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エッセイ71:継続する原動力は何か?

「継続は力なり」、そして「積み重ねは力なり」の二つは、私自身に対してだけではなく、実行力に少々難のありそうな方々に対して、声を大にして方向づけする頻度の高い行動指針です。対象はさておいて、つぶやきエッセイにも再三再四登場させております。最近では、別々にではなく、成長の両輪としてワンセットとして強調しております。
 二つの「… は力なり」は、採用活動で出会い、社会人になってからも共に学び続けている方々の成長過程から教えられました。納得させられた教訓、とでも言えましょうか。
また、今年のソチオリンピックのメダリストである葛西選手、竹内選手の長い競技歴からも教えて頂きました。さらに、私自身が現在も続けております30年間のライフワークを振り返っての実感でもあります。
 事例や事柄が何であれ、ある時から、継続や継続による積み重ねを後押ししてくれる原動力の存在を、意識して考えるようになりました。そして、私の場合の原動力が何であるのか、何であったのかを、つくづく感じるようになりました。
 私の原動力は、「使命感」「自己確信」「好きであること」の三つと認識しております。その三要素のミックスブレンドが、現在言える私の原動力と特定しております。
 今回のエッセイ、三つの原動力をつぶやきます。

継続する原動力は何か?
 
 先ずは「使命感」からまいりましょう。
 私が企画し運営する教育機会では、可能な限り所感を書いて頂くようにしております。
 所感テーマは、それぞれの教育機会のねらいと対象者を鑑みて都度考えておりますが、社会人一年生にもベテランにも、「使命感とは、何だと思いますか?なぜ、必要だと思いますか?」という問いかけをよく行っております。私の考え方や参考になる実例を紹介しながら、一人ひとりの志や目標を意識し続けるために、使命感とは何かを考えて頂くのです。また、自分自身の行動の本質に気づいてもらうきっかけになることも期待しております。
 “私がやらないで、一体誰がやるのか!”。
これが、私の考える使命感とは何か、の回答になります。“仕事を立派に成し遂げることへの高い関心度”という表現をする場合もあります。
 今でも継続している私のライフワークは、“私がやらずして誰がやるのか!”という使命感が根底にあるからこそ、無心でチャレンジできているのだと思います。冷静なワクワク感で取り組んでいられるのだと思います。

 二つ目は「自己確信」です。
 自己確信とは、“上司や同僚から、それほど支援や監督を受けなくても、目の前の職務や任務を十分に果たすことができます”という気の持ち方、つまりメンタル的側面の強さのことを指すのだと考えております。自信(自己確信)と言い換えても良いでしょう。
 この自己確信、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
 自己を確信することですから、“自分のありのままの姿を受け容れて、そのありのままの自分を信じること”になります。先ずは自分を信じること、さらに信じて取り組まなければ、ゴールラインには到達しないでしょう。
 ましてや、多くの仕事はチームワークで成り立っています。チームで取り組む場合は、チームメンバーを信じなければ歯車が噛み合わなくなります。自分を信じない人、自分を信じることができない人は、仲間を信じることなど不可能な話です。
自分を信ずるということは、自分自身の心の奥の本心を聴きとって、その本心を信じることです。その本心の根源は、どのような状況においてもぶれない人間観の問題になります。難しいテーマですが、結局、避けては通ることのできない大命題になります。この問題は別の機会に譲るとして、取り組み続けた結果として、様々な形の結晶が積み重なって新しい結晶が形成されていくのではないでしょうか。
さらに、もう一つの鍵を開けてみましょう。

  さあ、最後の鍵です。「好きであること」について考えてみましょう。
 エッセイ第66回「実行し続けることは立派な能力(2014.3.15記)」を、開き直して頂きたいと思います。その中のライクワーク(この仕事が好きだ)についてです。
 「仕事が好きです」と公言できる人は、どれだけいらっしゃるのでしょうか。研修や講演で「今、仕事を好きだとハッキリ言える方は、挙手をお願いいたします」と問いかけることがあります。手をあげ難い問いであることを承知でお聞きしますが、10人に1人もあがるでしょうか。
 私の経験では、ライクワークのレベルに達するまでには、かなりの年月を要しました。新たな仕事に就く場合、先ずは自己確信のレベルに達するまでが高い壁になります。その間、多くの失敗を経験しますし、戸惑いを覚えたり、自信喪失を何度も繰り返します。未熟な職務遂行能力を磨き、未知の知識技能を修得していかなければなりません。予定通りに運ばないことの方が、ずっと多いのが実情でしょう。
 しかし、自助努力で乗り越えていかなければなりません。それらの要因を当たり前の想定要因と決めた上で、大小の壁をクリアしていかなければライクワークには届かないでしょう。
そこで“壁を乗り越えるためにどうするのか”ということになりますが、ハッキリと押えておきたいことがあります。好きになるプロセスには、“便利で簡単な方程式は存在しない”ということです。
 私はこのように考えています。
 先ずは、目の前のことに向き合って誠実に対処することですコツコツこつこつと、小さな自作の結晶を積みあげることです。成功作品だけではなく、失敗作や駄作の全てを積み重ねることです。三日坊主もあるでしょうが、そこで止めないで三日坊主を繰り返して継続することも一法です。三日坊主を十回やれば、三十日になります。様々な形式ややり方の継続を通して、小さな塊がいつの間にか積み重なって新たな形になっていくのです。その結果のご褒美として、その仕事が好きになっていくのだと考えているのです。
 エッセイ第66回で言及したように、好きになる有力な鍵として“とりあえず続けてみるか”式継続があります。私の30歳代後半からの7年間は、正に“とりあえず一所懸命に続けてみるか”でした。まるで、“卵が先か、ニワトリが先か”と同じ問答ですね。
 それから数年後、“この仕事が好きです。大好きです”と公言できるようになりました。好きになってしまえば“無意識に当り前に続けている”式継続になります。それが、67歳まで続いているのです。

 私の場合の継続の原動力を、「使命感」、「自己確信」、「好きであること」のミックスブレンドとしてつぶやきました。つぶやきながら、その根底に欠かせない存在のあることを思い出しております。志の存在です。夢、ビジョン、思いでも良いでしょう。そして、つくづく思い知らされています。それらのどれをとっても、長い時間を経て熟成されるものだということでしょうか。
 今回のエッセイの問いは、「継続の原動力は何か?」でした。
 回答は、「継続の原動力は、とりあえず継続してみること」になりました。「使命感」も「自己確信」も「好きであること」も、少しかじっただけでは身になる代物ではありません。明白なのは、目の前のことにキチンと向き合って対処することの継続と積み重ねこそが、行動理論と行動姿勢を正してくれる方程式なのだということです。改めて気づいたのでした。つくづく気づかされたのでした。

