本題に入りました。
 目的、目標、目標達成の心構え・行動指針の着眼点の三点について、問いかけと対話による方向づけです。目的と心構え・行動指針は、現在の社会の状況や動きなどの背景、視野拡大のためのヒントなる考え方や着眼点を提示して、考えて意思決定するような進め方を志向しました。今回のエッセイでは、目的と心構え・行動指針の着眼点の一部をご紹介させて頂きます。

 目的については、プロジェクト告知案内状に掲載した文言と、私の考える三つの視点を交えながら、共有化と相互理解に努めました。
 プロジェクトとしての目標は、いのうえ塾の定番である“MY新聞”作成、さらにプロジェクト全体の見解発表を通して、同じ薬学生との議論の輪を拡げるきっかけ作りを予定しております。
 心構え・行動指針は、主に将来を考える着眼点と方向性について問いかけました。その骨子は、以下の通りです。

  ①着眼点1:予防医療・在宅医療・身近な健康相談ステーション、自助・共助・公助
     ・抜本的な医療のあり方の見直しが迫られている。
     ・被災地薬剤師の医療活動の中に、見直しのヒントがある。
  ②着眼点2:学ぶとは何か?→ 身につけたい問題解決の思考プロセス
     ・学ぶとは、「自主的に考えること、自問自答して気づくこと、決めること」、
      そして「多様な考え方があることに気づき、先ず受け容れて考えること」。
     ・育成課題の一つが、「自主・自律・自立」の三自であり、能動的な実行力。
     ・若い内に身につけたいのが問題解決の思考プロセス。
     ・自答が正答。その自答をぶつけあって、三人寄れば文殊の知恵を実現する
  ③着眼点3:社会の実態を知ることで、多職種連携の必然性とそのあり方を学ぶ。あるとすればどのようなことなのだろうか。

 以上、あるプロジェクトの初日の一部(90分間のオリエンテーション)を、つぶやきも含めて掲載させて頂きました。
 掲載目的を再度申しあげますと、教育機会におけるオリエンテーション(或いはガイダンス)の重要性に気づいて頂きたいからです。スタート時点で、参加メンバーと推進スタッフが、目的と目標を、背景・理由を含めて共有化し相互理解することで、メンバーの自発的やる気を可能な限り引き出すことです。そのプロセスを経ることによって、新たな方向性の展望視野が拡がる可能性が、大いに期待できるのではないでしょうか。
                                                    (2014.8.25記)

エッセイ74:振り返ることは、心を耕すこと

 我が家の庭で巾を利かせているのが椿とアジサイです。
 アジサイには、日本原産と言われているガクアジサイ、そしてホンアジサイ、西洋アジサイの他にヤマアジサイなどの品種が存在するようです。
 アジサイは水が大好物です。ですから、梅雨時のシトシト降る雨の日の鮮やかさといったら、表現のしようもないくらいです。最近は品種改良が盛んで、アッと驚く花色や花模様に出会います。
 6月からのひと月半は、大いに楽しませて頂きました。数えてみましたら、百本ものアジサイが身を寄せ合いながら、それぞれが元気に枝を伸ばしています。毎年の挿し木で増えてしまったようです。
 種類の特定は難しいのですが、二十種以上はありそうです。剪定後には、今年も挿し木をしました。数年後には、花を咲かせてくれるでしょう。

 さて、最近のエッセイでは、“振り返る”ことの意義をつぶやきことが多いですね。今回も、その“振り返る”ことについてつぶやきます。

振り返ることは、心を耕すこと

 振り返ることは、客観的に自分自身を見つめ直して、自分自身の状況や心情を知る旅でもあります。そうすることで現状の姿の背景が見えてきます。つまり、現状を結果とすれば、その背景である原因との関係が、明らかになってくるのです。

