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エッセイ143:指揮者は、演奏家と聴衆への情熱の火つけ役でなければならない

 エッセイ141回では、常に意識している私の行動指針“偉大な教師は心に火をつける”について考えてみました。「19世紀の英国の哲学者・教育学者ウィリアム・アーサー・ワードの至言です」と、過去のつぶやきエッセイでも紹介しております。
 今回、ウィリアム・アーサー・ワード(或いは、ウォード)について改めて調べてみると、出身国も生存時期も別の記述を見つけました。米国ルイジアナ州出身で1921年に生を享け1994年に亡くなられたこと、職業もいくつかの説があって、牧師、著述業、教育家ともいわれているようです。どちらが正しいのかは不明(今回のデータに分がありそう)のままですが、“偉大な教師は心に火をつける”以外のワードの至言にも出会いました。私にとっては、納得できる名言です。機会を改めて取りあげたいと思います。
 その141回の前文では、「教師という表現を、教育担当、人事担当、部下を持つマネジャーなどに置き換えて、人材育成が主要任務の方々の不易の心構え、或いは自戒・自省の行動指針として引用していること」を付け加えました。最近とみに、“心に火をつける”という意味が、組織運営や人材育成においてはもちろん、芸術文化、スポーツの世界など全ての分野のリーダーに共通する重要な要件だと感じております。今回のエッセイでは、そのように感じる事例として“心に火をつける”を考えてみたくなりました。そう考えながら、綾小路きみまろ調の“あれから50年…”ではありませんが、ほぼ50年前のあることを思い出しております。一昨年傘寿を迎えられました、当時の私たちの恩師のピュアな宣言です。

指揮者は、演奏家と聴衆への情熱の火つけ役でなければならない
 1967年(昭和42年)の私は、東京薬科大学薬学部薬学科の3年生でした。部活動は、部員数100名を誇る学内最大会派の東京薬科大学合唱団(以下、東薬合唱団)に所属しておりました。
 月火水木金土の午前は講義、昼食後の30分間は部活のパート練習、午後は講義或いは実験と部活に明け暮れていました。日曜日は何らかの部活の行事がありましたから、年中ほぼ無休の毎日だったことになります。周りからしてみれば、〝馬鹿〟という愛称(?)がつくほどの合唱&合唱団大好き人間の集まりだった、と回想しております。
 その年の11月17日(金)からは、執行部の一員として、良い音楽を探求したいという純な志を前面に押し出しての新体制がスタートしました。率先垂範、試行錯誤、沈思黙考、不言実行、……。不安と手探り状態の中で、思い返して評すれば不器用ながらも生真面目な日々が続きました。それは、100名を超す大所帯の組織運営の難しさにもがき苦しみながらも、一人ひとりが自己責任を果たそうと行動していた姿でした。そんな未熟ながらも一所懸命な私たちは、新指導者をお迎えすることになりました。武蔵野音楽大学大学院卒の声楽家・指揮者で32歳の早川史郎先生です。
 先ず、早川先生の簡単なプロフィールを紹介させて頂きます。当時は、東京都内の女子高の教員でした。その後は、童謡の作曲、幼児音楽教育の道に進まれて、聖徳大学、東洋英和女学院大学などの教授を歴任されました。その間、NHK教育テレビの小学1年生向け番組「わんつー・ドン」において、4年間(1992年~1995年)“リズムの史郎おじさん”として出演されています。また、今年の『寛仁親王牌童謡こどもの歌コンクール』(童謡を歌い継ぐ歴史的コンクール)グランプリ大会では、審査委員長を務められました。(今第31回大会には2,600組が参加)現在、日本童謡協会理事、作曲、執筆など精力的な活動を続けていらっしゃいます。
 今回のエッセイで紹介したいのは、当時の東薬合唱団の機関誌「ハーモニー」への寄稿記事(特集「音楽性・クラブ性」)です。「東薬合唱団の皆様へ」と題した早川先生からのメッセージは、 “初めて聴いた第11回定期演奏会の率直な感想”から始まって、“先生の目指したい合唱音楽の方向性と実現可能性”、“東薬合唱団員への思い”、そして“より優れた合唱団へと発展させるために感じている責任感、期待感”などが、約4,300字も敷き詰められていました。そして、指揮者の役目として、こう結んでいるのです。
   “指揮者は、演奏者と聴衆への情熱の火つけ役でなければならない”…… と。

 その当時、その思いをどれだけ意識していたか、理解できていたのか、私の記憶には残っておりません。ただ、先生と一緒になって、良い音楽を追求しようという気持ちで練習に励んだことは、今でも自信を持って言い切れます。卒業してからは、私の心のどこかに、“情熱の火つけ役…”という文言が焼き付いていたのだと思います。それは、ワードの“… 偉大な教師は心に火をつける”に出会って、私の心が即反応したことで明らかなのです。
 こんなこともありました。翌年(昭和43年)11月8日(金)の第12回定期演奏会の3~4か月前、先生はご自身のスケジュール手帳を差し出して、こう言われました。“11月8日までの練習日程を全て記入してください。11月8日までは、君たちが決めたその日程を最優先にします。…… ”と。第12回定期演奏会は、私たち最上級生はもちろん、先生にとっても1年間の集大成の発表の場であり、正に演奏者(東薬合唱団員)と聴衆(約1,800名動員)への情熱の火つけ役であったかを問われる場なのです。早川先生の“共に”という意思表示に、私たちの心の火はさらに燃え上がったのでした。

 もうお一方、紹介させてください。
 北欧のマエストロと称されるカール・ホグセット(75才)さんです。現役の合唱指揮者、そして声楽家(カウンター・テナー)でもあります。母国ノルウェーで合唱団を創立し、数々の国際コンクールで優勝に導いていらっしゃいます。
 2016年11月20日(日)、27日(日)のNHK・BS1で「奇跡のレッスン 世界の最強コーチと子どもたち『合唱』」がオンエアされました。ホグセットさんが、臨時コーチとして東京都杉並区立杉並和泉学園混声合唱部(中学生)を指導されたドキュメントです。小中一貫校の杉並和泉学園合唱部員は18名(男子3名、女子15名)で、昨年のNHK合唱コンクールでは予選落ちしているレベルの合唱団です。
 1週間の指導でした。その中で、ホグセットさんの発する言葉と接する態度・姿勢から、人材育成の普遍的なあり方を学びました。その土台が、“聞いている人の心を動かす”というホグセットさんの音楽観です。それは、ワードの“偉大な教師は心に火をつける”、早川先生の“指揮者は、演奏者と聴衆への情熱の火つけ役でなければならない”と同義だと直感しました。
 番組で紹介されたホグセットさんの語りを紡いでみましょう。
 先ず、合唱の目的についてです。それは、“観客の心を動かすのがゴール”、“目指すのは、聴いている人の心を動かす歌”であることです。そして、目的実現に至るプロセスとして、“合唱指揮者は火をつける人でなければいけませんエネルギーを送ることで、一人ひとりの心の中に大きな炎が燃え上がるのです”と。さらに“一人ひとりの心が燃え上がったとき、その火が一つの大きな炎となって、合唱として私に返ってくる。その時初めて、音楽が観客の心に届くのです”と続きます。また、今回の指導を通して子供たちに伝えたいことを、シンプルに表現されていました。それは、“音楽のすばらしさ”であり、“歌うことを通して、曲の豊かな響きやメロディ、歌詞の意味を伝えたい。音楽が持つエネルギーや愛を感じて欲しい”ということなのです。