                                                       (2014.7.10記)

エッセイ70:自己啓発とは

 前回のエッセイ(69回)では、自己啓発の定義の紹介を先送りしました。
 遡ること20年になりましょうか。“自己啓発とは何か?”という問いに対する明快な自答を持つことが、教育担当としての必須要件でした。任務を果たすためには、避けては通れない課題でした。
 その後、何度か見直しを行ない、現在に至っております。その現在の回答を紹介させて頂きます。

自己啓発とは

 先ず、「自己」と「啓発」、さらに「啓」と「発」、それぞれの語句の意味を国語辞典で調べました。どのような場合でも、言葉の意味を調べることが、私の仕事作法ですから。
 それらの意味を意識しながら行き着いた結論を、以下の様に表現しております。

 ①自己啓発とは? 
    自ら(自分自身)が、自らの力において、自らの人生をよく生き、幸福に生きるための技術の発掘

 ②具現化するための基本理念は?
    人生哲学(Life Philosophy)を明確にする:私は人間としてどのように生きていくのか
      ・人生観:人生の生き方、人生に対する考え方
      ・人間観:人間をどのようにみるか
      ・仕事観:私にとって仕事とは何か(仕事の意義・価値)
      ・会社観:私とって会社とは何か、社会における存在意義は
      ・社会観:世間との関わり方をどうするか
      ・管理観:管理とは何か、管理のポイントをどこにおくか
      ・座右銘:日常の心構え(行動理論)、私の好きな言葉

 ③日常の行動姿勢は?
    自らが、自らの責任において、自身の能力の棚卸しを定期的に行う。
    その上で、欠品があったら、自分で自分にムチ打って、自身の欠品を補充していくこと。

 何度か見直しを行ないながら、“自分自身をより正確に知ること”が、自己啓発の出発点であることに変わりはありませんでした。だから、謙虚、素直、真摯という姿勢が重要であることも、キチンと理解できるようになったのです。

                                                 (2014.6.14記)

エッセイ69:人材育成の本質を考える

 今回のエッセイでは、以前のエッセイを振り返りながら、数年前から話す頻度が多くなってきました人材育成の本質についてつぶやいてみたいと思います。
 これをきっかけに、人材育成の議論の輪が拡がってくれることも期待しております。それも、やることで満足している表面上のシステム論ではなく、本質的側面やその本質実現のための目的を見誤らない具体的カリキュラムと手法のあり方など、総合的見地に立脚した議論を実現したいという思いが、ますます強くなっているのです。
 これから後輩育成が任務の一つとしてクローズアップされてくる30歳代前後の皆さんには、特に問題意識を持って考えて頂きたいと願っております。

人材育成の本質を考える

“人材育成の本質を考える”というテーマで、5月と6月に2回、立て続けに講話する機会がありました。その多くは調剤薬局の現役薬局長で、30歳前後から40歳前半までの11名の方々でした。約50分間の内容を、ドキュメント風に紹介したいと思います。

人材育成とは、自己啓発できる人材を育成することです。自発的やる気を喚起し続けることのできる人材を育成することです」
 両日ともに、私が今考えている人材育成像から切り出しました。育成像を明確にしないまま、本質に迫ることは不可能です。ですから、育成像という一つの結論から入ったのです。
 自己啓発も自発的やる気の喚起も、自分が主人公となって能動的に働きかける姿勢無しには前に進みません。“自分を育成する責任は自分にある”という自己責任意識が大前提なのです。
 何故、自己啓発や自発的やる気の喚起に拘って問題提起しているのか、先ずはそのことに触れておきましょう。

 気になることの一つに、受け身の人材育成論が当り前に闊歩していると感じられるからです。就活での企業の教育システム説明に対する薬学生の受け止め方が、正にその傾向を表しているように思えてならないのです。“御社の教育システムを教えてください”という質問の多さは、“私を育ててくれそうな会社かどうか”が、企業選択基準の上位を占めているからです。それが重要な選択基準であることに異論はありませんが、“自分を育てる責任は自分にある”ことは当り前の大前提であり、その自覚があっての選択肢なのかどうか、ということを問いたいのです。
 CSRやサステナビリティが注目され始めてきた企業にとって、人材育成に力を入れることは当り前のことです。学生の就職活動(企業の採用活動)において、教育システムが目玉商品の如くクローズアップされている実態に、その会社の総合力の未熟さが露呈されているように感じてしまうのです。何をおいても要員確保ということに目を奪われている姿勢に、立派な文言の企業理念が色褪せてしまいそうです。システムを図表として表現することは簡単です。大切なことは、ぶれない教育理念に基づいた全人的教育が志向されており、推進努力を惜しまず試行錯誤しているかどうかにつきるのではないでしょうか。
 そのような経緯があって、ここ数年、人材育成の本質に言及する機会が増えてきたのでした。

 話を本筋に戻しましょう。
 人材育成像を切り出した後は、“自己啓発とは何か?”についての自論を投げかけます。ここが育成のスタートになるからです。二つの資料を使って問いかけによる対話を試みております。
 一つは、数年前にまとめた教材「自己啓発とは、腹の底から納得するまで自分の頭で考え抜くこと」で、主にこの講話の目的について言及しております。
 もう一つは、自己啓発の定義の説明です。言葉が一人歩きすることを抑えるためであり、自己啓発の本質を理解して頂くためです。その内容は、次回以降のエッセイに譲りたいと思います。
 その上で、三つの質問を思いっきりぶっかけて、一人ひとりに考えて頂きました。
 さらに、その三つの質問の回答を、それぞれが本人自身の言葉で後輩や同僚に語ってください、と強調しております。学校薬剤師であれば小学生・中学生・高校生に、薬局長であれば部下に、経営者であれば社員に、実務実習の指導薬剤師であれば実習薬学生に対して、それぞれの対象者に応じた言葉を用意しましょう、と付け加えたのでした。
 
  質問1:勉強の目的は何でしょうか?
  質問2:その理由は何でしょうか?
  質問3:問題を解決したり、何かを創りだすことができるようになるためには、何が必要でしょうか?