 振り返ることは、心を耕すきっかけになります。
 稲作で耕すのは田んぼです。稲の出来具合は、田んぼの耕し方で決まるそうです。私が表現しております“心を耕す”ということは、自分自身の心の本性を耕すことでもあります。稲作の表現を借りれば、心の田んぼを耕すということになります。
 心の田んぼを耕すことは、自己形成そのものになります。狭い心や堅くなった心をほぐしては掘り下げて、さらに深く耕します。そうすることで、等身大の自分の姿がクッキリと見えてきます。そこに辿り着いて、新たな志や将来の目標の芽を見つけることができるのではないでしょうか。

 教育とは、自分自身の本性を知る旅のように思えてきます。そのような視点に立って考えてみると、教育機会の中で、その時々の節目において、振り返りの時間をキチンと持つことは、一人ひとりの本質を明らかにする重要なプロセスの一つと位置づけられます。振り返ることは、自分自身の本性を明らかにするきっかけの一つになるのです。

 そう思えるようになったのは、何時頃からでしょうか。ある程度の経験を積み上げた結果からでしょうか。私自身の心の幹の年輪からきているのでしょうか。
 そのような自問自答をしながら、謙虚に振り返ることで見えてくることが増えてきたことは、明らかに認識できます。見えてきたことを素直に認めながら、目の前の諸事と誠実に向き合いたいと考えるようになりました。

                                                                       (2014.8.2記)

NHKBSで「チーム中田」が取り上げられます。

平成26年10月8日午後2時から、NHKBSで「薬を届けろ!~ 被災地を支えた薬剤師たち ~ 」という番組名で放送され、中田薬局も取り上げられます。
是非ご覧ください。

エッセイ73:バラバラな経験や知識・技能を結びつける引力は何か?

 私の友人であるTrilliumさんのエッセイを、先ずご紹介させて頂きます。「一千万円の買物」というタイトルです。

  【一千万円の買物】
    昭和45年に薬剤師になってから今日まで、約一千万円の書籍を購入しました。
    それは薬剤師として、不足の部分を埋めるための教材でした。

    薬のことだけではなく、生理、病態、解剖、診断、医学用語、検査、検査値、看護と系統も脈絡もなく、
                                                    ほとんど手当たり次第だったと思います。

    約40年の月日が流れ、私の中で氷山がひとつでき上がりました。
    日常は10%の海面上の力で処方せんに向い、患者様に接しております。
    海面下の90%は、私を支える自信です。
    学ぶこと、知ること、そして知っているという余裕が、私に仕事の楽しさをもたらしてくれました。

    結果だけではなく、そこに至るプロセスから得るものも大切です。
    ばらばらの知識が、あるとき突然にネットワークが出来上がり、生きた知識となるとき、水が氷に変わる瞬間を体感します。

    地球温暖化が危惧されるこの頃、私の氷山も溶けて小さくならないよう願っています。

 このショートエッセイは、自己啓発のあり方、能力開発の本質や意義を掘り下げて考える着眼点になりますね。世代に関係なく、着眼点として気づいて頂く教訓として、かなりの頻度で紹介しております。振り返って、私自身も同じような感覚を体感しました。
 今回のエッセイは、乱雑に散らばっていた知識がつながって、新たな結晶が形づくられる誘引剤、接着剤は何なのか、思いつくままつぶやいてみましょう。

バラバラな経験や知識・技能を結びつける引力は何か?