 “心に火をつける”も“情熱の火つけ役”も、そして“聴いている人の心を動かす”も、“自発的やる気を喚起すること”ではないでしょうか。そこに行き着きました。人生経験を積み重ねる毎に、このような考え方が理解できるようになりました。共感できるようになりました。さらに、これらの指針とその真意を、後輩にキチンと問いかける行動を継続していかなければいけません。等身大で良いから、これからもコツコツ積み重ねていきます。
 余談になりますが、50年前の早川先生との出会いから学んだこと、ホグセットさんと18名の中学合唱部員から学んだことが、エッセイ141回の本文執筆を後押ししてくれたと思います。

                                                              (2017.5.28記)

平成29年度なかたシップ2

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 平成29年度2回目の開催となりました、中田薬局インターンシップ「なかたシップ」の実施報告です。 
 8月7日(月)~9日(水)の日程で、首都圏から同じキャンパスで学んでいる2名に参加頂きました。お二人とも5年生で、実務実習の合間を縫ってのアクティブな来釜となりました。台風5号の影響もあって、見学移動には難儀しました。最終日には公共交通機関の運行にも影響が出て、なかたシップの運営のあり方の勉強にもなりました。
 余談になりますが、参加者1名の出身高校が栃木県作新学院でした。9日(水)の夏の甲子園高校野球全国大会では、岩手県代表盛岡大付属高校と作新学院高校が1回戦で激突したこともあって、話題に事欠かない三日間となりました。
 以下、今回の主なスケジュールを紹介したいと思います。
 
[初 日] 平成29年8月7日(月)
   移動時間の関係で、今回は入宿だけになりました。
   首都圏の学生にとって、“東日本大震災被災地の様子を知りたい”というニーズが高く、今後の運営内容を見直す必要性を感じ   ております。

[二日目] 平成29年8月8日(火)
  ・オリエンテーション
  ・これからの薬剤師のあり方、調剤薬局の方向性を考える
    *東日本大震災の釜石方式、チームかまいしによる地域包括ケア、他職種連携の実際など
  ・実務担当者(薬剤師)による居宅療養管理指導の実際
  ・介護施設の見学
  ・特別養護老人ホームでの全職種参加のカンファレンス見学
  ・介護福祉士&ケアマネジャーによるヴェトモン キャップ コピー医療介護連携事例紹介、他職種からの薬剤師への期待
  ・二日目の振り返り、まとめ、レポート作成
  ・現役薬剤師との懇談会

[三日目] 平成29年8月9日(水)
  ・オリエンテーション
  ・在宅医療における薬剤師の役割
  ・患者様宅在宅医療同行見学
  ・三日間の振り返り、まとめ、質疑応答、感想発表

 実施にあたりまして、前回同様に、患者様を始めとして、介護施設様、特別養護老人ホーム様のご協力を賜りました。心から感謝申しあげる次第です。有難うございました。
 患者様宅同行(今回は全4件)では、看護師と薬剤師による同行も1件ありました。貴重な体験だったと思います。
 なかたシップ1の参加者は6年生でしたから、“就職活動のあり方、進め方”も取りあげました。今回は5年生でもあることから、将来を考えるための本質的着眼点について、問題提起を中心に私見を投げかけました。
 “学ぶことが大好き”というお二人にとって、有意義な実務実習につながることを祈念しております。
                                                              (人材開発部 井上和裕)

エッセイ142:成長の道筋は、いかにして行動の継続を維持し続けるか

 私の基本的な仕事作法は、PDCAサイクル(別名:マネジメントサイクル)をスパイラルアップすることです。頑固に、ぶれずに実行し続けております。
 その三つ目のステップであるCは、結果とそこに至る道筋を評価・検証することですが、それは二つの原因ついきゅう(追求&追究)という旅なのです。この段階で重要なことは、このプロセスを通して、学習能力、状況判断力や応用力が、徐々に磨き上げられるということを意識して取り組むことです。修破離でいえば、離に連なる破の段階といえましょうか。
 大げさな気もしますが、この追求&追究の旅は人生の縮図を実感させられる旅でもあります。評価結果の成否はともかく、そこに至る過程の中には、必ずと言っていいほど、きれいに割り切れない要因が絡まり合っています。掘り下げるほどに、絡まり方が複雑に見えてきます。理不尽と思われる無理難題、何とも納得のいかないことなど、いくつも浮き彫りになることがあります。パワーハラスメント的な押し付け、責任の所在が不明確、曖昧なチーム運営実態、メンバー間のコミュニケーション不足、取組み意欲の問題、さらには手柄の横取りなど、会社では“これは変だぞ。何かおかしいぞ”ということ、理屈だけでは解決に至らないことが、いくつも出てくるものです。
 だからといって、“止~めた”というわけにも参りません。それでは無責任ですから。逆に、解決に至らなくても、割り切れない要因も全て俎上に乗せて明らかにすることが、次のステップであるA(Action)に好影響を与えてくれます。それ以上に、納得のいかない割り切れない要因が、心を耕す教材になるのです。私の場合、振り返って冷静に反芻してみれば、いくつもの気づきが湧き上がってきます。受け止め方次第でしょうが、C(Check)こそが仕事の腕前や心構えのあり方を磨き上げる教材になると思います。私の場合、そう言い切れるようになりました。
 具体的な事例をご紹介すれば分かり易いでしょうが、その多くは生々しくもありますので控えたいと思います。言えることは、それらの体験が、傾聴・観察の必然性を教えてくれました。自分:相手=49<51の考え方を指し示してくれました。その姿勢を貫くことが、私の解釈する誠実の一つとなりました。だからでしょうか、長い間『誠実』が私の座右銘でした。そして、“誠実に勝る知恵無し”というフレーズを、常に意識するようになったと思います。

 もう一つ、身についた仕事作法から気づいたことがあります。その気づきを6年ほど前に公式として表現しました。職種や職務経験年数を問わず、研修などのOFFJTでのまとめでお話する機会が増えております。その公式を、今回のエッセイで紹介させて頂きます。

成長への道筋は、いかにして行動の継続を維持し続けるか

 紹介したい公式は、結局、私の経験則から行き着いたものです。しかし、オリジナルといえるものではありません。どなたもがご存知のキーワードを掛け合わせたものです。

     成果・成長 = 根気 × 積み重ね × 継続

 “成果や成長に結びつく秘訣は何だろうか?”、“目指している目標を達成するコツは何か?”…。
 “教育とは何か?”と同じように、教育担当に従事して以来、いつも頭から離れない私自身への問いかけです。私の独り合点かもしれませんが、“成功するまでやり続けること”というのが、現時点での結論となります。この回答がきっかけとなって、『成果・成長=根気×積み重ね×継続』が生まれたのでした。