 これが三つの質問です。三つの問いかけになります。
 しばらくの間は、誰かの受け売りでも構わないから、自分の言葉で組み立て直すように方向づけをして、50分間の講話を終えたのでした。
 最後に、この2回の講話での私の回答を掲載したいと思います。

 ◎回答1:勉強の目的は何か?
    ①自助力を身につけるため   *自助力:自分一人で問題解決できる能力
    ②共助力を身につけるため   *共助力:周りの人と共に問題解決できる能力
    ③心を耕すため          *心を耕す:人間性を高める、影響力を高める
 ◎回答2:何故、自助力なのか。共助力なのか。心を耕すのか?
    ①仕事は分業体制、つまりチームワークが基本。チームワークとは、自分の役割を100%果たすことが大前提。
     だから、一人で問題や課題を解決できることが必須要件。
    ②一方、仕事は流れです。仕事(役割)と仕事(役割)の境目に問題が発生する度合いが高いもの。
     だから、他のメンバーと共に問題解決できる能力も必須要件。
    ③現状維持では後退と同じ。何かを創り出すことが、やりがいにつながってくる。
     そのためにも、自助力と共助力がセットで必要となる。
    ④回答2の①②③達成の源は、人間性であり正しい心構え(行動理論)。だから、心を耕し続けること。
 ◎回答3:問題を解決したり、何かを創り出すことができるようになるためには、何が必要か?
    ①成功確率の高い問題解決の基本手順(PDCAサイクル、6W3H)
    ②問題解決の思考プロセスの修得
    ③家庭、小学校の義務教育から大学で学んだ全ての教育内容

                                           (2014.6.10記)

エッセイ68:知識&技能&態度はトライアングルの関係

 4月3日(木)は、中田薬局での新卒新入社員導入研修の三日目でした。暖かい陽射しに誘われて、昼食時間は外に出ました。
 規模は大きくありませんが、地域に根ざしたショッピングセンターで調理パンと菓子パンを買い、駐車場脇の甲子川沿いで食べることにしました。春先の青空に吸い込まれながら、二羽のカモメが悠々と舞っているという、のどかな風景が目の前に広がっておりました。
 行儀の悪さをチョッピリ意識しながら、土手沿いを歩いて一つ目の調理パンを食べ始めました。半分も食べ終わっていないのに、白いカモメの他に、黒いカラス、そして茶褐色のトンビまでもが、私の頭上を旋回しているではありませんか。ひょっとして…… 。
 嫌な予感を気にしながら、急いで駐車場に戻りました。車内で食べようと思い、もう一つの菓子パンの袋を破って数秒後、真後ろから音も立てずに菓子パンを袋ごとさらわれてしまったのでした。見上げると、茶褐色のトンビでした。旋回しながら、私の隙を狙っていたのでしょう。敬服するやら、どこか情けないやら…… 。
 家族への土産話となりました。

 最近の私のライフワークの一つが、後輩指導、部下育成などの人材育成をテーマとした教材の作成です。その中から、知識と技能と態度の関連をつぶやいてみます。

知識&技能&態度はトライアングルの関係

 ある程度のキャリアを積んだビジネスパーソンの場合、仕事遂行上必要な能力を考える時、現在担当している仕事だけではなく、将来担当する可能性のある仕事も含めて広く考える必要があります。仕事そのものの内容や方法がどんどん変化する時代ですから、将来の仕事に備えての能力開発も必要と考えざるを得ないからです。
 ここでの「能力」は、最も広い意味での能力のことで、その内容は大別して、知識、技能、態度の他に、問題解決能力も含めて四つと考えております。能力をこのように分類する主たるねらいは、それぞれの能力を開発するための教育方法が異なるからである。
 以下、私が主宰しております学び塾用に思案中の“人材育成の基本知識”から、主に、知識、技能、態度について引用させて頂きます。

 まず知識(“知っている”ということ)には、実務知識と基礎知識、さらに問題解決に必要な周辺知識が含まれる。
 実務知識とは、担当する実務作業を遂行するために直接的に必要となる知識のことである。薬剤師の場合、調剤業務、服薬指導、薬歴管理、在庫管理、医薬品分類、医薬品知識、病態生理、個々の患者様のニーズ、関連法規、ITに関する知識などが該当する。経理であれば、管理会計、簿記、伝票処理手続き、取引先情報に関する知識となる。店舗運営であれば、クリンリネス・伝票処理手続き・前進立体陳列をはじめとした店舗運営手順、商品分類、商品知識、商圏特性、お客様のニーズ、流通関連法規等に関する知識などになってくる。実務を正確に遂行していくためには不可欠のもの
である。
 基礎知識とは、体系的に整理された知識、原理・原則等の知識で、実務作業をより広い視野で総合的に判断する時に役立つ知識である。この知識によって、実務の応用性や客観性が高まってくる。患者様の心理、調剤報酬の仕組み、経済や業界に関する体系的知識等がそれに当たる。店舗であれば、消費者の購買行動や購買心理とか、市場や経済の仕組み、流通に関する体系的な知識等がそれに当たる。これらは、バイヤー、スーパーバイザーも同様で、さらにマーケティング、マーチャンダイジングに関する知識も含まれる。
 また職務に関係なく、経営理念や経営方針そして会社概要、コミュニケーション、プレゼンテーション、PDCAサイクル、6W3H、ビジネスマナーに関する知識は代表的な基礎知識となってくる。
 技能というのは、知識を行動に変えるための方法と言われる能力である。“知っている”だけではなく、“出来る”ということだ。仕事の腕前とか知恵、あるいはツボとかコツ、ノウハウと言われる能力で、これには身体的技能と知的技能の2つが含まれる。
 身体的技能とは、反復や繰返しで身につけることができる能力で、調剤技術・薬歴作成・服薬指導が出来るとか、調剤機器の操作、ワープロを一分間で何字打てる、レセコン操作を決められた
通りに出来る、というように身体的熟練に関する能力である。
 知的技能とは、身体的技能が身体の熟練であるのに対して精神的な習熟能力で、いわゆる「仕事の知恵」と言われるものだ。例えば、状況分析力や状況判断力、洞察力、企画力、実行力、管理力、表現力、説得力等が広くこれに含まれる。
 態度というのは、広い意味での「物事に対する受けとめ方」のことで、意欲、意志、物の見方(着眼点)・感じ方(感受性)、問題意識、価値観、あるいは行動理論や行動パターン等も含んでいる。態度は、その人独自の情緒的で非合理的な側面を多分に含んでいるものだ。例えば「仕事に対する責任感が強い」「仲間との協調性がない」「上司に対して従順である」「会社に対する忠誠心がある」「視野が狭い」「向上心が旺盛である」「出来ない言い訳が多い」……といったようなものは全て態度に含まれる。
 人間の能力開発において、この態度がきわめて重要な働きをする。というのは、意欲や意志が強くなければ、知識の修得も技術の体得も出来ないからだ。また物の見方や行動理論は、物事に対するその人の判断基準になるから、それが不健全であれば知識や技能を正しく行使することが出来なくなってしまう。その意味で、態度教育こそ教育の原点であると言われる所以となってくる。
 最後は問題解決能力である。これは、問題を積極的に見つけ出したり解決したりする能力で、広い意味にとらえることとする。この問題解決能力の発揮には、知識・技能・態度の三者が一体となって、総動員で使われる。バラバラでは問題は解決しない。例えば、どんなに知識があっても、それを上手く使いこなす技能と意欲がなければ問題は解決できないし、どんなに意欲があっても、知識と技能が伴わなければ行動は空回りをしてしまう。知識と技能がどんなに優秀であっても、行動する意欲と意志がなければ、その能力は結局のところ宝の持ち腐れで終わってしまうことになる。
 このように問題解決能力とは、それらの個々の能力が有機的に統合された能力なのである。そういう意味で、問題解決能力は知識・技能・態度の三つの能力が一体化された、いわば「総合的能力」といえる。

