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エッセイ63:薬学生の服薬指導演習にて模擬患者役を演じて

 昨年の10月から12月は、当初思い描いていたよりも密度の濃い3ヵ月間でした。いつもより頭を使わなければ進まない課題に挑戦した結果、そう感じたのかも知れません。
 12月には、新たな経験もさせて頂きました。それは、現役薬学生の服薬指導ロールプレイング(以下、ロープレ)の患者役を依頼されました。その経験から、薬学部5年生の実務実習受入れ医療施設の指導薬剤師の方の参考に供したい、或いは考えて頂きたい内容をレポートしてみました。
 尚、私が演じた患者役のロープレ内容は、心臓に病を抱えての検査入院二日目で、午前中の診断で処方された薬の服薬指導という設定でした。2日間で、23名の薬剤師役の方の患者を演じました。

薬学生の服薬指導演習において模擬患者を演じて

私が感じた薬学生の課題
(1)いわゆる“あがる”ことによって、保有能力を十分に発揮できないまま終了してしまう。
   *このテーマは、多かれ少なかれ誰もが経験していることである。経験が浅い段階ではなおさらだ。
(2)何らかの理由によって、スタートでつまずいてしまい、最後まで尾を引いてしまう。
(3)トレイなどのツールの置き場所が特定出来ないまま、無駄な時間を費やしてしまう。
  さらに、説明しながら薬袋や説明資料を何度か置き直してしまい、落ち着かないままの説明に終始してしまう。入院患者は、不安感
  いっぱいであることを鑑みれば、その不安感がさらに増長される可能性も考えられる。
    ※ツール:トレイ、処方薬、患者情報、お薬情報、メモ用紙、バインダーなど
(4)説明を始めようとするのだが、その説明用資料がどこにあるのか見当たらず、忙しなく探してしまう。それが焦りにつながってい
  る。
(5)クロージングの後、退室しないまま演技を終了した方が複数名いた。
  また、最後に「お大事に(なさいませ)」を言わなかった人が、数名ほどいたと思う。
(6)指導者から、身なりについての指摘や注意が複数回あった。私も同感であった。
   ①前髪の長さ(前髪で顔の上半分が隠れている。何度も前髪を手で払う人もいた。この動作は、本人が気付かないまま自然に
    行っている)、②爪の手入れ、③白衣の汚れやしわ、など。
(7)今回の想定問答の中には、薬剤師が服薬指導を主導できる(あるいは、コントロールできる)箇所が少なくとも一つはあった。正
  に、コミュニケーション能力の問題になってくる。主導するコミュニケーションのあり方を、実務実習までに身体に沁み込ませたい。

   Q:何か 心配や不安に思っていることはありませんか? → A:父親が同じ病気で亡くなっているので、かなり不安です。

 いたわりの言葉、共感の言葉、うなずきの表情や同情の視線などのボディランゲージで、患者の心や思いに寄り添う対応をした方が何名かいた。その方々の気持ちが、模擬患者の私にも伝わってきた。そして、そのような薬剤師の卵の存在に接して、素直に嬉しく、それ以上に頼もしく感じた。患者の不安に接して、明らかに、共感の表情に変わった方、チョッピリ涙目になった方もいた。
 患者視点とか患者本位の対応とは、患者の心配事や不安、さらに思いや要望などを、より正確に引き出すことであり、引き出した後に共有化して共に考えることにつきる。それが、患者に寄り添う姿勢の一つにもなる。それこそが安心と信頼のコミュニケーションへとつながり、いわゆる“かかりつけ薬剤師”の丈夫な根っこになる。
 いま指摘したことは、コミュニケーション能力の重要な基本要素である“相手の立場に立って考える、対処すること”の自然な表現例であり、日常のコミュニケーションにおいても無意識に出てくるものだと感じている。今後は、状況に応じたコミュニケーションのあり方を、もっともっと意識して訓練しながら成長し続けることを期待したい。知行合一なり。

●課題を乗り越えるためのあり方〔例〕
 私の場合、30年近く企業内教育に従事し、その中で延べ15年ほど、営業担当者の商談(新製品の売込み、購買促進策の提案、売場作りの提案など)ロープレ、管理者の目標管理の面談(目標統合、期末評価、日常対話)ロープレなどの企画、モデル演技、研修トレーナー、コメンテーターを経験してきた。
 そこで身につけた考え方やノウハウによる課題克服のあり方や方法例について、上記の感じとった課題別に考えてみた。