 私の学生時代の目的や姿勢を思い起こしております。朧げな記憶を遡りながら、視野が非常に狭かったことだけはハッキリと感じとれます。
 学校が決めたカリキュラムと指導要領に沿って、受け身で学ぶことが目的の中心であったと実感しております。ですから、それぞれの教科や単元がネットワークとして機能し合っていることを実感する経験は、皆無だったと思います。そのような問題意識を持った記憶すらありません。
 Trilliumさんと似たような体感を経験したのは、社会人になってからです。それも、30歳代半ばを過ぎてからだと思います。役職を拝命して、業務課題の達成難易度が高くなりました。達成を確信できる計画案策定には、様々な分野の関連知識を組み合わせて対処する必要性を自覚するようになってからだったと思います。試行錯誤しながら、ある時、計画案の骨子が出来上がった時のことを、懐かしく思い出しております。年齢を重ねるほどに、その経験は増えていきました。
 もう少し具体的に申しあげましょう。
 私の場合、社員教育の仕事に携わってから、そのような感覚を認識する機会が増えました。人事の仕事が加わってからは、さらに感じるようになりました。
 Trilliumさんの表現をお借りすれば、系統も脈絡もなく手当り次第に学んだこと、仕事遂行上の必要性に迫られて学んだこと、指示された体験を通して積み重ねてきたことなどが、あたかも突然のように、あちこちのピースがつながってジグソーパズルが完成するのです。1ヵ月かけて悩み続けた末に、ちょっとしたきっかけで実際的な方法に出会ったこともあります。労作を提案して認められ、それが役に立っていると実感した時の達成感は、今でもセルフモチベーションを支える原動力になっています。
 突然のごとくネットワークが出来上がる要因として考えられることは、それまでに様々な実体験を通して積み上げてきたノウハウ、学んだ知識、身につけた行動指針や組織運営のあり方、培った人間関係など、多岐に亘っていることに違いはありません。そのことが大前提ではありますが、それらの要因群の中から、効果につながるものを取捨選択して引っ張り出し、それらを結びつけてくれる引力は一体何なのか、その力はどこから来るのか、それが今回のエッセイのテーマになります。

 先ず、使命感が必須要件であることは疑いの余地がありません。しかし、今回は、年を重ねるほどにつくづく感じていることに焦点を当ててみたいのです。
 改めて強調したいことは、様々な体験を積むことです。自発的に学ぶ続けることです。学生時代は当然ですが、未熟だと自覚している間は、特にそうすることではないでしょうか。
「やるの?やらないの?どっちなの?」。
 答えは一つです。実行しなければ進みません。新たな道は前には存在しまません。後ろに出来るのです」。10数年前に転職してからの、私の代表的な口癖です。
 やらない言い訳が耳障りに感じる時には、語気を強めて問い質すことがあります。自信が持てなくて、躊躇している方の背中を押したい時にも発することがあります。
 様々な体験を積み重ねたり、学び続けるためには、克己心実行力が誘引剤であり接着剤になります。強調して申しあげたい引力です。
 自分自身のちょっとした甘えに打ち克って実行する、ということです。私たちの行く手を遮っているものには、多くの他律要因も出てくるでしょう。しかし、他律要因は風任せですから、解決には至りません。最初から向き合わなければならないのは、やはり自律要因です。
 使命感、克己心、実行力は、小学生時代から何度耳にしたことでしょうか。この不易の行動指針が、もっともっとクローズアップされなければ、知識が知恵に転じることは難しいと感じております。言い古された三つですが、温故知新はあちこちに存在しているのです。
                                                                                                                                           (2014.7.24記)