 問題解決能力の項でも触れておりますが、知識・技能・態度には密接な関係があります。社員の育成責任を有する皆さんには、その密接な関係を常に意識して、有効で有益な方途を選択して頂きたいと思います。
  知らないこと(知識)は出来ないし(技能)、やる気にもならない(態度)。
  やる気があれば(態度)、いろいろなことを知ろうとするし(知識)上達も早い(技能)。
  出来ることは(技能)やる気も出るし(態度)、勉強もするようになる(知識)。

 さて、今回のエッセイ、如何でしたか?皆様方は、どのように思われましたか?どのようにお考えでしょうか?

                                                                 (2014.5.7記)

エッセイ67:拝啓 二年後の私に宛てた手紙

 「自分を育てる責任は自分自身にあります。育成の前提は、自己責任意識なのです」 
 この四半世紀、新社会人を中心に、場合によっては30歳代、40歳代のビジネスパーソンに対して、その理由を添えて使う頻度が右肩上がりの問題提起型の強調トークです。
 昭和から平成初期には、その意図を汲み取り、自分事として受け止める層が多かったと思います。しかし、10数年ほど前からでしょうか。問題提起する私自身が頭を抱えてしまうケースが、徐々に増えているように感じます。話す内容が異なるケースもありますが、そういう趣旨の私の発言に対する反応の少なさが気になるようになりました。受け止めてくれる人の存在が少なくなりました。「そんなことを言われても、私には関係ありません」というあからさまな表情で、下を向いたまま(=何も聞いていない)無反応の人が多くなってきました。
 さらに、気になって気になって仕方のないことがあります。挨拶や言葉遣いなどの、所謂ビジネスマナーを修得する必要性の認識が希薄なことです。必要になった段階で学ぶ分野である、という程度の位置づけなのです。目先のことで頭がいっぱいなのかもしれませんし、将来に対する閉塞感が原因なのかもしれません。それ以上に、身近な対人関係の中でもマナーが、蚊帳の外に押しやられていることに、打つ手を見失ってしまいます。
 その責任を新社会人や将来の社会人に向けるつもりはありませんが、私にとりまして、何故そうなっているのかということ、つまり原因分析することは避けて通れないのです。敗戦後の70年近い移り行く歴史と時代環境を始めとして、様々な政策と政治経済の変遷などからくる広範な要因が、複雑に絡まり合っているのでしょう。原因を見いだすことにも四苦八苦しているのが実態です。

 私が主宰しております“いのうえ塾”や“学び塾”では、様々な課題を通して、自分の考えや意見を更新したり、改めて考えて意思決定したことを発表して頂くようにしております。本人の志を、時々メンテナンスしながら、自発的やる気を喚起し直させる、という魂胆なのです。自力で考えながら、地力をつけて欲しいのです。そのようなことを通して、「自己育成責任の所在が、自分自身の中にあることに気づき、ハッキリと肚に落とすことができるようになる」という考えで進めているのです。
 本日のエッセイは、その一例をご紹介させて頂きます。

 そのヒントとなったのが、シンガーソングライターであるアンジェラ・アキさんの曲「手紙~拝啓十五の君へ~」でした。2008年のNHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲として書き下ろされた曲だそうです。

拝啓 二年後の私に宛てた手紙

 ご紹介する一例は、“何年か後の私に宛てた私自身からの手紙”を書くことです。素直に、正直に、成長している自分を想像しながら自身に宛てた激励の手紙です。初志をさらに高めるための看脚下の手紙であり、さらなる飛躍を期待する祈念の手紙です。そして何よりも、自分を大切にすることで、相手を認めて大切にする心を耕すための手紙なのです。
 
 学び塾生の場合、差出人と受取人が本人宛の手紙を2回認めました。
 一つは、いのうえ塾での新社会人一年生を卒業する3月時点で、その2年後の本人宛の手紙です。

 さあ、基本修得の3年間の最終日(平成23年3月31日)の自分に対して、手紙を書いてみましょう。素直に、率直に、思いっきり…… 。
 あなたからあなた自身への手紙です。(平成21年3月1日)

 これは、平成20年(2008年)4月に新社会人となった薬学部卒を対象とした、いのうえ塾新入社員フォロー研修の最終回でのレポート課題でした。

 もう一つは、第8回学び塾の研修レポート課題です。

 以前、基本修得の三年間の最終日の自分に対して、手紙を書いたことがありました。
 それは、あなたからあなたに宛てた、期待と激励、そして克己と自戒の手紙でした。
 この一年間、東日本大震災と福島原発事故が、一人ひとりのこれからの生活環境や仕事環境に対して、大きな影響と様々な葛藤をもたらしました。視野を拡げて考えてみますと、医療の担い手である薬剤師としてのあり方を見直して、今後の方向性を再構築するべき時ではないでしょうか。第2回コロキウムは、そのための大きな見直し機会にもなりますね。
 今回は、これから2年後(2014年3月末日)のあなたに対して、手紙を書いて頂きます。一つだけルールを差しあげます。“拝啓”で始めて、“敬具”で締めてください。(第8回学び塾:2012.2.11)

 結局学び塾生は、社会人になって三年後の自分への手紙と、そこからさらに数年後の自分自身に宛てた手紙を書いたことになります。

 第13回学び塾(2014.2.11)では、この第8回学び塾のレポートを持参するように申しあげました。その日のオリエンテーションでは、各自のレポートの内容を本人から直接紹介してもらい、2年間で成長したと自覚していることも、遠慮することなく披露して頂きました。
 一番の収穫は、一人ひとりが着実に成長している実感を、客観的に看脚下していることが見てとれることです。正に、自己責任意識で自分自身を育成している姿が、塾生の心の中に無意識に存在している証左なのです。
 だから、体力的にしんどくても、能力的に衰えを感じても、主宰者である私から学び塾を已めるわけにはいかないのです。その思いは、私から私宛の手紙なのです。