(1)あがり防止の良薬なし、と肚を括る
   ①“誰でもあがるものだ”と開き直る。
   ②繰り返し訓練する。自助努力が自信につながる。   
   ③目標必達魂を強化する。
※稽古は本番のつもりで!本番は稽古のつもりで!
(2)スタートダッシュで弾みをつける → 訓練で克服する    
    ・ドアのノック、入室許可の挨拶は、慌てず、優しく、スムーズに。
    ・患者に近づいて自己紹介。
(3)段取り八分
    ・演習毎に、日頃から段取りを設定して、本番に備えておく。
    ・その上で、今までの授業や実習を振り返って、所定の準備時間の中で、服薬指導に必要なツールを選別し、使う順番に
     セットする。
    ・トレイの置き場所は、最初から決めて臨む。
(4)準備万端整えること~備えよ常に
    ・準備した段取りに沿って、落ち着いて演ずる。
(5)服薬指導はお薬情報を活用して、患者と一緒になって読み合わせるように、指で指し示しながら、正確に伝える。
(6)終わり良ければ総て良し
    ・“立つ鳥後を濁さず”なり。病室を退室するまで、患者に対して信頼と安心を抱いて頂ける行動の習慣化を目指す。
    ・最後の「お大事に(なさいませ)」という一言は必須!!
(7)第一印象の良否はあなた自身の日頃の行動習慣の鏡
    ・四年次なったら、外見や態度・行動について、日常どうあるべきかを把握しておく。
     さらに、日々点検を心がけ、意識してあるべき行動を実践する。
    ・ロープレ時やらない人、できない人は、医療人失格と自覚したい。
(8)共感姿勢を表現するための言葉遣いやボディランゲージのあり方を、日頃から考えて実践する。 このことは、私が提唱してい
  る「薬剤師である前に一人の人間であれ」を具現化するための道程の一つではないか!、というのが私見でもある。
    ・個人で考えて実践する。
    ・身近な同窓生との意見交換や議論を通して、学びあうことも奨励したい。
    ・実務実習の指導薬剤師にも、自分自身が薬剤師成りたての頃を思い起こし、
                      実習生は未成熟であることを踏まえて、根気強い指導をお願いしたい。

              (2014.1.23記)

エッセイ62:あの玄関の大鏡は自身を映す鏡だった

 新聞や雑誌の切り抜きを、相も変わらず続けております。パソコンが普及し始めてからは、古臭いやり方と敬遠されてしまったきらいがありますが……。
 長年続けていると、月毎に毎年決まって取りあげられる記事の存在が判ってきます。
 12月初旬には、アルコールハラスメント、急性アルコール中毒に関する内容の記事が顔を出してきます。若者の“一気飲み”や“多量飲酒”を防止するグループや市民団体も、この時期に動き出すそうです。急死という悲劇が、今でも続いているからでしょう。今年も切り抜くことにしました。
 7年前につぶやいたエッセイの中に、「起こさない、起こさせない“急性コール中毒”(2006.2.20記」がありました。その時、急性アルコール中毒に関する知識の無さに気づき、関連する情報収集に時間を使いました。そのような過程を通して、様々なところに情報の在処が存在することも教えて頂きましたね。そのようなことも思い起こされたのでした。
 思い起こしついでに、私が所属していたI社の玄関先の光景が浮かんできました。
 その玄関先の大鏡の存在意義をつぶやいてみます。

あの玄関先の大鏡は自身を映す鏡だった。そして ……

 昭和53年からの8年間は、日用雑貨・トイレタリー、さらにサニタリー製品の卸売販売業I社に在籍して、営業の仕事に従事しておりました。30歳代のことです。
 営業先は、スーパーなどのチェーンストア本部、中小規模のスーパー、薬局・薬店、食料品店、雑貨品店などの小売業です。コンビニやドラッグストアのような新業態店の無い時代でした。
 社屋は奥羽山脈の麓近くにありました。その関係で冬季は風が強く、玄関には風除室がついていました。風除室で上履きに履き替ると、その先には大人二人分の身を映すことが出来るほどの大きさの鏡が、デンと構えていたのでした。
 当時はそれほど意識しておりませんでしたが、営業に出発する時と営業から帰ってきた時には、必ず鏡に向かって『ある点検』をしていたことが思い出されます。その点検は日課でした。
 出発時は、服装と顔の表情の点検です。とりわけネクタイは、キリッと締めてから靴を履き替えておりました。その頃から、第一印象で評価されることを、どこかで理解し意識していたのかもしれません。
 帰社時は、元気度と服装のチェックです。営業担当には、毎日の販売目標があります。その成否こそが、一番の元気の源になります。しかし、目標がクリア出来ればルンルン気分ですが、未達成の場合は、「ただいま帰りました」のトーンにも明らかに反映します。それも人間の姿なのでしょう。内勤の皆さんには、ハッキリと分かるのだそうです。ですから、余計な心配をかけまいと、それ以上にやる気が失せないようにセルフチェックをしていたのです。

 この鏡の発案者が誰なのか、その目的は何だったのか、在職当時は意に介していませんでした。それから数十年経った今、自分自身の今の姿を正直に映してくれる鏡の存在が、自分の周りに数多く存在していることに気づくようになりました。
 I社の玄関先の大鏡、私が日々接している方々との会話やお付き合い、行き交う人々の仕種や行動、地球上で起きている出来事、自宅の庭や自分が生活している場所、仕事の流儀、人生観や人間観、家族や友人からのアドバイス、もちろん洗面所の鏡…それらはみんな自分自身を映す鏡、映し出す鏡になるのです。
 さらに踏み込んで思いを巡らせると、そう考えられるようになった原点の一つが、“相手の立場に立って考えること”であり、自分:相手=49<51の比率によって、自分自身を映してくれる鏡の数は違ってくるのだろう、と感じているのです。本人の考え方次第なのではないでしょうか。