 つぶやきエッセイで、何度も繰り返し強調した行動指針があります。
「継続は力なり」、「積み重ねは力なり」です。それも、継続と積み重ねの二つ要因は、別々にではなく“共に”の関係ですよ、と申し上げております。
 長い仕事人生において、新しい職種や職務に配置転換しなければならないことが出てきます。また、経営環境の激変によって、仕事のあり方が抜本的に変わることだってあります。これからの時代、今まで以上の速度と頻度で、誰に対しても起こり得ることでしょう。
 今まで経験したことのない仕事に従事するとなれば、新たな職務遂行能力を身につけなければ組織全体の機能が低下してしまいます。知識・技能だけではなく、仕事の進め方やツールなどのシステム的側面も含まれます。意識しなくても自然と出来るようになるまで、仕事を通して訓練し続けるしかありません。何十回、何百回と繰り返し実践して、無意識に心身が動くようになるまで鍛錬するしかないのです。
 鍛練とは、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」(「五輪書」宮本武蔵著より)という表現の通り、千日の訓練で基本的な技が身につき、万日の訓練でその技が練りあげられて名人の域に達する、ということです。千日は三年間、万日は三十年間ですから、苦しい訓練に耐えながら、繰り返し積み上げる努力なしには為しえません。つまり、新たな職務遂行能力やセルフコントロール(自己統制)できる力が身につくまでには、かなりの日数と訓練が必要だということです。頭で思い描くほど容易くはないのです。成果を上げ続ける、考えたレベルまでの成長を果たすには、“鍛錬しか道はない”と腹を括り、腰を据えて努力するしかありません。鍛錬というのは、結局、毎日の地味な基本の積み重ねなのです。そして、その積み重ねは、行動の継続があって成り立つことから、『積み重ね×継続』ということになるのです。スピード、即戦力、効率性が優先される時代には、気にかけて頂けない考え方かもしれませんが……。
 一方、継続といっても、急にハードルを高めて、通常の2倍も3倍も努力し続けることは簡単ではありません。ちょっと気が緩めば、“3日坊主でお手上げ”が関の山でしょう。そこで、自分の限界のせいぜい1.1~1.2倍程度の継続努力をお奨めします。さらに、3日坊主も陽転思考で乗り切るのです。“3日坊主、10回繰り返すと30日”というように。
 日本プロ野球界の至宝である王貞治氏の一本足打法を編み出した故・荒川博巨人軍元コーチは、このように表現されています。「毎日やることが大切。努力というのは毎日の積み重ね。だから、決して休んではいけない」と。
 イチロー選手は、野球少年たちに対して、こう語りかけているようです。「人の2倍とか3倍も頑張るなんてできない。だから、自分の中でちょっとだけ頑張る、というのを重ねて欲しい」と。自らのMBLでの実績を振り返っての実感だそうです。

 ここからは、“いかにして行動の継続を維持し続けるか”についての私見になります。
 このテーマも特効薬はありません。一言、根気(或いは、気力)という心の姿勢です。克己心と自己責任意識で持ち続けることです。
 根気というと、忍耐とか我慢のイメージがつきまといます。私の年代であれば厭わないかもしれませんが、今の時代では通用しそうにありません。そこで着目したいのが、志と目標(ビジョン)を明らかにして、誰のためでもない自分のために対処することです。私の場合、その過程で、“やりたい”、“やってみたい”という意欲へと昇華していきました。そして、いつの日からか、この公式(成果・成長 = 根気 × 積み重ね × 継続)に辿り着いたのです。
 もう一つ、これを忘れてはいけません。根気から逃げ出さないための対処法です。これも私の経験則になりますが、“一日一スモール・サクセス・ストーリー(ほんの小さな成功例)”の積み重ねが有益だと思います。一日一善を積み重ねるのです。数年、いや場合によっては、もっと長いスパンでの小さな成功例の積み重ねこそが、成長の一番の決め手ではないでしょうか。

 こう考えてきますと、いかにして対自競争を克服するか、にかかってきますね。私の70年間を振り返って、私自身が納得できる対自競争に打ち克つ方程式があるとすれば、以下のような結論になります。
 “目の前のことを一所懸命やりましょう”、“目の前の課題から逃げないで誠実に対処しましょう”という、当たり前の行動姿勢です。一所懸命も誠実も、誰にでもやれることです。そうすれば、結果が何であれ、悔いが残らない可能性が高くなります。鍛練というのも、一所懸命やり続けることであり、誠実に対処し続けることだ、と確信できるのです。
 私は、そんな毎日の地味な基本の積み重ねを、一生涯続けていくことにしております

                                                                      (2017.4.24記)

エッセイ141:私が心がけているヤル気の点火剤は?

 今の時代の現役教育担当から、どれだけ共感して頂けるのだろうか? 全く計り知れませんが、出会ってから意識し続けている行動指針があります。それは、19世紀の英国の哲学者・教育学者ウィリアム・アーサー・ワードの至言です。
 
      凡庸な教師はただしゃべる。
        良い教師は説明する。
          優れた教師は自ら示す。
            偉大な教師は心に火をつける。

 教師という表現を、教育担当、人事担当、部下を持つマネジャーなどに置き換えて、人材育成が主要任務の方々の不易の心構え、或いは自戒・自省の行動指針として引用しております。
「心に火をつける」とは、“やる気を引き出すこと”。正に、教育の語源であるEDUCOのことです。さらに、その火は実行動へと受け継がれなければ元の木阿弥となります。意識と行動をセットで変革に導いて、はじめて“火をつけた”と言えましょう。私は、そのように解釈しております。
 人の心に火をつけるためには、力のある言葉を学びとり、その言葉の使い方を吟味し、心に届く眼差しと雰囲気をもって、心に響く話し方で、全力投球することを忘れてはいけません。問いかけ続けること、問い質し続けることを忘れてはいけない、と心に刻んでおります。
 今回のエッセイは、心に火をつける剤には何があるのか、一緒に考えてみたいと思います。

私が心がけているヤル気の点火剤は?