エッセイ72:本質を問い、本質に切り込み、本質を見定める

 なかた塾でも学び塾でも、“人材育成の基本修得”を最優先の教育ニーズとして位置づけるようになりました。部下を持つ管理者、チームリーダーは勿論のこと、中堅社員に対しても必要性を感じております。それ以上に、先ず経営者や経営幹部こそが、率先して学ぶべき課題かもしれません。口先だけの人材育成にウンザリしていることもありますが、何よりもジネスパーソンにとって優先度の高い必須能力要件だからです。
 しかし薬剤師の場合、マネジメントやリーダーシップ、さらに人材育成などに関する共通専門能力の基本を学ぶ機会が乏しいのが実態です。私自身が、教育担当として直に関わってきた薬剤師の場合でいえば、学ぶ機会がゼロであった方が圧倒的多数を占めておりました。“マネジメントとは何か”、“リーダーシップとは…”、“教育とは…”という考え方や理念に関する基本から学んでいかなければ、画一的で一知半解のやり方でしか対応出来ない程度のレベルで終わってしまいます。マネジメントもリーダーシップも、そして人材育成も、やる気と能力が十人十色のメンバーに対して、それぞれの状況に応じた個別対応が行われなければ、育成成果の芽は思うように出てきません。そのような認識すら持ち合わせないままの人事が、平気で行われてしまうことになりかねません。
 13年前になりましょうか。主に薬剤師を対象とした企業内教育の仕事に携わって以来、管理者教育こそが最優先の緊急課題であると思い続けてきました。しかし、そんな問題意識を経営者にご理解頂くことは至難の業でした。人材育成を、意図的、計画的に進めることが叶わない中、付け焼刃で終わってしまうことを覚悟しながらも、単発的な教育機会を企画し実践してきました。耳を傾けてくれる方もいらっしゃいましたが、会社全体のマネジメントシステムの問題もあって、学んだことが仕事に活かされる環境にはありませんから、継続的な底上げにはつながりません。
 それでも、心が折れて引き下がることを、私の志が許しませんでした。可能性のあるところから着手しようと意識し始めて四年半は経ったでしょうか。そのために、従来から使っております教材の見直しも一から行ないました。エネルギーを補給し直して取り組み始めたのでした。

 この企画を進める上での私の一番の眼目は、「本質の追求であり追究」という難題です。難題としたのは、本質の追求&追究には、相当のエネルギーと根気、そして像合わせに時間を要することが予想できるからです。さらに、この10数年間を振り返って、最後は置き去りにされてしまう本質不在から味わった過去の閉塞感が、トラウマの如く顔を出す時があるからです。
 それにしても、スピード、効率、利便性が声高に重視されて以来、本質を見極めて対処することは亜流となってしまったのでしょうか。臆病な私は、小さなヒヤリハットに出会うたびに、あのハインリッヒの法則が頭をかすめます。その些細なヒヤリハットも、1(重大事故):29(小さな事故):300(ヒヤリハット)であることを意識すれば、物事の本質を見過ごす訳にはいかない のです。
 そのような経緯から「人材育成の本質を考える(エッセイ69回:2014.6.10記)」を、まとめました。本質言及を試みたのでした。今回のエッセイも、その本質について呟いてみます。

本質を問い、本質に切り込み、本質を見定める

 先ず、問題が発生した時のことを振り返ってください。
 日頃、どのような対処法を施していますか。今回のエッセイをきっかけに、自分自身と自職場、そして自社の現状を、シッカリと看脚下して棚卸しして頂きたいと思います。

 大小はともかく、問題が発生した時の対処法は二つしかありません。対症療法と根治療法です。
 対症療法とは、病状の回復を目的とした治療のことです。一方の根治療法は、病気を完全に治すことを目的とした治療で、原因療法とも言えましょう。今エッセイでは、この対症療法と根治療法という表現を、仕事上の問題解決の対処法に転用して考えてみたいと思います。

 発生した問題の原因が何であれ、先ずは正常な状態に戻すための復旧策がとられます。対症療法の出番です。それに対して根治療法は、主要な原因を四直四現主義で特定して、同じ問題を二度と起こさないようにする対処法です。原因が特定されなければ、動き出すことができません。
 どちらの方法を用いるかは、その都度の状況や事情、そして原因内容によって異なってきますが、どのような問題であろうとも、対症療法と根治療法の併用が基本であり大原則でしょう。ただし、併用といっても、同時進行とはいきません。緊急度、優先度による違いがあるにせよ、先ず対症療法で目の前の問題を解決して、とりあえず正常化することが最優先になります。多くの問題は、即応性が求められます。そこを間違えると禍根を残すことになります。現実的には、その対症療法すら満足にとられていないケースも見てきました。
 対症療法で目の前の問題が収まったとして、同じ問題、似たような問題が再発生しないという保証はありません。その問題が小さな問題だったとしても、小さな問題が積み重なって大問題が発生して手遅れという事態だって起こりえましょう。やはり根本的対処法、根治療法を施さなければ、社会の公器としての責任を果たすことはできません。どれだけの会社で、意識して対処されているのでしょうか。
 根治療法まで手が回らない要因の一つが、時間的余裕の問題ではないでしょうか。目の前の仕事が手一杯で、それどころではないのです。それも現実なのです。会社の組織運営のあり方に起因する問題なのですが、それ以上に大きいのが、それぞれの会社の経営活動の本質が明らかになっているかどうか、という視点につきると思います。それぞれの会社の経営活動の本質(経営理念、組織運営、企業統治など)が明確になっていて、しかもステイクホルダーに公開されていて、その本質に基づいた経営が執行されていることが、何よりも優先されなければなりません。