 今日は節分。追い出された鬼たちが走り回っています。鬼はソトー、福はウチー ・・・

                                                     (2014.2.3記)

エッセイ61:四半世紀も続けている私のあるオリジナル作法

 数ヵ月も前でした。些細なことでしたが、情けない失敗をしてしまいました。
 何とか解決し終わって、一週間ほど経ってからだったでしょうか。その失敗の原因が初めてではないということが、遠い昔の郷愁のような感覚として、漣のように押し寄せたのです。20年ほど前の同じような光景が、日が経つにつれて鮮明になって表れてくるのでした。
 なんで同じことを。それも厭きれかえるほどの初歩的ミスをやらかしてしまったのです。
 問題解決の基本として、口が酸っぱくなるほど、言い続けていることがあります。四直四現主義で事実確認することです。それに反して、経験則を優先させて、事実確認を怠っていたのです。中途半端な事実確認で済ませようとしたのです。先入観:事実確認=8>2状態だったのです。
 経験を重ねることで、その豊富な経験則で的を射ることが増えることも事実です。しかし、事と次第によっては、成功体験が通じないケース、過去の成功体験では通用しないケースも出てきます。かなり苦い経験もしました。
 今回は、ごく小さな問題であるという認識と、自分自身の多忙さにかまけてしまい、曲者である先入観が事実確認という基本プロセスを省いてしまったのです。結局、怠慢でしかありません。これでは、“学習効果の低い人”というレッテルを貼られても、受け容れざるを得ないことになりましょう。まだまだ未熟な自分自身であることを自覚して、謙虚に看脚下することにしました。常に、“初心忘るべからず”なのですから。
 そして、生涯未熟であることを心にしっかり留めて、私の座右銘でもあります“誠実に向き合って対処する”ことを、改めて実践しようと反省しております。そのためにも、今でもやり続けているある事をつぶやいて、基本のあり方を復習することにします。

四半世紀も続けている私のあるオリジナル作法

 研修の運営、講話、祝辞、スピーチなど、人前でお話しする時、もう26年以上も続けている作法を紹介させて頂きます。
 たとえ1分間の自己紹介であろうと、30分間の講話であろうと、さらに3週間にわたる合宿研修であろうと、全て同じスタンスでやり続けている井上のオリジナル作法です。
 それは、私の担当する全ての時間の原稿を一字一句作り、極力暗記して臨むということです。それを誠実に実行するためには、多くの時間を要することになります。それを承知でやり始めたのが、1988年(昭和63年)前後でした。私流の一定のフォルムに到達するまで、10年近い試行錯誤を繰り返したと思います。膨大な時間とかなりの費用を投下しました。

 その作法手順の骨子は、以下の様になります。研修トレーナーの場合で申しあげましょう。

〔ステップ1:受講者の教育ニーズの把握とねらいの確定〕
 研修受講対象者の教育ニーズを把握し、ねらいを明らかにして確定します。それは、研修コース全体とカリキュラム毎に設定します。

〔ステップ2:ストーリーの策定(全体、各カリキュラム)〕
 研修全体のストーリーを考えます。確定したストーリーに沿って、カリキュラムの順番を策定します。この段階は、研修全体の成果に大きく影響する肝心要の部分になります。
 何かの都合を優先させたり、教育機会の消化主義などで、カリキュラムを意図もなくランダムに並べることだけは、よほどのことがない限り認めません。ですから、それが3週間続こうとも、全てのカリキュラムを私自身が運営できるよう努力します。
 進め方、運営ツール、教材、補足資料なども、この段階で企画し作成します。
〔ステップ3:カリキュラム毎のトーク原稿の作成〕
 全てのストーリーが確定したら、カリキュラム毎に、主要なキーワードを吟味して選択し、所要時間に沿って一字一句原稿を作ります。何度も見直しをかけますから、この作業に一番時間を要します。時間を惜しまずに推敲します。ここは二つ目のキモになります。
 同じカリキュラムでも、受講対象者の職種、役割、職歴、経験年数が異なることもあります。その場合は、受講者のプロフィールに則して、原稿内容も作り変えます。

〔ステップ4:原稿の暗記とロールプレイングの実施〕
 原稿が出来たら、一字一句暗記します。何度も何度も声を出して、納得するまで暗記します。実施日が近づくと、寝床についても、朝起き掛けの布団の中でも、リフレインする日々が続きます。事前準備の最終難関になります。

 この作法を自分が当り前に習慣化するための歯止めとして、T販売時代には、私が担当する全カリキュラムをビデオ撮影しました。気になった部分は、何度か見直して改善することを課したのでした。10年間は続けました。
 講話、スピーチ、祝辞の場合も、基本的には上記ステップと同じ手順を踏んでおります。