 エッセイ126回(日常の教育機会の指導ポイント)の復習からスタートしましょう。
 その指導ポイントの一つ「部下や受講者のやる気・好奇心・感受性を高めて、想像力を養い発揮させる」は、全4項目の中でもハードルの高いテーマです。しかし、避けて通ることの許されない根源的なテーマなのです。難しい課題ではありますが、そう意識しながら、根気強く働きかけていけば、徐々にやる気や感受性が高まっていくことを、何度か体験してきました。その体験を信じて働きかけていけば、自ら学ぶことを楽しんでくれる様子が、雰囲気として感じられるようになります。“勉強が楽しくなりました”、“生まれて初めて学ぶことが好きになりました”と、照れながら発する人も出てくるのです。
 実際に指導する際のコツは、小さな努力をコツコツ継続させて、スモールサクセスストーリーを積み上げさせることに尽きると思います。この場合、仕事の進め方の土台として、“目標によるマネジメント”の定着が前提となりますが、この件は別の機会に取りあげたいと思います。
 一方、現実はどうかと言えば、思うような成果に結びつかないことや失敗の方が、はるかに多いのが実態ではないでしょうか。その比率(成功率<失敗率)から察すれば、日々の失敗から学ばせることはさらに重要なのです。そして、“毎日の小さな努力を、何年も何十年も積み重ねるしか道はないと覚悟させること”は、もっと大切だと思えてきます。経験の浅い段階では何も見えてきませんが、辛抱強く行動させ続けていけば、的確な問題意識が拡がっていく感覚が芽生えてくるものです。やる気はもとより、好奇心も感受性も、そして想像力も高まっていくのです。成長度合いを確認し合いながら、より積極的な行動姿勢を引き出し、継続行動を促して粘り強く育んでいくことではないでしょうか。
 エッセイ141のスタートとして、心に火をつける上での基本的な考え方を申しあげました。ここからは、今回のテーマである心がけている点火剤の正体について、話を進めたいと思います。

 先ず、最初に明言しておきたいことがあります。人材育成を任務とする方々の行動姿勢についてです。
 何が点火剤の正体であるかは、“一人ひとりが試行錯誤を繰り返して、自力で考えて見定めよ”ということです。“本気になって究明しなさい”と、ハッキリ申しあげておきましょう。正体を意思決定したなら、間髪入れずに当たり前に実行することです。描いた目標のレベルまで、満足できるレベルまで、克己心で追求し続けるだけです。言葉にすれば簡単そうに思えるかもしれませんが、相当量の努力と覚悟が必要となります。自らの手で掴み取るしかありませんから、実践行動の積み重ねが不可欠です。正体が何であるかを知ることは簡単であっても、スキルに辿り着く時間距離はオリンピック並みと心得てください。だから、“克己心で… ”と付け加えたのです。
 ここからは、私が心がけている点火剤の正体をつぶやいてみましょう。

 企業内教育に従事する教育担当者にとって、社員との信頼関係なくして任務を果たすことは不可能でしょう。友好的な関係を築くことはそんなに難しくはありませんが、信頼関係は容易く構築できるものではありません。確固たる指針と信念無しには、本物の信頼関係には至らないと思います。その信頼関係樹立のために、私は五つの行動指針を掲げております。
 「⓵目の前の課題に、自ら進んで取り組むこと(率先垂範)」、「②真剣に、一所懸命立ち向かうこと」、「③最善を尽くすこと」、「④先ず受け入れてみること(肯定的に、前向きに)」、そして「⑤誠実に全力投球すること」です。
 五つ目の「誠実に全力投球すること」は、私が心がけている一番の行動指針です。これだけは“手を抜かない”と決めた指針なのです。納得するレベルに行き着くまでには、何度も苦い経験を味わいました。ある時から、誰が何と言おうと「誠実に全力投球すること」と、自分の心に誓いました。一所懸命働きかけていると、真剣に耳を傾ける人の存在を感じるようになりました。ぶれずに全力投球し続けていると、表情や姿勢からやる気を感知できるようになります。私が真剣であれば、私の真剣さが伝わる感覚が認識できるようになりました。

 「井上さん、今日も全力投球でしたね。……」
 20年以上前になりますが、この一言は私の背中を後押ししてくれました。3日間の新任マネジャー研修の反省会において、系列会社のある教育担当が発した感想です。それ以来、全力投球という評価は、私にとっての最高の励みの言葉になりました。そのような評価を支えに、ここまで人財育成の志事を続けられていると思います。さらに、実現が難しくても全力投球で対処しさえすれば、年齢に関係なく、まだまだこの志事が続けていけると思えるのです。
 もう少し掘り下げて、点火剤の正体を考えてみたいと思います。紹介した私の行動指針を支えてくれる心的側面の存在です。それは、「愛情」、「情熱」、「本気」のトライアングルです。「熱意」、「誠意」、「根気」と言い換えても良いでしょう。五つの行動指針とは、車の両輪の関係ですね。これらとの関わりが成否の鍵を握っている思います。
 一方、状況にもよりますが、心的側面はストレス源へと変化することもあります。教育担当にとって、常に抱える心の重しになることが考えられるのです。それは、教育の成果が表れるまでには、かなりの時間を要するところにあります。研修を実施した翌日から、成果が表れるような簡単な問題ではありません。5年、10年、20年と経験を積み重ねながら、気がついたら積み重ねた教育の効果が出てくるものだと思います。ですから、ストレスを感じたならば、こんな視点で打っちゃってください。
  「効果が出ないからと止めてしまっては、未来永劫ダメになる。教育はそんな簡単に成果が出るものではないと。

 私の目標の一つは、“人間的魅力をもっと高めて、影響力を発揮できるようになることです。今回のテーマである心がけている点火剤の正体は、私に合った目標達成の行動指針であることが再確認できました。繰り返して申しあげます。人材育成が任務の皆さんには、メンバーの心に火をつけるオリジナル点火剤を、日々意識して追求して頂きたいと思います。
                                                                         (2017.4.5記)

エッセイ140:「考えるとは?」を、行為レベルで考える

 平成29年3月卒者の就職活動(以下、就活)が本番の時期になりました。
 私が新卒採用を担当するようになって、かれこれ31年になりましょうか。16年前からは薬学生がメインとなりました。初めて薬学生と接した時、多くの薬学生の就活実態に大きな衝撃を受けたことが思い出されます。“これが薬学生の就活なんだ!?”、“これで良いのだろうか?”、“これで通用するの?”というような、意識の低い緊張感が希薄と受け取られても致し方のない実態に、ただただ唖然としたのでした。その光景が、今でも頭から消えることはありません。
 就職先の方向性を訊くと、病院の比率が高かったですね。調剤薬局が続きます。さらに、その理由を問うと、採用担当者として耳を傾けたくなるような返答が、(余りにも)少なかったのです。それも、10人10色ではなく、概ね同じようなグレー系の色合いでした。
薬剤師の任務をどう捉えているのか知りたくて、“薬剤師法第一条には、何が書かれてありますか?”と確認をします。残念ながら、満足な回答が得られないのです。薬剤師法第一条のタイトルさえ答えられない方がいました。怪訝そうな視線で、その場を立ち去る学生もいました。現在でも大差ありません。何十年間も続いている薬剤師超売り手市場が、問題意識の希薄な視野狭窄ステレオタイプの薬学生を、自立心の乏しい受身タイプの薬学生を量産してしまったように思います。
 採用側にも問題がありそうです。求職学生一人ひとりが自社の求める人材像にマッチしているか、そのことを採用担当者がキチンと評価してしているのだろうか、という疑問です。さらに、人間的側面や個性、将来の可能性など、どれだけ多面的に観察評価して内定を差しあげているのだろうか、…… 疑問が膨らみます。薬剤師不足であることを理由に、人物評価は二の次で薬剤師の卵に内定手形を乱発している姿勢に対する私の問題意識は、変わることなく失せないのです。
 薬学部で学んだ方々の職能は、想像以上に間口が広くバラエティーに富んでいる、と私は考えています。そこで、“将来何をやりたいのか”、“どのような人間を目指したいのか”、“学んだ学問で何を見出したいのか”、“どのような仕事で社会と共生したいのか”、“学んだ学問を活かしてどのようなことで社会と関わっていきたいのか”、そして“どのような薬剤師になりたいのか”、などを明らかにすることが就活の出発点、と薬学生には長いこと問いかけております。しかし、そんな私の問いかけに対する反応は、ますます薄くなっているように感じます。一方、その程度の就活でも、他の職種に比べて職を得ることに困ることがありません。そんな風潮を横眼で見ながら、企業研究の基本的なあり方に対する疑問は、相変わらず膨らむ一方なのです。最近では、他人事のように眺めるしかできない自分に対しても、自虐的に腹が立ってしまいます。
 しかし、私は諦めずにアドバイスしたいと思います。
 『薬学生よ、もっともっと己の心身全体を使って、これから何十年も続く自分の将来を真剣に考えなさい。薬剤師の職能は国民から負託された誇るべき任務であることを覚悟し、自分自身の生き方と人生観を明確にすることから逃げないで、自己責任意識で意思決定しなさい』と叫びたいのです。薬学を修めた者の職能の巾を狭めないで、視野を拡げいくつもの着眼点を動員して考え、自分の将来を決めて欲しいのです
 そんな思いを募らせながら、“考えるとはどうすることなのか?”を啓発的に綴ってみたいと思います。エッセイ第93回(2015.5.30記)を、人材育成という視点で教育担当者向けに書き直してみました。