 私は54歳で転職をいたしました。その理由は一つだけではありませんでしたが、大きなウェイトを占めていたのは、薬剤師の存在意義に対する危機感のようなものでした。転職後は、仕事を通して、薬剤師の仕事状況、薬剤師と薬剤師の雛である薬学生の行動姿勢などを、できる限り客観的に観察し続けました。実態把握に力を注ぎました。残念ながら、危機感は大きくなりました。それから8年後の2008年(平成20年)、考えたあぐねた末に、“薬剤師の存在価値を高めたい。同じ志の仲間と共に試行錯誤しよう”、だから“私を必要とするところがあって、私の心身が許す限りは現役を貫こう”と心に決めたのでした。
 生涯現役を決めてからは、転職後のそれまでの9年間を総括しました。総括結果の中で、今後の仕事(志事と表現)遂行上の重要な着眼点を、“本質を問い、本質に切り込み、本質を見定めること”、“本質を追求すること、追究すること”と、心に刻み込んだのでした。
 それは、物事の本質を問い、本質を追求することが、相も変わらずマネジメントの隅に追いやられていると感じていたからです。それ以上に恐ろしいのは、本質追求という重要な着眼点の姿が消えてしまうことです。そうなれば、顧客満足、企業の社会的責任、サステナビリティなど、企業経営の根幹が欠落してしまうことになります。

 つぶやきの範囲が飛び散ってしまいました。申しあげたいことをまとめ直します。
 発生する問題だけではなく、世の中の事象、組織や個人の考え方や行動のあり方にも、本質というものが存在しなければなりません。しかし、その本質が忘れ去られています。本質を言及したり、本質を追求したり追究しあうことが少なくなりました。
 残りの私の現役期間は、その都度頂戴した課題の本質追求を第一義として、そこから見えてくる教育ニーズを掘り起こして対処することにしております。会社組織だけではなく、学校、家庭、個人的つながりにおいても、同じスタンスで臨む所存です。
難題ではありますが、その姿勢を貫いて進みたいと思います。

                                                        (2014.7.17記)

エッセイ71:継続する原動力は何か?

「継続は力なり」、そして「積み重ねは力なり」の二つは、私自身に対してだけではなく、実行力に少々難のありそうな方々に対して、声を大にして方向づけする頻度の高い行動指針です。対象はさておいて、つぶやきエッセイにも再三再四登場させております。最近では、別々にではなく、成長の両輪としてワンセットとして強調しております。
 二つの「… は力なり」は、採用活動で出会い、社会人になってからも共に学び続けている方々の成長過程から教えられました。納得させられた教訓、とでも言えましょうか。
また、今年のソチオリンピックのメダリストである葛西選手、竹内選手の長い競技歴からも教えて頂きました。さらに、私自身が現在も続けております30年間のライフワークを振り返っての実感でもあります。
 事例や事柄が何であれ、ある時から、継続や継続による積み重ねを後押ししてくれる原動力の存在を、意識して考えるようになりました。そして、私の場合の原動力が何であるのか、何であったのかを、つくづく感じるようになりました。
 私の原動力は、「使命感」「自己確信」「好きであること」の三つと認識しております。その三要素のミックスブレンドが、現在言える私の原動力と特定しております。
 今回のエッセイ、三つの原動力をつぶやきます。

継続する原動力は何か?
 