 さらに付け加えておきたいことがあります。それは、何故、そのような作法を四半世紀以上も続けているかということです。
 理由の一つは、一月のエッセイ第55回「目の前のことに集中して全力投球(2014.1.3記)」で申しあげました。
 以下、それ以外の理由をご紹介して、今回のつぶやきを締めたいと思います。

①目の前の受講者、聴き手と向き合い対話しながら進めるために、顔をシッカリと見て、その方々の反応を観察しながら、その都度のねらい実現を目指したい。対話を通して、潜在意識と潜在能力を引き出したい。 
②話す内容と言葉に魂を籠めて、自発的やる気を引き出したい。 
③失言、放言の防止。
④何よりも、参加してよかった、受講してよかった、と感じて頂きたい。
⑤一知半解はご法度にする。

                                             (2014.1.15記)

エッセイ60:大きな本屋さんにて、そして県立図書館にて

 今回のエッセイは、昨年12月につぶやきましたエッセイです。

大きな本屋さんにて、そして県立図書館にて

 昨年11月下旬のある日、9時半に家を出ました。午前中は本屋さんのはしごをしました。午後2時過ぎからは岩手県立図書館を訪れました。
 欲しい書籍があったわけでもありません。時々やるタウンウォッティングであり、書店ウォッティング、書棚ウォッティング、書籍ウォッティングです。
 圧倒的な質量の本を目の前にして、今年一年の心の垢を落とすことにしました。

 多くの本屋さんの難点は、購入候補の本を置いていない場合が多いことです。取り寄せすると、返本は利きません。私の場合、内容を確かめてから購入したいので、ついつい在庫切れの頻度が低い本屋さん(以下A書店)を利用することになります。
 A書店では、検索用のパソコンで、該当する本の取り扱いと在庫の確認が出来ます。他の本屋さんならば取り扱っていないと想定される本も、ほとんど間違いなく取り扱っています。私の場合、当てが外れたことは稀です。
 A書店のフロア面積はどれ位でしょうか。200坪はありましょうか。担当の方に取り扱っている書籍数を訊ねましたが、笑顔のみで回答は得られませんでした。答えられないほどの書籍数なのでしょう。
 岩手県立図書館は、4フロア合計で10,590㎡(約3210坪)の広さだそうです。受付と閲覧スペースのある3階部分は4,186㎡(約1,270坪)で、かなりゆったりとした閲覧席があります。現在の蔵書数は706,658冊で、収蔵能力は153,5万冊とのこと。(岩手県立図書館ホームページ、平成25年3月31日現在)

 想像を絶する圧倒的な質量の知の中に埋もれていると、人間一人ひとりがいかに小さな存在であるかを窺い知ることになります。思い知らされることになります。世の中は、そのような人間の集合体として息づいているのではないか、と考えてしまいます。
 そう考えると、等身大で謙虚に生きていこうと安心して思えてきます。誠実に精一杯生きていこうと思えてきます。
 そう考えていくと、改革だとか、変革だとか、つかの間、どうでもいいことのように思えてきます。小さな改善を積み重ねることの方が、ずっと自然のような気がしてきます。

 今年数多く使った言葉を振り返ってみました。
 謙虚、誠実、真摯、努力……。
 これら(謙虚、誠実、真摯、努力)に勝る知恵はないように思えてきます。私のような凡人にとっての知見であり経験則かもしれません。
 多くの知識の中を泳いでいると、ついつい何かと比べて、自己満足の優越感に浸っている自分が恥かしくなります。肩肘張って強がっているのが惨めに思えてくるのでした。
 そんな、平成25年11月下旬の一日でした。

                                                                        (2013.12.14記)

エッセイ59:小さい自分運動も、気負わず積み重ねていけば力になる

 早いもので、年が改まってから3ヵ月目になります。昨日は、この数ヵ月分の切抜きの整理と整頓を行いました。
 一日おいた今日の午後、心に残っていることをつぶやきます。

小さな自分運動も、気負わず積み重ねていけば力になる

 新聞記事であれテレビ番組であれ、年末年始のマス媒体のコラム、インタビュー、ドキュメント、その他特集・特番などからは、教わることや気づかされることが、掘り出し物のように出てきます。
 ここ数年、私自身の年末年始の過ごし方に変化がおきつつあります。ユッタリとした感覚を味わえるようになったことでしょうか。否、あることを境に、そうしたいという思いが強くなったのです。
 日常の忙しないペースとは異なる、ゆっくりとした時間の流れから産み出されているだろう無意識の心の余裕(ゆとり)が、謙虚に学ぶことを後押ししてくれているように感じます。ほんの数日間ではありますが、私にとって貴重な時間帯となりつつあります。その余裕を産み出してくれている要因が何なのか、ちょっとばかり考えてみました。
 同居する家族、離れている暮している家族、年金制度、安心で円滑なコミュニケーション、目標、日々の謙虚な振り返り、お気に入りの音楽、世界に類を見ないであろうこの国のインフラ、認め合える友人・知人、私を必要としてくれる仕事環境・人間関係、…… もっともっと在りそうです。
 考えれば考えるほど、周りのことに目いっぱい感謝しなければいけないことが解ってきます。そのような環境の中で生きていることに、キチンと感謝しなければいけません。心の底から感謝しなければ、バチ(罰)が当たってしまいそうです。