                                                                                  (2014.4.15記)

エッセイ66:実行し続けることは立派な能力

 前回のエッセイでは、寄る年波の実態を囁きました。
 その中で、“これでも、健康管理には相当に気を遣っている”ことを申しあげました。私なりの生活習慣病対策を行っているのです。本日は、その一端を披露させて頂きます。
 50歳代後半からは、起床就寝の時間帯が早くなりました。早寝早起きになったのです。三度の食事も、決まった時刻に摂るようになりました。食事バランスにも気を遣います。半年前からは、大好きなアイスクリームやケーキも、その頻度を大幅に減らしています。
 食事の順番も、野菜から始まって、汁物、蛋白質、最後に炭水化物にしております。野菜は、かなり意識して多くの種類を食べるようにしております。食わず嫌いだったトマトも食べられるようになりました。蛋白質も、植物性、魚、肉を基本順にしながら、強迫観念ではなく、気楽な気分で食べています。塩分は控え目です。
 ただし、料理は全て家内任せですから、バランスの良い食事や食材の工夫に対して、家内に感謝している次第です。
 日課として、腹筋20回、腿上げ左右各25回、爪先立ち20回、スクワット20回、深呼吸10回。
 ウォーキングは6千歩以上を目標に、階段や坂道を意識して組み合わせています。時々数分間の速歩を入れます。1分間120歩のペースで歩きますから、1時間前後で概ね6千歩はクリアしている勘定になります。
 これらは、冬の酷寒時期にはお休みしますが、無理のない範囲でやり続けております。
 今日のエッセイ、私の主宰する第13回学び塾(2月11日)の帰りに感じたことからつぶやいてみます。

実行し続けることは立派な能力

 五年目に入った学び塾ですが、過去13開催で全て参加の塾生が3名いました。
 会社によっては土日勤務の方もいらっしゃいます。学び塾の予定日と、勉強会や休日当番薬局の日程とがバッティングすることもあります。風邪や食中毒など、不測の病気に罹患することだってあります。今まではありませんでしたが、大雪や台風などの悪天候で、中止を余儀なくされることだって考えられます。
 学び塾は年間3開催を基本にして、年間計画で会場を予約しております。薬剤師会や所属企業の研修会と重なってしまい、中止せざるを得なくなったことがありました。また、片道3時間の移動時間を要する塾生もいますから、日程を急遽変更することも不可能なのが実態です。
 そのような状況の中で、開催数が少ないとはいえ、皆勤者が3名もいることに驚いております。

 この学び塾、平成21年8月にスタートいたしました。2回目の時点で、参加塾生は23名に増えました。それがピークでした。転勤、結婚、退職などによって、年々退塾者が出て参ります。現在(第13回時)は8名で継続しております。
 最近、ここまで続けてこられたことに、少々驚きを感じております。その驚きの根底には、8名の明らかな成長の姿が見てとれるからです。さらに、時間や距離の制約を乗り越えて、継続して学び続けていること、メンバーと切磋琢磨し続けていることに、新鮮な驚きを隠しえないのです。
 現実に目を向けると、いかに継続することが難しいことなのか、多くの場面で見てきました。6月8日(日)の第14回学び塾では、こんなことを問いかけてみたいと考えております。
 以下、考えております内容の一部をご紹介させて頂きます。


 私が、薬学生に、現役薬剤師に対して「どのような薬剤師になりたいのか?どのような人間を目指しているのか?」という問いかけは、薬剤師としての一生涯を、ライトワーク(患者、生活者の一隅を照らす仕事)を目標として掲げ、目指して欲しいと願っているからです。
 しかし、そこに行き着くまでには、先ず“ライクワーク(この仕事が好きだ)になれるかどうか”が、大きな関門の一つになってきます。それも、素直に、心の底からライクワークと公言できる段階に到達できるかどうか、ということになります。このことは、人間同士の真の信頼関係樹立と同様に、かなりの時間、年月を要するテーマになってきます。
 皆さんは、「この仕事、私に向いているのだろうか?やっていけるのだろうか?」という不安の中で、右往左往しながら仕事をし続けていた経験、今までにありませんでしたか?
 いろいろ考え過ぎて立ち止まったり、自信が持てなくてやる気を失って努力することを躊躇したことがありませんでしたか?優柔不断さや覚悟の未熟さから、キチンと向き合うことから逃げたり、投げ出したことはありませんでしたか?
私 の場合、40歳台半ばまでは、それを繰り返していたように思います。また、採用という仕事を通して、居場所を替え続けている人を何人も見てきました。
 結局、どのような選択をしようとも、自己責任の下で意思決定することですから、どの方向を選択しても構わないと思いますが、まだ一人前という免状を交付されていいない段階(未熟な段階)では、以下のように考えて欲しいと思います。

 「とりあえず、もうちょっと続けてみるか」が、一つのベターな選択だと思います。

 一番の理由は、仕事というものは、10年、20年続けてやって、そこで初めて分かる事、判る事が、ずっとずっと多いような気がするからです。本日申しあげた件も、私自身がそうでした。MYライクワーク、MYライトワークを意識したのが40歳過ぎでした。
 半年以上前だったでしょうか。ある一言を耳にして、納得したことがあります。
 「向いていないけど、続けるっていうのも才能よ」。
 NHKの朝ドラの「あまちゃん」で、鈴鹿ひろ美が主人公にかけた言葉です。
 その一言は、“継続は力なり”、“積み重ねは力なり”を結実する才能だからなのです。ですから、学び塾も同じだと思います。これから頻繁に取りあげるテーマの人材育成もそうです。続けて努力するからこそ、モチベーションが喚起され維持されるのです。成長につながるのです。
 ソチオリンピックでの葛西さん(スキージャンプ)、竹内さん(スノーボードパラレル大回転、回転)から、そのことを教えて頂きました。身近なところでは、三回目のコロキウムが証明してくれています。やはり、続けるからこそ意義が見いだされるのです。
だから皆さんには、続けることで意義がさらに深くなっていくことを感じて欲しいと願っております。

 実行し続けることは立派な能力です。最高の能力です。希少な能力です。私はそう思います。
 8名の塾生には、実行し続けていることに誇りと自信を持って頂きたいと思っています。

                                          (2014.3.15記)