 先ずは「使命感」からまいりましょう。
 私が企画し運営する教育機会では、可能な限り所感を書いて頂くようにしております。
 所感テーマは、それぞれの教育機会のねらいと対象者を鑑みて都度考えておりますが、社会人一年生にもベテランにも、「使命感とは、何だと思いますか?なぜ、必要だと思いますか?」という問いかけをよく行っております。私の考え方や参考になる実例を紹介しながら、一人ひとりの志や目標を意識し続けるために、使命感とは何かを考えて頂くのです。また、自分自身の行動の本質に気づいてもらうきっかけになることも期待しております。
 “私がやらないで、一体誰がやるのか!”。
これが、私の考える使命感とは何か、の回答になります。“仕事を立派に成し遂げることへの高い関心度”という表現をする場合もあります。
 今でも継続している私のライフワークは、“私がやらずして誰がやるのか!”という使命感が根底にあるからこそ、無心でチャレンジできているのだと思います。冷静なワクワク感で取り組んでいられるのだと思います。

 二つ目は「自己確信」です。
 自己確信とは、“上司や同僚から、それほど支援や監督を受けなくても、目の前の職務や任務を十分に果たすことができます”という気の持ち方、つまりメンタル的側面の強さのことを指すのだと考えております。自信(自己確信)と言い換えても良いでしょう。
 この自己確信、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
 自己を確信することですから、“自分のありのままの姿を受け容れて、そのありのままの自分を信じること”になります。先ずは自分を信じること、さらに信じて取り組まなければ、ゴールラインには到達しないでしょう。
 ましてや、多くの仕事はチームワークで成り立っています。チームで取り組む場合は、チームメンバーを信じなければ歯車が噛み合わなくなります。自分を信じない人、自分を信じることができない人は、仲間を信じることなど不可能な話です。
自分を信ずるということは、自分自身の心の奥の本心を聴きとって、その本心を信じることです。その本心の根源は、どのような状況においてもぶれない人間観の問題になります。難しいテーマですが、結局、避けては通ることのできない大命題になります。この問題は別の機会に譲るとして、取り組み続けた結果として、様々な形の結晶が積み重なって新しい結晶が形成されていくのではないでしょうか。
さらに、もう一つの鍵を開けてみましょう。

  さあ、最後の鍵です。「好きであること」について考えてみましょう。
 エッセイ第66回「実行し続けることは立派な能力(2014.3.15記)」を、開き直して頂きたいと思います。その中のライクワーク(この仕事が好きだ)についてです。
 「仕事が好きです」と公言できる人は、どれだけいらっしゃるのでしょうか。研修や講演で「今、仕事を好きだとハッキリ言える方は、挙手をお願いいたします」と問いかけることがあります。手をあげ難い問いであることを承知でお聞きしますが、10人に1人もあがるでしょうか。
 私の経験では、ライクワークのレベルに達するまでには、かなりの年月を要しました。新たな仕事に就く場合、先ずは自己確信のレベルに達するまでが高い壁になります。その間、多くの失敗を経験しますし、戸惑いを覚えたり、自信喪失を何度も繰り返します。未熟な職務遂行能力を磨き、未知の知識技能を修得していかなければなりません。予定通りに運ばないことの方が、ずっと多いのが実情でしょう。
 しかし、自助努力で乗り越えていかなければなりません。それらの要因を当たり前の想定要因と決めた上で、大小の壁をクリアしていかなければライクワークには届かないでしょう。
そこで“壁を乗り越えるためにどうするのか”ということになりますが、ハッキリと押えておきたいことがあります。好きになるプロセスには、“便利で簡単な方程式は存在しない”ということです。
 私はこのように考えています。
 先ずは、目の前のことに向き合って誠実に対処することですコツコツこつこつと、小さな自作の結晶を積みあげることです。成功作品だけではなく、失敗作や駄作の全てを積み重ねることです。三日坊主もあるでしょうが、そこで止めないで三日坊主を繰り返して継続することも一法です。三日坊主を十回やれば、三十日になります。様々な形式ややり方の継続を通して、小さな塊がいつの間にか積み重なって新たな形になっていくのです。その結果のご褒美として、その仕事が好きになっていくのだと考えているのです。
 エッセイ第66回で言及したように、好きになる有力な鍵として“とりあえず続けてみるか”式継続があります。私の30歳代後半からの7年間は、正に“とりあえず一所懸命に続けてみるか”でした。まるで、“卵が先か、ニワトリが先か”と同じ問答ですね。
 それから数年後、“この仕事が好きです。大好きです”と公言できるようになりました。好きになってしまえば“無意識に当り前に続けている”式継続になります。それが、67歳まで続いているのです。