 さて、昨年末に、東京都内で出版社「ほんの木」を営む柴田敬三(68歳)さんのことを知りました。私の人生の一年先輩にあたるのでしょうか。
 先ずは、「ほんの木」のホームページにログインしました。
 柴田さんは、株式会社ほんの木代表、ブログマガジンの主筆・編集長で、人呼んで「世直しおじさん」、「闘う老働者」と自己紹介されていました。

 柴田さんのお話しの中で、特に気に入った表現が在りました。
 それは、「気軽にできる自分運動」という表現です。自分運動という言葉が、現在の私にピッタリな気がするのです。直ぐに気に入ってしまいました。しばらくの間、その表現を拝借しようと思います。
 ここ数年、若い方々に対して繰り返し強調しております「積み重ねは力なり」の一法として、“小さな自分運動”を奨励したいと考えたのです。
 つまりは、身の丈にあった小さな自分運動を気負わずに積み重ねて、自分自身の力を徐々に蓄えていこう、積み上げていこう、ということを申しあげたいのです。急がば回れなのです。コツコツこつこつ積み上げていくことが、結局、私にとって最適な自己啓発方法であり、私たち誰にとっても、最も確実な成長戦術なのです。
 そのことを気づかせてくれた柴田敬三さんに感謝したいと思います。
 もう少しで、東日本大震災から丸三年になります。

                                                         (2014.3.2記)

エッセイ58:“教育担当者に求められるもの”の一考察 その3(最終回)

 今回が、“教育担当者に求められるもの”の最終回になります。
 是非、企業の壁を取り払って、お互いの意見や考えの交換をしたいものです。そこから相互理解に発展し、相互啓発が実現できることを祈念したいと思います。

“教育担当者に求められるもの”の一考察 その3(最終回)

Ⅲ.求められる心構え・態度・スキル

1.心 構 え
  (1)赤々と燃える成長願望を持ち続ける
  (2)自ら率先して学ぶ人になる:教うるは学ぶの半ばなり
  (3)良好な人間関係を作る:ヒューマンリレーション作りの達人になる
     *相互理解 → 相互受容 → 相互信頼 → 相互支持:「和」の確立
  (4)分りやすい言葉で話す:考えが貧弱だと、言葉も貧弱で分かりにくい
  (5)理解と納得の話し方をする:必ず結果とその理由・根拠をセットで
  (6)基本をよく知り、マネジメントに精通し、顧客の声によ~く耳を傾け、
     ・洋の東西の哲学(倫理)を知り、自社・他社を研究し、社員を知る
  (7)人のやる気の起こし方を、充分に知っている。そして、皆が生き生きとしている風土にする
  (8)人材育成・企業内教育に関する理論・技法を身につけ、知行合一を実践する
  (9)教育の要諦は、諦めずにやり続ける:継続は力なり、積み重ねは力なり
  (10)「我以外皆我師也」という謙虚で真摯な共育魂を持つ

2.態 度
  (1)情熱
  (2)誠実・正義感
  (3)共に考える姿勢:教育は共育なり
  (4)自分自身を客観的に観察できる冷静さ:離見の見
  (5)謙虚に看脚下:教わるとは?

3.ス キ ル
  (1)教育理念と教育体系の構築、策定:教育とは?
  (2)教える内容の深い知識と経験:相手を納得させ、やる気を喚起する
  (3)教え方の知識と技能
  (4)人をひきつける対人関係能力、互いに浸み込んでいくコミュニケーション能力
  (5)健全で柔軟な判断力
  (6)問題意識、想像力、感受性
  (7)的確な問いかけ、問題提起:応答は問いに依存する

                                                                      (2013.11.3記)

エッセイ56:“教育担当者に求められるもの”の一考察 その1

 今から10数年前になりましょうか。『企業内教育の活動指針』と名づけて、今後の私の仕事遂行のプラットフォームとしての個人的な手引きをまとめました。
 表現した文言は、それまで直接間接を問わず教えて頂いたこと、体験しながら学んだこと、などを整理してまとめたものです。決してオリジナルの内容ではありませんから、発表できるものではありません。しかし、“若い教育担当者の参考に供したい”という思いから、今回から三回にわたりましてご紹介させて頂きます。
 活動指針はいくつかの単元で構成されております。その中の一つ“教育担当者に求められるもの”を、加筆修正してご紹介させて頂きます。それらが全て納得頂ける内容とは思っておりません。企業内教育に携わっている方々との相互啓発の材になればと希望しております。
 意見交換の場が実現出来ると良いですね。実現すれば、ただただ嬉しい限りです。
“教育担当者に求められるもの”の一考察 その1

Ⅰ.人材育成の基本テーマは何か?