「考えるとは?」を、行為レベルで考える

 何かにつけて便利さが優先される世の中になりました。
 コンビニエンスストアでは、そのお店の取扱商品であれば1年365日24時間購買することが出来ます。いつでも入手可能ですから、生活者には買い置きの必要性が薄くなります。何らかの事情でも無い限り、必要になった段階で買いに走れば事足りるでしょう。事前にあれこれ考えなくても、日常生活に支障をきたすことも少なくなりつつあるのです。流通企業にとって、消費者ニーズを先取りした利便性追求競争は、今後も生き残り策の一環として激化していくことでしょう。
 そのような中での私の(老婆心的な)心配事は、便利さが進展すればするほど、全身を使って考える必要性が減っていくことです。別の言い方をすれば、思考停止が徐々に進んでいきはしまいかという危惧のようなものです。それ以上に恐ろしいのは、そのことに気づかないばかりか、日常生活における問題意識が低下してしまうことではないかという気もします。
 もう一つは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」現象が、相も変わらず気になることがあるのです。災害にしろ、不祥事にしろ、突発的な事故にしろ、取り返しのつかないような経験を教訓として、備えを疎かにしてはいけないことへの格言なのでしょうが、その出来事がいつの間にか忘れ去られてしまうのも実状なのです。「人の噂も七十五日」の通り、特に他人事であれば、時の経過とともに多くの出来事は消え去っていくのです。大多数の生活者がそうであるように、日常生活で精一杯の状況であればあるほど、その傾向は無理からぬことと思いながらも、「喉元過ぎれば…」のような事態に気づいたなら、私自身に対する自戒として、こう言い聞かせると決めています。
 そのような傾向は誰もが持ち合わせている人間の必然的心理現象と認めた上で、“喉元過ぎても熱さを忘れない。考え続けるべし”と。
 
 ここからは、前途有為な若人に物申したい、特に薬学生に物申したいと思います。日々の生活では、些細なことでも“何か変だ?”と思うことがありますね。そんな時に、ちょっと立ち止まって想像の羽を広げることは無駄なのでしょうか!感受性も、好奇心も、問題意識も、無益なのでしょうか!私には関係ないからと、面倒だからと、その場の雰囲気に流されて向き合うことを止めて良いのでしょうか!思考停止に近い状態で、今後の人生を歩んで良いのでしょうか!……
 私は思います。考えるという行為こそが、将来の生きがいに辿り着くプラットフォームだと。そこで、現状実態に気落ちしながらも、考える行為の啓発目的で、“考える”ということを「○考」という形で表現してみました。

      足考:行動することは、足で考えること。
      手考:メモすることは、手で考えること。
      口考:言葉に感情を添えて表わすことは、口で考えること。
      目考:観察することは、目を凝らして考えること
      頭考:感じること、疑問に思うこと、興味を抱くこと。
               そして、掘り下げること、組み立てること、深化させることは、頭を使って考えること、脳で考えること。
      耳考:傾聴することは、耳を研ぎ澄まして考えること。
      指考:温もりや肌触りを感じることは、指先を使って考えること。
      顔考:思いや情緒を表情に表すことは、顔全体で考えること。
      心考:相手の気持ちを想像することは、心で寄り添って考えること。
      書考:書き表すことは、言葉に魂と思いを添えて考えること。

 こうやって視点を変えてまとめ直してみれば、考えるという行為の巾の広さと奥行きが見えてきます。これらの「○考」は全て考える行為を表しています。これらの「○考」を認識して、日々全身で考えるという行為を実行することは、脳活性化の自己啓発になります。視野拡大につながります。ちょっと意識してその気になれば、「○考」の機会は身の周りに数多く存在します。ステレオタイプが巾を利かせている昨今、考えることの意義、考える行為の実例を掘り下げながら、問題意識を高める行為の実践を奨励し続けたいと思います。

 最後にひと言。
 本文の冒頭で申しあげた便利さを、全て否定している訳ではありません。決して、全てを悪者扱いしているのでもありません。大切なことは、少しでも納得のいく意思決定を可能にするには、全身を使って考えることではないか、ということを問いかけたいのです。考えないまま借用で済ますことは、責任を放棄したことになります。考えることの躾化は、一生涯の修養道だと思います。
 人事教育担当として31年間、ほとんど毎年のように新卒新入社員の育成に直接関わってきました。学歴は様々です。16年前からは、ドラッグストアや調剤薬局での新入社員研修に携わるようになりました。それ以来、つくづく感じていることがあります。それは、議論が弾まない、という実感です。課題解決を目的としたグループ討議では、議論内容の深まりが期待できなくなりつつあるのです。考える必要性を感じなくなったのか、考える余裕がないのか、考える行為が滅びつつあるのか、…… 。何故そうなのか、ずっと考えさせられています。そんな私のトラウマが、今回のエッセイを書かせたのかもしれません。
                                                            (2017.3.26記)

