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エッセイ106:“備えよ常に”は、リスクマネジメントの基本

 足利事件をご存知でしょうか。丹念に自分自身で見聞きした調査報道で、服役していた菅家利和さんの冤罪立証を後押しされた日本テレビ記者がいらっしゃいます。当時の番組横断的キャンペーンが、日本民間放送連盟賞「放送と公共性」において最優秀に選ばれました。そのテレビ記者は清水潔さんという方です。5年ほど前の新聞で知りました。
 清水さんは、山歩き用の運動靴をいつも履き続けているそうです。どのような現場に行っても困らないようにするための必須アイテムなのです。これは、想定外にも対応できるような備えとして、清水さんが導き出したプロ記者としての仕事流儀なのだ、と解釈しております。
 それにつけても、最近つくづく思うことがあります。仕事であれ、学びであれ、準備不足が横行していることです。準備内容の貧困化と言っても過言ではありません。“想定外という言い訳は恥かしいこと”と自分自身に言い聞かせて、どのような事態が起きたとしても最低限の任務を果たすことができる作法を特定し、その作法を当り前に実践し維持し続けている人が、本物のプロフェッションなのだと思います。それは、この数年間しつこいほどに方向付けしている“備えよ常に”という不易の日常的作法の一つなのではないでしょうか。

“備えよ常に”は、リスクマネジメントの基本

 先ず、「備えよ常に」の意味と意義を考えてみましょう。私見になります。

 ボーイスカウトのモットーである「備えよ常に」は、“イザという時に備えて、日頃からいろいろと準備しておきましょう”という意味です。
 ビジネスパーソンとして社会に船出した皆さん方は、様々な仕事を指示され、将来はやりがいのある仕事を任される時がくるでしょう。そのような時に、与えられた仕事、任された仕事をやり遂げられる能力開発を、日頃からコツコツこつこつ積み重ねていくことこそが、基本中の基本ではないでしょうか。倦まず弛まず、克己心と自助力で蓄積した開発能力が、与えられた仕事、任された仕事をやり遂げる原動力となるのです。

 スピード優先、効率化優先、即戦力化、アウトソーシング化、…… 。いつ頃から、このようなことが当り前化してしまったのでしょうか。バブル経済が弾けたあたりからでしょうか。
 それらの基本理念や意図、そして本質的機能が整わないまま、継ぎ接ぎされたシステムとやり方が急いで築かれ、慣れないままに運用されてしまったのです。スピードこそが一番の競争優位性の旗の下で、見切り発車したのです。その結果、企業を支える要となる人材育成の劣化という大きな代償を払うことになったのです。
 つくづく想います。
 イザという時に備えて、日頃から万全の準備をして、目の前の日々の課題や出来事と向き合って対処することが基本です。仕事であれ、日常生活であれ、自己啓発であれ、人生万般において「備えよ常に」を積み重ねて習慣化することが大前提なのです。
 失敗から学ぶ、学習能力を磨く、そして準備万端整える、これらは全てリスクマネジメントと言われる範疇の基本中の基本ではないでしょうか。私は、つくづく感じ想っているのです。
こ のことを、今の時代、どれだけの方々が気づいているのでしょうか。実践しているのでしょうか。69歳目前の私ですが、問題提起し続けることに疲れつつあります。もう言い疲れてしまいました。私の正直な本音は、その疲労感からくる諦念感なのです。
                                                     (2015.9.28記)

エッセイ105:もっとしっかり生きなくてはいけないんだけれども、…

 30年前(1985年・昭和60年)の8月12日は、羽田発大阪伊丹行きの日航ジャンボ機123便が墜落した日になります。墜落場所は長野県境に近い群馬県御巣鷹山の尾根で、520人が犠牲になった大惨事でした。
 尾根の麓にある「慰霊の園」(上野村)では今年も追悼式典が行なわれ、記憶の継承を誓ったと報じられました。多発している飛行機事故やトラブルが気になりながら、この事故から大いに考えさせられる日常の存在を知りました。8月1日(土)21時放送のNHKスペシャル(NHK‐TV)では、事故から30年を迎えた日航ジャンボ機事故が取りあげられたのです。「日航ジャンボ機事故 空白の16時間 ~“墜落の夜”30年目の真実」というタイトルの49分番組でした。
 墜落場所が特定されるまでの16時間に何があったのか、それがどのように検証されてきたのか、NHKが独自の取材で明らかにした内容でした。捜索に当たった警察や自衛隊などの当事者の証言や現在の思いを通して、“救えた命があったのではないか”という、非常に重い問いかけのように感じました。
 エッセイ105回は、30年間も消え去ることのない、これからも消えることのない、番組の中でのご遺族の深く重い言葉を、そのまま書き綴りたいと思います。それらの言葉を決して忘れない、それが私の感懐です。