1.社員一人ひとりの考え方や心構えを変革すること。そして“自発的やる気”を喚起すること
   (1)“健全な心構え・判断基準とは何か”を、しっかりと肚に落とすこと
    ・“人間尊重(Yの心)”を基本的信念に
    ・4S志向:CS(顧客満足)、DS(生活者満足)、PS(患者満足)、ES(従業員満足)
    ・自己責任意識、目標必達魂、チャレンジ精神
    ・CSR(企業の社会的責任)の追求
   (2)必ず行動変革へ結びつけること:仕事が教材(On the Job Learning)
    ・方針と目標を明確にして、全員に明示する
    ・目標達成のための方途を考える、考えさせる
    ・目標と具体的計画を合意する
    ・目標の進捗状況を確認して、納得するまで共有化する
    ・対話を通して、“背中を押す”、“誉める・叱る”、“勇気付ける”
    ・納期がきたら客観的に評価する。その結果をフードバックして、評価奨励する
     *やる気=自己確信(自信)×自己動機づけ

2.心を耕して、人間性を磨くこと
     *自助力(自力で生きていける力)と共助力(周りの人と一緒にやっていける力)を身につけて、
                                                “いつでもどこでも誰とでも協働できる人”を育てる。
   (1)謙虚に素直に看脚下することの習慣化、当り前化
   (2)利害関係にとらわれない、お役立ちの心を持つこと
   (3)人の痛みを知り、その痛みを自分の痛みとして自覚し、自己を厳しく律すること(自律心)
   (4)個人の尊厳を大切にし、権威主義に陥らないこと(倫理観、道徳観)
   (5)社会や組織の秩序を維持し、社会や会社の諸規程・規律を率先して遵守すること(規律性)
   (6)言ったことや決めたことを実行にうつすこと(誠実)

3.問題発見能力と問題解決能力を高めること。そして、継続的業績向上に結びつけること
   (1)仕事の進め方の基本であるPDCAサイクルをスパイラルアップすること
   (2)問題意識と感受性・好奇心を引き出すこと
     ・3W(なぜ・なぜ・なぜとWHYを3回繰り返す)思考の習慣化
     ・“何かおかしい、ちょっと変だ”と感じたら、立ち止まって視る/観る/診る
   (3)問題提起をする時は、必ず対案を出させること
   (4)試行錯誤を奨励すること、歓迎すること
   (5)失敗にこそ宝物が隠されていることを気づかせること

                                                           (2013.11.3記)

エッセイ52:考えても答えの出ないことがある。そんな時のレーダー役の一つが志の強さ!

考えても答えが出ないことがある。そんな時のレーダー役の一つが志の強さ!
 
 新社会人はもとより、特に若い方々に強く申しあげていることがあります。
「“問題解決の思考プロセス”を、今の内から意識して身につけなさい」ということです。ベテランと言われる皆さんにも、自己点検して頂くこともあります。
 私が申しあげます“問題解決の思考プロセス”は、三つのステップから構成されています。
 最初のステップは「観る、聴く、感じる」です。第2ステップが「考える、組み立てる、掘り下げる」で、最後のステップは「表す、伝える、説得する」になります。
 今回のエッセイでは、「考える、組み立てる、掘り下げる」について、考えてみたいと思います。

 観察、傾聴を繰り返し、想像力を発揮して考えても、掘り下げてみても、なかなか答えが見つからない場合があります。見つけられない場合があります。人によって違うのでしょうが、私の場合、特に40歳台半ばまでは、四苦八苦の連続でした。
 経験不足、知識不足もあるでしょう。誰かが手を貸してくれるだろう、そのうちどうにかなるだろう、という甘えと希薄な責任感が原因だったこともあるでしょう。
 今、振り返って看脚下してみると、明らかな原因の一つがハッキリと見えてきます。
 それは「志の弱さ」です。ほどほど意識であり、脆弱な意欲が原因なのです。
 考えても考えても答えを見いだせない時は、フットワークで探し回るしかありません。動き回って、時には頭を下げて教えを請うほどの強い志こそが、光明をもたらしてくれるのです。
 余程のことでなければ、いくらでも方途はあるものです。コツコツ積み上げてでも達成したいという強い志があれば、どうにかなるのです。
 
 私が就職活動中の薬学生の皆さんで、お会いした全員に唯一申しあげていることがあります。
 それは、「あなたはどのような人間になりたいのですか?」、「あなたはどのような薬剤師になりたいのですか?」、「あなたの理想とする人間像は?」、「なりたい理想の薬剤師像は何ですか?」 ということです。
 “就職活動の結果は、一人ひとりの思いの強さ、志の高さに比例する”というのが、この十数年間の採用経験から得た私の考え方になります。その意を年々強く感じながら、「理想とする人間像」、「目指す薬剤師像」という志(初志)を、思い切って公表する“天高く舞い上がれ初志プロジェクト”(仮称)を企画し、多くの薬学生に気づいて頂く啓発的活動の実現にも思いを馳せている最近の私なのです。

                                                             (2013.10.16記)

エッセイ51:感謝と感動を通して感受性を磨こう!