エッセイ139:「備えよ常に」&「準備万端整える」

 30年近くも続けている私の行動指針の一つが、“備えよ常に”という理念の下で、“準備万端整えること”を何が何でも実践することです。研修であれ講演・講話であれ、依頼されて受諾した教育機会は、可能な限り予定日の一ヶ月前までには実施可能の状況にすることを、イの一番の指針と決めて守り続けてきました。この指針は、未熟の度合いが高いほど、時間をかけて取り組まなければならないルーティン的課題だと思い続けています。
 そんな仕事作法を堅持しながら、一方でつくづく感じていることがあります。それは、仕事であれ、学びであれ、“準備不足が横行していませんか!”という皮膚感覚です。準備内容の貧困化と言っても過言ではありません。
 かなり以前のある時から、“想定外という言い訳は恥かしいこと”と自分自身に言い聞かせて、どのような事態が起きたとしても最低限の任務を果たすことができる作法を特定し、その作法を当り前に実践し維持し続けている人こそが、本物のプロフェッションなのだと思うようになりました。その不易の日常的作法の一つが、何度もしつこく言及している“備えよ常に”と“準備万端整える”なのです。最近、その重要性を後押ししてくれる方に出会いました。
 つぶやきエッセイで何度も取りあげました「備えよ常に」と「準備万端整える」を、改めて考えてみたいと思います。

「備えよ常に」&「準備万端整える」

 上野由岐子投手(以下、上野さん)をご存知でしょうか。
 日本女子ソフトボール界のレジェンドであり、今でも至宝と評されるほどの現役アスリートです。2004年アテネ五輪銅メダル、2008年北京五輪金メダル獲得の立役者である上野さんが、岩手県出身の二刀流大谷翔平選手(以下大谷君)との速球王対談を行ないました。一昨年12月下旬、朝日新聞紙上にその対談内容が掲載されました。上野さんの試合に臨む心がけから、目標達成のためには、いかに準備が重要であるのかを掬い取ることができたのです。そして強く申しあげたいこと、シッカリ気づいて頂きたいことは、それは名声あるアスリートだから為し得ることなのではなく、未熟で力不足の我々こそが、その何十倍もの準備を積み重ねることを示唆しているということなのです。

 大谷君の「大事な試合の前日にすることはありますか?」という問いかけに対して、上野さんはこう回答していらっしゃいます。
 「相手に関することやコンディショニング、道具とか準備にはきりがなくて、無駄のないものだと思っています。大事な大会になればなるほど相手より一つでも多く準備した者勝ち、という気持ちでいます
 さらに、「北京の時、ソフトボールが五輪競技として最後の大会だったので、これでソフトボール人生が終わってもいい、という思いでした。これでやって負けたら仕方ない、と思える準備ができたと自分は思っています。だから、結果を出すことができた。ですから、もう1回五輪に向かうとなると、またあの準備をするのかと思うとちょっと踏み切れないですね。それくらいすべてをかけて臨んだ
 また、「私は自分の目標が達成できるまで毎日、日記をつけていました。そうすることでやるべきことが見えてきた」、「中学の時からそこそこボールが速かったので、捕手の構えたところに投げないと取れないというケースが多かったんです。捕手が親指を突き指とかしていたので。その子を思って投げていたので、コントロールはつきました」とも答えていました。

 上野さんの一言一言から、言い続けてきた「備えよ常に」、実践し続けてきた「準備万端整える」に、希望のような明かりが灯った気がしております。天賦の才の持ち主が、想像もつかないほどの努力(準備)を積み重ねているのです。私のような名もない人間こそ、“準備万端整えることができなくなったなら現職を辞する”くらいの矜持を持って、日々の課題と向き合いたいと思います。

 折角の機会です。改めて「備えよ常に」と「準備万端整える」を復習してみたいと思います。
 日本ボーイスカウト愛知連盟のホームページによれば、「備えよ常に」は、世界各国のボーイスカウトの共通のモットーだそうです。イザという時に備えて、どのようなことに出会っても、必ずやり通せるように、日頃からいろいろと準備しておく、という意味なのです。言い方を変えれば、どんなことにも直ぐに応じられる心構え、身構えを持って、“いつでも準備ができているぞ”という態勢の証明でもあるそうです。
 仕事でいえば、やりがいのある仕事を任された時、それをやり遂げられる能力開発を、日頃からコツコツやっておこう。自己啓発による積み重ねを怠らず、日々、心技体を磨き上げておこう、ということになりますね。
 「準備万端整える」とは、事前準備を万端整えるということです。「万端」の「万」は、数の多いことを言いますが、「端」は単なる“端っこ”ではなく、“時局多端”とも言うように“キチンとやらなければならないこと”を指します。その心は、数の多さではなく、やるべきこと、やらなければならないことを、百パーセント準備して事に臨むことが“勝利の唯一の方程式”だ、と言うことになりそうです。

 もう一つ、備えにしろ、準備にしろ、その具体的内容を考える際の大前提も重要です。私が意識している以下の三つの前提を、皆さん方には是非考え頂きたいと思います。

 【前提1】最悪の事態(結果、プロセスなど)を想定しておく。
 【前提2】“行動や結果の責任は自分でとる”、“自分のことは自分で守る”と肚をくくる。
 【前提3】“平時でも、有事においても、自分の能力以上のことはできない”と自覚する。

 三つの前提は、今まで受講した自己啓発研修やテレビ番組などから教えて頂いたことです。
 前提1は、私が企画し運営する教育機会では、ほとんどの場合に実践している指針になります。何事においても、不測の事態や失敗は起こり得ることですから、最悪と判断した事態を想定して備えることが、イザという時に対処できる度合いが高まると考えております。タガの緩んだ付け焼刃の備えでは、想定外の場合には役に立たないことを、何度も経験し見てきました。
 前提2は、自己責任意識を意味します。自分の将来は自力で意思決定する、行動結果に対しては責任をとる、ということです。備えに対する心構えが他人任せでは、有事の際に何も対応できないことは自明の理です。自己責任意識が根底にあるからこそ、万全の準備が実現可能になります。
 さらに、イザという時には、即断即決しなければ間に合いません。そこで前提3に行き着きます。
 能力開発、自己啓発の重要性が、何故問われるのでしょうか。理由はいくつかあると思いますが、“日常においても、有事においても、自分の能力以上のことはできない”という経験則が前提にあるからではないでしょうか。現社会で生きていくからには、“将来への備えを自力で行うことは当たり前である”と、自覚しておかなければいけないでしょう。“将来に対する備えは義務である”という気概で、日々能力開発に励むことです。生涯学習の所以は、そのようなところにあるのかも知れません。
 以上の三つの前提が全てとは思いません。自然災害が起きるたびに叫ばれる対応への警笛、失敗や不祥事が表面化した時に言及される防止対策の必要性 ……。難題ではありますが、ボーイスカウトのモットーに立ち返って見直さなければ、根本解決に至らないと思うのです。

 最後に、何度でも申しあげます。
 「備えよ常に」も「準備万端整える」も、仕事だけに限ったことではなく、日常生活においても相通じる躾化すべき不易の作法だと。
 そして、備えは予防医療のプラットフォームでもあるのです。
                                                                     (2017.3.17記)