エッセイ65:等身大で良いのだ

 今年の誕生日で、満68歳になります。
 八年前になりましょうか。就業形態や関わり方が何であれ、内容が何であれ、“納得できる仕事には、可能な限り一生涯携わる”と決めて、現在に至っております。
 ただ、数年前から、少々弱気虫が顔を出す時があります。寄る年波には勝てなくなってきたからです。勝ち負けといっても、何かと勝負を決しよう、というのではありません。体のあちこちから“無理はご法度”との叫び声の頻度が増え、さらにその叫び声の強さが増してきた、ということなのです。
 その実感している寄る年波のいくつかを囁いてみましょうか。

等身大で良いのだ

 先ず、10年近く前から降圧剤を服用するようになりました。さらに、8年前には軽い痛風発作に見舞われました。その痛風発作、それ以来、毎年、決まって同じ時期(新卒新入社員合宿研修中)にだけ顔を出すようになりました。血中尿酸値は少々の基準値超えでしたが、それ以来尿酸排泄促進剤のお世話になっております。これらのおかげで、血圧も尿酸値も落ち着いてはいます。
 また、軽度の逆流性食道炎のようで、夕食後3時間経ってから就寝するようにしております。
 視力の衰えは顕著です。パソコンでの資料作りの時間が多いからでしょうが、能率にも大きく影響してきます。明らかに、集中力はガクンと落ちました。小さな文字は見え難いので、新書本や文庫本を読むのに一苦労します。積読本が40冊にもなりました。さらに、眼球の充血や逆さまつ毛によるゴロゴロ感、眼の奥の鈍痛などで、眼科のお世話になる機会も増えております。眼圧は正常で、いつもヒアルロン酸とビタミンB12の点眼剤が処方されます。ドライアイとのこと。
 数年ほど前から、耳鳴りが気になる時があります。その分、耳が遠くなったような気もします。昨年夏頃、初めて耳鼻咽喉科の門を叩き、何度か診て頂きました。歯が欠けたり、歯磨き時に冷水が沁みることもあって歯科医院にも通いました。酸蝕歯の影響でしょうか・・・。
 ちょっとした力仕事で手指の関節がはずれるようになってから、8年以上になりましょうか。回転式のキャップの開閉には四苦八苦する時があります。温風ヒーターの灯油タンクやペットボトルの栓をひねっても、回せない時があるのです。シッカリ握ることができないのです。何とも情けなくなります。
 躓いたり、転びそうになる頻度も増えました。ほんの数ミリの段差にひっかかったり、ちょっとした傾斜で足首をひねったり、50歳代前半までには考えられないほどの体力の衰えを実感しています。ひじ関節や背筋が痛くなることもしょっちゅうです。
 毎年インフルエンザワクチンを接種していますが、ちょっと油断すれば風邪をひくことがあります。回復には時間を要するようになりました。体が固くなっており、就寝後に寝返りを打つのも一苦労です。
 このような状態ですから、診察券は二桁の枚数になります。ですから、高齢者の医療費増大が取りあげられますと、肩身が非常に狭くなります。心が萎えてしまいそうです。
 それでも、健康管理には相当に気を遣っていますし、軽い症状の時は通院も控えております。

 ことほど左様に、無理はできなくなりました。気合でどうにかなるものでもありません。ですから、“身の丈オーライ”を基準にしながら、ユッタリ気分の毎日を心がけるようになりました。
 等身大で良いのだ、と思えるようになってきたのです。そうすることで、考え方に変化が起きてきました。
 先ず、自分自身のことを客観的に観ている自分が分かるようになりました。
 過去のことを、素直に冷静に見直したり、反省するようになりました。相手のことを先に考えようとする精神的な余裕を感じることもあります。
 その等身大、5年ほど前から口にする頻度が格段増えた気がします。
 それにしても、診察券の多さには、心が萎えてしまいます。それも本音です。

                                          (2014.3.7記)

エッセイ64:カルテの裏側を考える

 企業が永続的に繁栄できるかどうかは、“企業理念の具現化”と“経営環境の変化への対応”という二つの幹を両立させることが必要である、と考えております。ですから、社員一人ひとりが、その二つの幹の両立を意識しながら、日々の仕事に取り組んでいけるような組織運営をすることが、経営者や管理者の実力を評価する重要なポイントの一つになるのだと思います。
 社員育成を司る部署(以下、教育部門)は、これからを予見しながら、その相反するような二つのテーマの両立を意識した教育機会を、どれだけ的確に提供できるかが問われるのではないでしょうか。経営者の右腕としての機能を有する教育部門の専任担当者は、先ずその考え方の本質を理解して、さらには社員を動機付けできる教育機会を提供できることが、仕事遂行上の必須要件になってくるでしょう。20数名の部下を抱えた40歳を越えた有能な部門長経験者ですら、社員育成に四苦八苦しているケースに、何度も出くわしていたことの記憶が蘇ります。成果が見え難い人材育成の仕事は、ことほど左様に難しく心が疲れる仕事なのです。

 さて、教材としてテレビ番組の録画に力を入れていた時期がありました。今から14年ほど前になりましょうか。そのために、VHSテープと8ミリテープの両方が録再可能のソニー製ビデオデッキを購入しました。
 ビデオテープへの録画は、平成11年から始めて10年近く続けました。特に、始めてからの数年間の録画テープが多かったですね。全て高品質のVHSテープに録画しました。気がつけば120分テープが100本以上になっていました。
 録画を思いたったのは、身近な出来事をケーススタディとして、自らを練磨していける教材の必要性を感じていたからでした。“企業理念の具現化”と“経営環境の変化への対応”を学ぶケーススタディ教材作成は、当時の私にとりまして優先度と重要度の高い課題でした。録画したのは、ドキュメンタリー番組や特別番組など、その時々に話題となったテーマのものがほとんどでした。それ以外では、医療に関するもの、人材育成に関するものをマークしましたね。平成12年からの3年間は、食の安全、企業不祥事に関するものが特に多かったことが思い出されます。あれから10数年、今も同じようなことが繰り返されていることに、ショックとガッカリ感、そして諦念感と白け感が、入り混じってしまいます。

 昨秋、家の中の所有物を大整理しました。活用機会が減ってしまったビデオテープ群の減量にも着手しました。
 先ず、現在も使っている20数本は保管BOXに整頓しました。それ以外は、おぼろげな記憶を辿って、気になるテープを50本ほど残しました。それらは、全て再生を繰り返して活用の可能性を探りました。約半分を残して、最終的には保存していたテープの8割を処分したのでした。
 大整理という関所を通過したテープの中には、便利になった時代では置き去りにされてしまった、しかし、だからこそシッカリ向き合う必要性を感じる根源的事例が数多くあるのです。
 年が改まってから、時間を作っては、40数本のテープを再生しては、その活用方法を考えております。そのほとんどが、私たちの日々の仕事のスタンスやあり方を考えさせられるものでした。その一例が今回のエッセイです。