 レクイエムという種類の音楽があります。カソリック教会における死者の葬儀のためのミサ曲で、日本語では鎮魂曲と訳されています。
 何人の作曲家のレクイエムが存在するのでしょうか。私には定かではありませんが、その中で聴く機会の多い二人の作曲家のレクイエムを取りあげてみます。
 先ずは、フランスの作曲家ガブリエル・ユルバン・フォーレ(1845~1924)のレクイエム作品48です。46年前になりましょうか、東京薬科大学合唱団時代の第10回記念定期演奏会で歌った曲です。テノールパートは、今でもほとんど覚えています。もう声は出なくなりましたが、口ずさむくらいは可能です。心に沁みる美しさと心をほぐす安らかさは、とりわけ女性団員に人気がありました。手許には三種類のCDがあります。
 一つは、名演の誉れ高いアンドレ・クリュイタンスの指揮によるEMI盤です。独唱は、ロス・アンヘレス(ソプラノ)とフィッシャー=ディースカウ(バリトン)です。二つ目は、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮、オルケストル・レヴォリュショネーレ・エ・ロマンティークとモンテベルディ合唱団によるフィリップス盤、そして、ボーイソプラノを起用したジョージ・ゲストとケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジ聖歌隊のロンドン盤になります。
 もう一曲は、神童と呼ばれるウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)のレクイエムニ短調K.626です。これもお気に入りの曲です。
 良く聴くのが、カール・ベームの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン国立歌劇場合唱団によるドイツ・グラモフォン盤です。また、CBSソニーから出ているヘルムート・リリング指揮、シュトゥットガルトバッハ管弦楽団&合唱団のCDも所有しております。
 ちなみに、モーツァルトとフォーレ、そしてイタリアの作曲家ジュゼッペ・F・F・ヴェルディ(1813~1901)の作品が三大レクイエムと言われているそうです。今年はヴェルディ生誕200年に当ります。その80分のMESSA DA REQUIEMの演奏会が多いのではないでしょうか。
 
 今回のエッセイ、最近感じていることをつぶやきましょう。

感謝と感動を通して感受性をより深く磨こう!

 今年も、若い方々と共に学ぶ機会がありました。私の三分の一ほどの年齢の方々です。何もかもが未熟であった私の40数年前を思い起こさせてくれます。私にとりましては、年齢に相応しい行動のあり方を学ぶ機会にもなるのです。これからも継続出来ることを願っております。
 また、社会に出て20年になる40歳台前後の方々とも、不定期ながら勉強する機会もあります。その方々は、私の半分近い年齢になります。様々な社会経験を積まれていらっしゃいますから、自分なりの判断力をお持ちの方々でもあります。
 先日、私が担当します3時間ほどのセミナーがありました。社会経験豊富な方々10数名にご参加頂きました。始まって直ぐに、非常に気になることを感じ始めました。
 それは、一緒に学んでいるのですが、砂に水が浸み込むような感覚になれない人たちの存在です。そこを解決しないと、学んでいる意味が無くなってしまいます。学んでいる時間が無駄なだけではなく、考え方や心構えがマイナス方向へと流れてしまいかねないからです。
 のっけから、現状の自分自身の考えや心構えが全てで、それ以外の考えには耳を傾けようとしないのです。発する言葉からは、教えて頂いているという感謝の念は見当たりません。あれでは感動することも明らかに少ないと思いました。何が何でも、自分の発言が正しくて、自分の考えや希望を認めてくれることしか念頭にないのです。何のためにセミナーに参加したのか、不可思議以外の何ものでもありませんでした。
 特に問題だと感じたのが、30歳台から40歳台前半の皆さんでした。かなりの人生経験を積んでいます。それなりの判断が出来る年齢でもあります。しかし、人間ですから、勘違い、間違い、不勉強で知らないことも多くあります。その認識が欠如しているのです。感情的になってしまい、手に負えない場合もありました。

 つくづく感じたのでした。
 日常の出来事、日常の人間関係に対して感謝する努力、感動する努力こそが、何よりも大きなテーマではないかと思えてきたのでした。やはり、行動理論を正すことを繰り返し問いかけることしかない、問い質すことを諦めてはいけないと実感させられたのでした。
 感謝と感動経験を通して感受性がより深くなるのだと思います。磨き上げるためには、長所短所を併せ持った他人を認めることから始めなければなりません。人間同士分かり合えないことがあることも認めながら、認め合う努力をすることから始めなければなりません。それなしに自分のことを認めてください、というのは傲慢で自分勝手と評されても致し方ないでしょう。
 教育担当の使命の一つは、可能性を拓くことです。可能性を拓くコツは、自分自身の足元を謙虚に見つめ直すことです。客観的に棚卸しすることです。そのための努力をし続けるしかありません。挫折感でいっぱいになることも覚悟しながら、感謝と感動を通して感受性を磨きあげる努力をすることを問い質していこうと思います。そのことを自覚させて頂いたセミナーでした。

                                                        (2013.9.10記)

エッセイ47:5年目を迎えた学び塾にズームイン

 今回のエッセイは、このエッセイの筆者であります私が主宰しております“学び塾”につきまして、6月中旬につぶやきました内容をご紹介させて頂きます。
 この学び塾のホームグランドは福島県です。東日本大震災と福島原発事故を乗り越えて、塾生の熱意で継続している塾です。