エッセイ138:コミュニケーションの品質は、事前期待と事後評価の相対関係で決まる

 アラフィフ世代の知人から、次のようなメールが届きました。5年以上も前から、エッセイの定期便をお送りしているTK販売時代の後輩です。親御さんの体調が芳しくなく、病院への送迎が日課になっているそうです。メールの一部を紹介したいと思います。
 『毎日のように病院へ送迎していますが、お医者さんにも看護師さんにも、そして薬剤師さんにも意見したいことがたくさんあります。なかでも一番感じていることは、どんなに歳をとっても一人の大人として扱って欲しいということです。忙しい中で、何人もの患者さんを診る側からすれば細かいな…、と思われるでしょうが。言葉遣いであったり、態度であったり、仕切りすらない薬局で他の患者さんの前で薬剤師さんに病状を聞かれたり……。医療現場だからこそもう少し気遣いが欲しいなと思ってしまいます。(以下、略)』

 『病気になってクリニックで診てもらう時、いつも疑問に思っているのだけれども…』と前置きして、遠慮がちに感想を漏らした隣人もいました。
 『医師に症状をいろいろ訊かれます。診断されて処方箋をくれます。それを持って近くの薬局に行くと、今度は薬剤師から同じような質問をされたり、アンケートを記入させられます。時には、医師以上に詳しく訊ねられることもあります。一方的に質問をされることには納得いきません。何故訊くのか、その理由を言ってくれれば話す気にもなるのでしょうが。熱があって具合すぐれない時には、かなりつらいし、早くして欲しいと思います』

 もう一つは、私自身の体験感想文です。
 昨年のことでした。薬学生の実務実習受入れ実績のある某調剤薬局を利用させて頂きました。抗生剤など5日分、痛み止めの頓服薬、含嗽剤の5種類の処方箋調剤のためです。投薬時に訊かれたことは、“風邪ですか?”だけでした。訊かれたというよりも、先入観から発し勝ちな決めつけと感じました。ちなみに、病状は風邪ではなく鼻腔近くの咽喉の腫れ物でした。
 返答を躊躇っていると、直ぐに一方的に薬の説明を始めました。それもほんの10数秒間で、支払金額を言われた以降は無言でしたね。傾聴姿勢を微塵も感じることができませんでした。さらに、“今日は…”、“お大事に…”などの声掛けが一言もありませんでした。この有様は、私が患者として薬局を利用して以来、初めての(危機感いっぱいの)体験でした。この薬局が薬学生の実務実習施設であることを知って、悲しくなりました。

 皆さんは、この三つの事例をどのように感じられましたか。どのような仕事実態を思い描きましたか。患者自身の気持ちを、さらに付き添いの家族の思いを、どのように想像されましたか。
 私はつくづく感じているのです。時々でいいから、コミュニケーションの本質的なあり方を、一人ひとりが意識して見直す必要性を……。今回のエッセイは、コミュニケーションの品質を考えてみたいと思います。

コミュニケーションの品質は、事前期待と事後評価の相対関係で決まる

 相手が誰であれ、信頼と安心のコミュニケーション実現のための大前提の心構えとして、“常にコミュニケーションの難しさを意識すること”を何度も申しあげてきました。その理由として、コミュニケーションの阻害要因なるものが、想像している以上にごまんと存在するからです。ほんの一例として、“一回の伝達で内容が20%もぼけてしまう(コミュニケーションロス)”、“医療従事者と患者というような相互の立場の違いからくるコミュニケーションギャップ”、“人間の感情は一定ではない”などがあげられます。ですから、“コミュニケーションは難しい”を大前提として、“準備段階から目指す目的実現のための対処法を練ること”を、当たり前の行動習慣としたいのです。
 以上のことは、コミュニケーションの基本技術修得を意図した“いのうえ塾”において、必ず強調している基本のキです。その重要性を常に認識しながら、もう一つ考えておきたいことがあります。それはコミュニケーションの品質評価という視点です。
 
 私たちが何かを利用する時、或いは欲しい商品やサービスを購入する時のことを考えてみましょう。急を要する場合を除いて、殆んどの場合「これ位のことはしてくれるだろう」、「これ位の値打ちはあるだろう」というように、何らかの期待をもって臨んでいると思います。それを事前期待と呼ぶことにしましょう。次に、利用した結果や購入したものを使用した結果の評価を、事後評価としましょう。事前期待と事後評価の相対関係で、それらの品質の決定的な一側面が見えてきます。さらには、この事前期待と事後評価の関係は、コミュニケーションの品質を評価する客観的尺度の一つになると思えてくるのです。
 つまり、『事後評価が事前期待より高ければ、“相談して良かった”、“参考になった”というような良い評価となり』、それ以降の信頼関係作りにも好ましい影響を与えることになります。
一方、『事後評価が事前期待より低ければ、“何だ、相談しなければ良かった”、“期待外れだった”』と、がっかりさせられます。また、『事後評価が事前期待と差がなければ、“可も無し不可も無し…”』で、特に印象に残らないという結果になるでしょう。
この三つの事例から察するに、コミュニケーションの品質とは、相手の「事前期待」と「事後評価」の相対関係によって決まってくる、ということに落ち着きます。
 さて、皆さんはどう思われますか?そして、ここからが問題提起となります。

 医療従事者が患者や生活者と相対してコミュニケーションを図る場面では、必ず相手は「事前期待を持っているのだ」ということを意識して臨むことで、今までとは違ったやり方・接し方が浮かんできて、それまでとは異なった結果が生じてくると思えてくるのです。さらに、医療従事者同士、上長と部下、同僚同士、先生と生徒、親子を始めとした家族同士、顧客と販売員、……というように、コミュニケーション活動全てに、この原則が当てはまると思うのです。職種に関係なく、このようなコミュニケーションのあり方を身近な人生のインフラと位置付けて、和顔愛語の社会風土・家族文化を作っていくことが、閉塞化した日常には欠かせないのだと気づかされました。
  そもそもコミュニケーション(Communication)とは、ある共通なものを他人と交換し合うことですから、単に伝達して終わりではありません。“言語・非言語を問わず、なんらかの手段で、あらゆる情報や意思・感情の伝達、交換、共有化を行なう活動”であることから、その品質評価が相手の「事前期待」と「事後評価」の相対関係によって決まってくることが理解できます。“常にコミュニケーションの難しさを意識すること”を大前提として、対話をコントロールする準備を怠らないで、品質を高める努力をしていきましょう。時代が変わろうとも、コミュニケーションツールが変わろうとも、それが千歳不易の基本的行動理論・行動指針ではないでしょうか。
                                                         (2017.3.8記)

エッセイ137:いのうえ塾のオンリーワン「ホームルーム」その2:WHAT

 前回のエッセイでは、“何故(WHY)、毎日ホームルーム(以下、HR)をやるのか?”というHRの目的(意図)を言及しました。今回は、“HRでは何(WHAT)をやるのか?”を、いくつかの研修事例から紹介したいと思います。