 私の場合の継続の原動力を、「使命感」、「自己確信」、「好きであること」のミックスブレンドとしてつぶやきました。つぶやきながら、その根底に欠かせない存在のあることを思い出しております。志の存在です。夢、ビジョン、思いでも良いでしょう。そして、つくづく思い知らされています。それらのどれをとっても、長い時間を経て熟成されるものだということでしょうか。
 今回のエッセイの問いは、「継続の原動力は何か?」でした。
 回答は、「継続の原動力は、とりあえず継続してみること」になりました。「使命感」も「自己確信」も「好きであること」も、少しかじっただけでは身になる代物ではありません。明白なのは、目の前のことにキチンと向き合って対処することの継続と積み重ねこそが、行動理論と行動姿勢を正してくれる方程式なのだということです。改めて気づいたのでした。つくづく気づかされたのでした。

                                                       (2014.7.10記)

エッセイ70:自己啓発とは

 前回のエッセイ(69回)では、自己啓発の定義の紹介を先送りしました。
 遡ること20年になりましょうか。“自己啓発とは何か?”という問いに対する明快な自答を持つことが、教育担当としての必須要件でした。任務を果たすためには、避けては通れない課題でした。
 その後、何度か見直しを行ない、現在に至っております。その現在の回答を紹介させて頂きます。

自己啓発とは

 先ず、「自己」と「啓発」、さらに「啓」と「発」、それぞれの語句の意味を国語辞典で調べました。どのような場合でも、言葉の意味を調べることが、私の仕事作法ですから。
 それらの意味を意識しながら行き着いた結論を、以下の様に表現しております。

 ①自己啓発とは? 
    自ら(自分自身)が、自らの力において、自らの人生をよく生き、幸福に生きるための技術の発掘

 ②具現化するための基本理念は?
    人生哲学(Life Philosophy)を明確にする:私は人間としてどのように生きていくのか
      ・人生観:人生の生き方、人生に対する考え方
      ・人間観:人間をどのようにみるか
      ・仕事観:私にとって仕事とは何か(仕事の意義・価値)
      ・会社観:私とって会社とは何か、社会における存在意義は
      ・社会観:世間との関わり方をどうするか
      ・管理観:管理とは何か、管理のポイントをどこにおくか
      ・座右銘:日常の心構え(行動理論)、私の好きな言葉

 ③日常の行動姿勢は?
    自らが、自らの責任において、自身の能力の棚卸しを定期的に行う。
    その上で、欠品があったら、自分で自分にムチ打って、自身の欠品を補充していくこと。

 何度か見直しを行ないながら、“自分自身をより正確に知ること”が、自己啓発の出発点であることに変わりはありませんでした。だから、謙虚、素直、真摯という姿勢が重要であることも、キチンと理解できるようになったのです。

                                                 (2014.6.14記)

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