5年目を迎える学び塾にズームイン

 学び塾がスタートして丸4年になりました。転職や転勤などの理由で、初回のメンバー数は半分以下になりましたが、メンバーの絆や継続の意志は変わりありません。
 片道4時間を物ともせず、無欠席の方がいらっしゃいます。学び塾のモットーである「もっと学びたい、もっともっと学びたい。だから教えてください」という自主的成長意欲旺盛な皆さんの集まりなのです。設立主旨が竜巻で吹っ飛ばされない限り、自力で継続してまいります。私も片道2時間強の移動時間ですが、全く苦にもなりません。私を育てて頂いた方々や世間様に対しての、せめてもの恩返しなのです。
 6月9日(日)の第11回学び塾は、「素直な心とは雨が降ったら傘をさす」という呼びかけでスタートしました。それは、ある程度の経験を積んだ以降に発症し勝ちな“わかったつもりになって、何故?と考えることをしなくなる”思考停止病の予防ワクチンとして接種するためです。人間は気が緩んでいないと思っていても、微細な隙間から緩みの芽が発生していることがあります。そんな私の老婆心からの忠告です。学ぶ時には「頭を空っぽにすること」の再確認にもなります。
 塾生の社会人歴年数は、最長で8年間、最短でも4年間になります。皆、高い問題意識を維持して、目の前の仕事に精一杯向き合ってきました。気がつけば、かなりの数の経験を積みあげてきました。その成果として、提起した問題や課題に対して発する意見や考え方から、成長の後が伺えるようになりました。
 学び塾の目玉カリキュラムはコロキウムかもしれません。今回の学び塾で、全員が第2回コロキウムの発表を終えました。2回目のコロキウムでは、全員が同じ課題に挑戦して頂きました。全員が同じ研究課題に取り組み、“①薬剤師の職能を果たすための原点となる志を再構築して、自分の言葉で解りやすく表現出来るようにする”、“②一人ひとりの志を青図に描いて、塾生全員の共有財産とする”というねらいです。
 研究課題は「私の考える地域医療実現のための“かかりつけ薬局”の姿」とし、具体的な概念図を用意し、それを10分間スピーチで発表する形式にしました。東日本大震災、福島原発事故を経験したことが、研究課題解決の主柱になりました。
 いくつもの仕事経験や試行錯誤を通して、一人ひとりが目指す薬局像、薬剤師像が社会人一年生の時と比較しても、幅が大きく広がり奥行きもかなり増していることが実感できました。
 何よりも、この4年間で、私の問題提起に対する反応度が明らかに違ってきました。反応速度のアップはもちろんですが、内容と提起理由への反応度合いが格段に高くなっているのです。反応度が高いということは、提起する問題について既知状態にあり、それも言葉だけではなく内容についても理解している比率が高くなってきているということです。
 それは、ビジネススキルの基本に関すること、マネジメントやリーダーシップに関することなど、共通専門能力(全て職種に共通して必要な専門能力)が身についてきていることを示しています。様々な課題に直面しながら、最終結果が何であれ、様々な苦悩や試行錯誤を通して獲得したのではないでしょうか。人間を成長させてくれる教材は、日々の仕事と生活の中にこそあるのです。学び塾の4年間だけではなく、社会人になってからの出来事と誠実に向き合って、コツコツこつこつ努力し対処して積みあげた結果が見てとれるのです。「観る、聴く、感じる」、「考える、組立てる、掘り下げる」、「表す、伝える、説得する」という問題解決の思考プロセスも身についてきたように感じております。
 これらの成果が、いつ、どこで結実するか、それは誰にも分からないでしょう。私が問いたいのは、“一人ひとりの考えている顧客に対して、現在の等身大の努力を継続しましょう”ということにつきます。
 五年目を迎える学び塾、これからは、マネジメントや人材育成の基本のほかに、もっと難しい課題への取組み、さらにステップアップした内容を要求するコロキウムなどを通して、コンセプテュアルスキル修得を意識した学びの機会を提供していく考えでおります。全人的共育こそが、学び塾のカラーなのです。
                                                                                      (2013.6.15記)

〔参考〕第3回コロキウム実施要項
1.ねらい
(1)薬剤師の顧客に対して、健康増進や予防医療などの啓発活動を、能動的に実施出来るようにする。
(2)町の科学者として、生活者に対して積極的な働きかけを行うためのあり方とやり方を追究する機会とする。
(3)幅広い視野と多様な着眼点を身につける実践的共育機会とする。
2.研究課題など
(1)研究課題:「薬剤師の顧客に対する啓発的講演を行う」
   ①内容:顧客(講演対象者)を特定した上で、各自の考えで設定すること。
        尚、“講演内容を何故選定したのか”は、スタート時に必ず言及すること。
   ②演題:各自が考える。ただし、講演対象者が演題から講演内容が理解できるように工夫すること。
(2)時間:40分間(最大50分間まで可とする)
(3)資料:レジュメは必ず用意して、そのレジュメにメモ書きが出来るようにする。
      必要と判断した補足資料があれば、各自の判断で用意する。

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