いのうえ塾のオンリーワン「ホームルーム」その2:WHAT 
 研修のHRで取りあげる課題やテーマは、対象者の仕事経験度、職種によって変わってきます。また、毎年行う定例的研修(例えば、新入社員研修、薬局長研修など)においても、その時々の経営環境実態によってリアルタイムに変えるように気を遣っています。さらに、取りあげる一つひとつについて、必ず意図する目的(WHY)と向き合ってもらうように方向付けします。一人ひとりが考える、考えをグループメンバーと議論する、議論を通して掘り下げたり組み立てる、それらの過程を通して、自発的やる気を引き出したいのです。
 今回は、直近の研修からの実例を取りあげてみましょう。一つ目は、3週間(15日間)の新入社員導入研修から、私が担当します第1週(5日間)と第3週(5日間)の課題・テーマの紹介です。もう一つは、私が企画し運営するコミュニケーション力強化基礎研修(全5日間)のHRです。

⦿新入社員導入研修
 ★初 日:教わるとは?/頭の中の枠?/初日を終えての感想/毎日の2分間スピーチのあり方、進め方の基本ルール
 *毎日実施すること:全員の2分間スピーチ/昨日の振り返り/本日のスケジュール確認
 ☆2日目:毎日HRを実施することの意味/行動理論とは、何故行動理論なのか?/教育とは?
 ★3日目:何故、毎日2分間スピーチをやるのか?/顧客に受け容れて頂ける挨拶のあり方/自分の頭で考えるということは
 ☆4日目:ホスピタリティの意味/マナーとは、常識はあってもマナーを持ち合わせていない人/「きけわだつみのこえ」をご存知ですか、「出陣学徒壮行の地」記念碑をご存知ですか?
 ★5日目:我が社の企業理念理解度テスト/信念を持つことの意味は
 ☆11日目:自分の身近なところに目標を置こう/スーツを売るのが私の転職/愛の反対は?
 ★12日目:最初から上手な人はいません/5Sとは、ハインリッヒの法則/問題とは、問題解決の基本手順、問題解決の思考プロセス/挨拶用語理解度テスト
 ☆13日目:「誓いの碑」をご存知ですか?/はがきの二大効用/正しい言葉遣い理解度テスト
 ★14日目:勉強の目的は何か(何のために勉強するのか)?/コミュニケーションの本質
 ☆最終日:自己啓発とは/1年半後のあなたへの六つのメッセージ/自分の感受性くらい

⦿コミュニケーション力強化基礎研修
 ◆初 日:教わるとは?/頭を柔らかくするパズル/初日を終えての感想/毎日の2分間スピーチのあり方、進め方の基本ルール
 *毎日実施すること:全員の2分間スピーチ/昨日の振り返り/本日のスケジュール確認
 ◇2日目:毎日HRを実施することの意味/勉強の目的は何か?(何のために勉強するのか)/修破離/問題解決の思考プロセス
 ◆3日目:成長・成果の三要素とその掛け算の意味/行動理論とは、何故行動理論なのか?
 ◇4日目:信頼のコミュニケーションの1丁目1番地は/情熱と行動/Boys’ be ambitiousの本意は何か?/就職活動目前の薬学生に言っておきたいこと
 ◆5日目:調剤過誤防止の基本、5S、ハインリッヒの法則/謙虚×真摯/知っていますか?(きけわだつみのこえ、学徒出陣、漂流ポストなど)

 どう感じられましたか。教育担当者が集まっての研究講義、或いは共同研究の最適テーマだと思うのです。切磋琢磨こそが有効な成長手段ではないでしょうか。
                                                                   (2017.2.23記)

エッセイ136:いのうえ塾のオンリーワン「ホームルーム」その1・WHY

 私が企画し運営する“いのうえ塾”オリジナルカリキュラムの一つに、ホームルーム(以下、HR)があります。全日程が何日であろうと、毎日スケジュール化して進めております。1日の始まりには必ず、終礼時には状況に応じて適宜組み入れます。その日のスタート時は40分から60分、終礼時は数分から20分程度と、所要時間は様々です
 今回、“何故(WHY)、毎日HRを実施するのか?”というHRの意図を明らかにしたいと思います。研修時にHRの時間を設けるようになってほぼ30年になります。今では、呼び方は別にして、他のどの企業にもない“いのうえ塾”オンリーワンのオリジナル企画と自負しております。

いのうえ塾のオンリーワン「ホームルーム」その1:WHY

 教育担当就任当時、「教育とは何か?」、「企業内教育の目的は何か?」という問題意識が、全身にまとわりついて離れませんでした。行き着いた先は、“潜在意識・潜在能力を引き出すことが企業内教育の根幹ではないか!”という本質論だったのです。
 それ以来、全ての教育機会を企画し運営する時のプラットフォームを、“社員一人ひとりの潜在意識・潜在能力を引き出して自己啓発・相互啓発出来るようにする”と位置付けました。それが不易の理念となりました。そして、“引き出す時間をどうしようか”と試行錯誤しながら辿り着いたのが、ホームルームと名付けたカリキュラムだったのです。専任教育担当に従事して3年目(昭和63年/1988年)の新入社員導入研修から、正式に組み入れてスタートさせました。

 いのうえ塾におけるHRでの一番の問題意識は、“自発的やる気をいかにして喚起するのか”、“能動的に学ぶ姿勢をいかに引き出していくのか”の二点に尽きるのです。具体的内容と進め方は、その二点を意識して編成します。当然のことながら、全てのカリキュラムにも相通じることです。つまり、究極的なHRの目的は、そして存在意義は、『①自発的やる気の喚起』であり『②能動的な学びを引き出すこと』になります。
 一方、それぞれのカリキュラムには、特定分野の技術的能力開発を目的にしている関係上、心構えを始めとした行動理論や態度に関する時間を付加することが難しいのも事実なのです。つまり、所定のカリキュラムでは取りあげることが出来ない『③心構え・行動理論を看脚下して見直す、見直して正す』時間の必要性からも、HRというカリキュラムを考え出したのです。
 それ以外の目的として、『④視野を拡げて観る、聴く、感じる』、『⑤着眼点(視点、観点)を増やす』、『⑥状況対応を可能にする引き出しを積み上げる』ということも、併せて意識しております。そうすることで、目の前の課題と向き合って『⑦考える、掘り下げる、組み立てるという思考習慣を身につけさせたい』のです。
 欲張りのようにも思えますが、①から⑦までの目的は、問題解決の思考プロセスという視点から考えても、それぞれが関連しあっている、或いはつながっていることが明らかだと思います。

 もう一つの重要な側面として、『⑧理解度の確認、検証』、『⑨理解度の促進』があります。その日に学んだこと、或いは前日学んだことの中でも、特に重要な個所を重要であると共有化することを忘れてはいけません。受講者の脳裏に叩き込むことを野放しにしておいては、教育担当者失格ですね。費用と時間の無駄遣いにつながりますから。
 最後に一言…。これだけの目的を達成するためには、画一的な内容の編成では対処し切れません。その時の状況に応じて対応できるように、二の矢、三の矢をも用意して臨まなければいけません。そういうことが当たり前に出来るようになって、初めて一人前のプロと呼ばれるわけです。
 次回のエッセイでは、HRの具体的姿を紹介したいと思います。
                                                                   (2017.2.11記)

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