カルテの裏側を考える:道下俊一(医師/元浜中診療所長)

 録画した番組の中でも、NHKテレビの「プロジェクトX~挑戦者たち~」のものが、かなりのスペースを占めておりました。このプロジェクトXは、戦後から高度経済成長期までの産業や文化の様々な分野だけではなく、大事件、自然災害、医療問題、スポーツなど、多くの人々の挑戦と努力、その成果の紹介がテーマでした。登場人物の多くは無名の方々で、だからこそ勇気付けられることが多かったと記憶しております。平成13年(2000年)3月28日(火)に第1回がスタートして5年半の間放送されました。放送時間は、火曜日の21時からの約43分間でした。特別編を除けば、183本のプロジェクト作品が放送されたようです。

 平成16年9月30日(火)には、「霧の岬 命の診療所」が放送されました。今から60数年前のことです。昭和27年3月、M8.2の十勝沖地震が発生しました。北海道浜中村霧多布は、地震による津波で深刻な被害を受けていました。翌年、その地にある当時の釧路赤十字病院浜中分室(浜中診療所)に、北海道大学病院から一人の医師が赴任しました。道下俊一さんです。それから半世紀の苦闘と地域医療の取組みを、プロジェクトXで取りあげられたのでした。

 その中で、道下先生の一言に強く惹かれました。
『カルテの裏側を考える』という一言です。
 その裏側というのは、その人の人生のことを指すというのです。
 例えば、“親子、嫁姑の関係”であったり、“経済状態”も含めた人生を考えなさい、ということなのです。“その裏側が分かるようになって、初めて医療行為が出来ると思ってやってきた”という道下先生の一言は、薬剤師にも当てはまります。
薬歴の裏側を考えるということでしょうか。

 録画をした10年前には、『カルテの裏側を考える』という一言は、私の心には残っておりませんでした。私の大学時代の卒論で取り上げました、岩手県旧沢内村の深沢村政に思いを馳せていたのでした。このことから、時代時代の情勢によって、その時々の置かれている環境や心境によって、気づくこと、惹かれること、教わることが違ってくる、ということが分かってきます。そのようなことにも気づかされたのでした。

 その当時、先生のお手伝いを志願した定時制高校生がいました。16歳で志願した漫画家志望の加藤一彦さんです。レントゲン助手として、道下先生を支えたのです。その加藤さんの代表作には、浜中診療所が出てくるのです。その代表作とは「ルパン三世」ですから、レントゲン助手の加藤さんはモンキーパンチということになります。このプロジェクトXに出演していたのでした。

                                                     (2014.3.5記)

エッセイ63:薬学生の服薬指導演習にて模擬患者役を演じて

 昨年の10月から12月は、当初思い描いていたよりも密度の濃い3ヵ月間でした。いつもより頭を使わなければ進まない課題に挑戦した結果、そう感じたのかも知れません。
 12月には、新たな経験もさせて頂きました。それは、現役薬学生の服薬指導ロールプレイング(以下、ロープレ)の患者役を依頼されました。その経験から、薬学部5年生の実務実習受入れ医療施設の指導薬剤師の方の参考に供したい、或いは考えて頂きたい内容をレポートしてみました。
 尚、私が演じた患者役のロープレ内容は、心臓に病を抱えての検査入院二日目で、午前中の診断で処方された薬の服薬指導という設定でした。2日間で、23名の薬剤師役の方の患者を演じました。

薬学生の服薬指導演習において模擬患者を演じて

私が感じた薬学生の課題
(1)いわゆる“あがる”ことによって、保有能力を十分に発揮できないまま終了してしまう。
   *このテーマは、多かれ少なかれ誰もが経験していることである。経験が浅い段階ではなおさらだ。
(2)何らかの理由によって、スタートでつまずいてしまい、最後まで尾を引いてしまう。
(3)トレイなどのツールの置き場所が特定出来ないまま、無駄な時間を費やしてしまう。
  さらに、説明しながら薬袋や説明資料を何度か置き直してしまい、落ち着かないままの説明に終始してしまう。入院患者は、不安感
  いっぱいであることを鑑みれば、その不安感がさらに増長される可能性も考えられる。
    ※ツール:トレイ、処方薬、患者情報、お薬情報、メモ用紙、バインダーなど
(4)説明を始めようとするのだが、その説明用資料がどこにあるのか見当たらず、忙しなく探してしまう。それが焦りにつながってい
  る。
(5)クロージングの後、退室しないまま演技を終了した方が複数名いた。
  また、最後に「お大事に(なさいませ)」を言わなかった人が、数名ほどいたと思う。
(6)指導者から、身なりについての指摘や注意が複数回あった。私も同感であった。
   ①前髪の長さ(前髪で顔の上半分が隠れている。何度も前髪を手で払う人もいた。この動作は、本人が気付かないまま自然に
    行っている)、②爪の手入れ、③白衣の汚れやしわ、など。
(7)今回の想定問答の中には、薬剤師が服薬指導を主導できる(あるいは、コントロールできる)箇所が少なくとも一つはあった。正
  に、コミュニケーション能力の問題になってくる。主導するコミュニケーションのあり方を、実務実習までに身体に沁み込ませたい。

   Q:何か 心配や不安に思っていることはありませんか? → A:父親が同じ病気で亡くなっているので、かなり不安です。

 いたわりの言葉、共感の言葉、うなずきの表情や同情の視線などのボディランゲージで、患者の心や思いに寄り添う対応をした方が何名かいた。その方々の気持ちが、模擬患者の私にも伝わってきた。そして、そのような薬剤師の卵の存在に接して、素直に嬉しく、それ以上に頼もしく感じた。患者の不安に接して、明らかに、共感の表情に変わった方、チョッピリ涙目になった方もいた。
 患者視点とか患者本位の対応とは、患者の心配事や不安、さらに思いや要望などを、より正確に引き出すことであり、引き出した後に共有化して共に考えることにつきる。それが、患者に寄り添う姿勢の一つにもなる。それこそが安心と信頼のコミュニケーションへとつながり、いわゆる“かかりつけ薬剤師”の丈夫な根っこになる。
 いま指摘したことは、コミュニケーション能力の重要な基本要素である“相手の立場に立って考える、対処すること”の自然な表現例であり、日常のコミュニケーションにおいても無意識に出てくるものだと感じている。今後は、状況に応じたコミュニケーションのあり方を、もっともっと意識して訓練しながら成長し続けることを期待したい。知行合一なり。