もっとしっかり生きなくてはいけないんだけれども、…。

 美谷島(みやじま)邦子さんは、遺族でつくる8・12連絡会の事務局長です。今年の7月22日(水)、東京での講演でこの様に話されていました。
 事故や災害をなくすことはできないけれども、被害を少しでも減らすことができるのではないかと思ってきました。当り前の日常が断ち切られた30年前、その日常が大切にされる社会であってほしい、そう願っております。
 「失われた命を生かしたい」30年間思い続けている言葉です。これからも同じだと思います。

 栗原哲さん(92才)は、大阪の実家へ帰省のために搭乗した長男(大学講師)家族3人を亡くされました。“亡くなった家族のために事故の真相や失ったものの大切さを書き残したい”と、ずっと思い続けているそうです。しかし、90歳を過ぎて難しくなってきたと実感されています。
 番組の中で、静かに真情を吐露されました。

 亡くなった子どもらのためにも 
 本当は もっとしっかり生きなくちゃいけないんだけれども …… だめですね。

 次男の毅さん(61才)は、「十分生きたよ」と、間をおいて優しく語りかけました。
 92才の哲さんは、「ごめんなさい」とつぶやいて、両手で頭を抱えてうなだれました。涙を浮かべているように見えました。
 私より二周りも年長の哲さんは、何と30年もの長い間、そう想い続けていらっしゃるのです。62歳から30年間も背負い続けている変わらぬ想いに、発する言葉が見当たりません。思いもよらない事故で先立たれた家族への無念さと深い愛、生きることへの真摯で生真面目な姿勢に、ただただ圧倒されました。ただただ感じ入るばかりでした。
 向き合うとは、学ぶとは、“だから日々どのような心構えで、何を目指して行動をするのかを追求し実践すること”だと、改めて思い知らされた気がします。打ちのめされた気がします。

 毅さんは、「何らかの形で伝えていかなければいけないんだよね」という思いで、10数冊の哲さんの日記の記録化に着手されていました。
 そして、持主の分からない事故による遺品が、まだ眠っていることも知りました。
                                                                          (2015.9.17記)

エッセイ104:隠れた身近な被災地の声に、もっと耳を傾けよう

 2013年(平成25年)10月1日(火)午前11時30分頃、横浜市緑区のJR横浜線川和踏切において、会社員村田奈津恵さんが下り列車にはねられた死亡事故がありました。遮断機が下がった踏切の線路内に横たわる男性を、運転する車から降りて助けようとしてはねられたのでした。
 報道によれば、“助けなければ”の一心で、同乗していた父親の制止を振り切っての行動だったようです。男性はレールとレールの間に横たわっていたために一命をとりとめたことが分かり、村田さんがそのように動かした可能性が高いといわれています。“困っている人がいれば放っておけない子”、“温厚で優しい人柄”の奈津恵さん評を知って、私自身の人生をキチンと全うしなければならないと思い知らされました。今までお世話になった世間様に、少しでも恩返しする行動を続けていかなければなりませんね。村田さんの行いから、改めてそう教えられました。
 さて、104回のエッセイは、前々回の続編になります。言い忘れたことを呟きたいと思います。

隠れた身近な被災地の声に、もっと耳を傾けよう

 エッセイ102回「これが大事 ~ 知り学んだ体験を、どう生かすのか」(2015.10.15記)では、岩手医科大学薬学部における自由科目「東日本大震災の被災地薬剤師から学び考える“これからの薬剤師のあり方”」の成果と今後の課題を取りあげさせて頂きました。先ず、前回のエッセイの中で課題として申しあげたことをお浚いしたいと思います。
 「今回の体験をスタートラインとして、知って学んだことを掘り下げて、“だから、これからの1年間(或いは半年間)は、日々の学業・私生活において、○○○を目標にしてこのように実行します”という具体的実行計画を立て、倦まず弛まず着実に行動を積み重ねることです。つまり、PDCAサイクルを自力で回すことです」、という内容でした。
 実は、それらに関連して申しあげたいことがありました。どうしても、そのことに触れておきたいのです。それは、今後も続くであろう同じ趣旨の自由科目の進め方に関することです。