●課題を乗り越えるためのあり方〔例〕
 私の場合、30年近く企業内教育に従事し、その中で延べ15年ほど、営業担当者の商談(新製品の売込み、購買促進策の提案、売場作りの提案など)ロープレ、管理者の目標管理の面談(目標統合、期末評価、日常対話)ロープレなどの企画、モデル演技、研修トレーナー、コメンテーターを経験してきた。
 そこで身につけた考え方やノウハウによる課題克服のあり方や方法例について、上記の感じとった課題別に考えてみた。

(1)あがり防止の良薬なし、と肚を括る
   ①“誰でもあがるものだ”と開き直る。
   ②繰り返し訓練する。自助努力が自信につながる。   
   ③目標必達魂を強化する。
※稽古は本番のつもりで!本番は稽古のつもりで!
(2)スタートダッシュで弾みをつける → 訓練で克服する    
    ・ドアのノック、入室許可の挨拶は、慌てず、優しく、スムーズに。
    ・患者に近づいて自己紹介。
(3)段取り八分
    ・演習毎に、日頃から段取りを設定して、本番に備えておく。
    ・その上で、今までの授業や実習を振り返って、所定の準備時間の中で、服薬指導に必要なツールを選別し、使う順番に
     セットする。
    ・トレイの置き場所は、最初から決めて臨む。
(4)準備万端整えること~備えよ常に
    ・準備した段取りに沿って、落ち着いて演ずる。
(5)服薬指導はお薬情報を活用して、患者と一緒になって読み合わせるように、指で指し示しながら、正確に伝える。
(6)終わり良ければ総て良し
    ・“立つ鳥後を濁さず”なり。病室を退室するまで、患者に対して信頼と安心を抱いて頂ける行動の習慣化を目指す。
    ・最後の「お大事に(なさいませ)」という一言は必須!!
(7)第一印象の良否はあなた自身の日頃の行動習慣の鏡
    ・四年次なったら、外見や態度・行動について、日常どうあるべきかを把握しておく。
     さらに、日々点検を心がけ、意識してあるべき行動を実践する。
    ・ロープレ時やらない人、できない人は、医療人失格と自覚したい。
(8)共感姿勢を表現するための言葉遣いやボディランゲージのあり方を、日頃から考えて実践する。 このことは、私が提唱してい
  る「薬剤師である前に一人の人間であれ」を具現化するための道程の一つではないか!、というのが私見でもある。
    ・個人で考えて実践する。
    ・身近な同窓生との意見交換や議論を通して、学びあうことも奨励したい。
    ・実務実習の指導薬剤師にも、自分自身が薬剤師成りたての頃を思い起こし、
                      実習生は未成熟であることを踏まえて、根気強い指導をお願いしたい。

              (2014.1.23記)

エッセイ62:あの玄関の大鏡は自身を映す鏡だった

 新聞や雑誌の切り抜きを、相も変わらず続けております。パソコンが普及し始めてからは、古臭いやり方と敬遠されてしまったきらいがありますが……。
 長年続けていると、月毎に毎年決まって取りあげられる記事の存在が判ってきます。
 12月初旬には、アルコールハラスメント、急性アルコール中毒に関する内容の記事が顔を出してきます。若者の“一気飲み”や“多量飲酒”を防止するグループや市民団体も、この時期に動き出すそうです。急死という悲劇が、今でも続いているからでしょう。今年も切り抜くことにしました。
 7年前につぶやいたエッセイの中に、「起こさない、起こさせない“急性コール中毒”(2006.2.20記」がありました。その時、急性アルコール中毒に関する知識の無さに気づき、関連する情報収集に時間を使いました。そのような過程を通して、様々なところに情報の在処が存在することも教えて頂きましたね。そのようなことも思い起こされたのでした。
 思い起こしついでに、私が所属していたI社の玄関先の光景が浮かんできました。
 その玄関先の大鏡の存在意義をつぶやいてみます。

あの玄関先の大鏡は自身を映す鏡だった。そして ……

 昭和53年からの8年間は、日用雑貨・トイレタリー、さらにサニタリー製品の卸売販売業I社に在籍して、営業の仕事に従事しておりました。30歳代のことです。
 営業先は、スーパーなどのチェーンストア本部、中小規模のスーパー、薬局・薬店、食料品店、雑貨品店などの小売業です。コンビニやドラッグストアのような新業態店の無い時代でした。
 社屋は奥羽山脈の麓近くにありました。その関係で冬季は風が強く、玄関には風除室がついていました。風除室で上履きに履き替ると、その先には大人二人分の身を映すことが出来るほどの大きさの鏡が、デンと構えていたのでした。
 当時はそれほど意識しておりませんでしたが、営業に出発する時と営業から帰ってきた時には、必ず鏡に向かって『ある点検』をしていたことが思い出されます。その点検は日課でした。
 出発時は、服装と顔の表情の点検です。とりわけネクタイは、キリッと締めてから靴を履き替えておりました。その頃から、第一印象で評価されることを、どこかで理解し意識していたのかもしれません。
 帰社時は、元気度と服装のチェックです。営業担当には、毎日の販売目標があります。その成否こそが、一番の元気の源になります。しかし、目標がクリア出来ればルンルン気分ですが、未達成の場合は、「ただいま帰りました」のトーンにも明らかに反映します。それも人間の姿なのでしょう。内勤の皆さんには、ハッキリと分かるのだそうです。ですから、余計な心配をかけまいと、それ以上にやる気が失せないようにセルフチェックをしていたのです。

 この鏡の発案者が誰なのか、その目的は何だったのか、在職当時は意に介していませんでした。それから数十年経った今、自分自身の今の姿を正直に映してくれる鏡の存在が、自分の周りに数多く存在していることに気づくようになりました。
 I社の玄関先の大鏡、私が日々接している方々との会話やお付き合い、行き交う人々の仕種や行動、地球上で起きている出来事、自宅の庭や自分が生活している場所、仕事の流儀、人生観や人間観、家族や友人からのアドバイス、もちろん洗面所の鏡…それらはみんな自分自身を映す鏡、映し出す鏡になるのです。
 さらに踏み込んで思いを巡らせると、そう考えられるようになった原点の一つが、“相手の立場に立って考えること”であり、自分:相手=49<51の比率によって、自分自身を映してくれる鏡の数は違ってくるのだろう、と感じているのです。本人の考え方次第なのではないでしょうか。

 今日は節分。追い出された鬼たちが走り回っています。鬼はソトー、福はウチー ・・・

                                                     (2014.2.3記)

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