 過去2回の被災地薬剤師から学び考える会の内容は、東日本大震災発災から数週間の活動実態と、その経験を通して気づいた課題を中心とした報告と課題提起でした。その多くは“3.11の実態を知り学ぶ”という貴重な機会であり、実際に知ることで“風化させてはならない”という意識が高められました。それは受講者の声から明らかですが、上級生に対しては角度を変えた学びの必要性も感じ始めております。その角度を変えた学びのヒントの一つが、宝来館の女将岩崎昭子さんの“震災復興の語り”にありました。実際に被災された女将さんの『今』の心情や日々の活動・取組み実態から、受講学生それぞれが、日々の目標を明確にする意義や目標のあり方の本質に気づいてくれそうだと感じたのです。それも他人事ではない、自分事の意義やあり方、具体的目標として。
 私の大学の後輩である道又利一さん(薬剤師)は、大槌町で薬局を経営しております。発災時、全壊した自宅兼薬局の屋上から翌日救助されました。当時は引退を考えたそうです。しかし、その地で薬局を再興し現在に至っています。
 東日本大震災が縁で知り合った大阪府門真市在住の薬剤師がいます。西垣有輝子さんです。大阪薬剤師会のボランティアとして、発災から3ヶ月の間に2回も釜石地区の医療支援活動に参加されました。それ以来、毎年数回の頻度で、釜石・大槌でのボランティア活動を継続中です。一昨年からは石井万里子さんとのペアで、被災者の心身のリフレッシュを目的としたヨーガレッスンとタッチケアの活動をやられています。『アイタイカラ』というホームページをご覧ください。違う角度からの被災地の現状が見えてきます。
 道又さんや西垣さんのように、謙虚な使命感と地道な仕事(志事)に就かれている薬剤師の心情や活動実態の中にこそ、“これからの薬剤師のあり方”を考える根っこが潜んでいると思えるのです。もっと傾聴したい声は、傾聴しなければならない声は、気づき難いけれども身近な所にあるのではないでしょうか。
                                                              (2015.10.26記)

エッセイ103:薬局の未来は、薬剤師一人ひとりがつくる

 明けましておめでとうございます。中田薬局を、そしてつぶやきエッセイを、本年も宜しくお願い申しあげます。
 平成28年(2016年)幕開けのエッセイは、元旦の内に仕上げました。
 私がエッセイをつぶやき始めた平成17年(2005年)4月を思い起こせば、海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」の心境でしょうか。ささやかな“使命感&自己確信&好きであること”の3要素が、自分自身の背中を押してくれているのだと思います。
 年初の“書初め”ならぬ“呟き初め”は、この10年間を振り返ってみれば1月3日以降でした。初エッセイのテーマは、薬剤師の同志への激励メッセージです。

薬局の未来は、薬剤師一人ひとりがつくる

 平成28年1月1日(金)は、ジャスト午前5時に床を出ました。起きて直ぐには、私だけに課せられた任務が待っております。年一回、元旦の朝だけの欠かすことのできない行事です。
 それは若水汲みです。結婚してから、数えて42回目になります。
生活環境の変化とともに日常生活のありようは大きく変貌しました。これからも変わり続けるでしょう。その変化によって、古来の行事や慣習は形骸化したり、或いは消え失せてしまったものもあるでしょう。若水汲みもその一つでしょうか。
 私の若水汲みは、本来の伝統的やり方ではありません。台所の水道の蛇口をひねって、愛用のお茶碗8分目に水を注ぐのです。それが我が家の若水汲みなのです。
 50歳も半ばにさしかかったある時、若水汲みを詳しく知りたくなりました。情報ソースを探して出会ったのが「年中行事事典(田中宣一、宮田登・編者/三省堂:1999年8月1日初版発行)」でした。日本古来の伝統行事が、こと細かに紹介されているのです。目から鱗でした。興味を抱いたのが、それぞれの行事の背景や理由(根拠)でした。特に惹かれたことは、そのやり方一つひとつに、それぞれ意味があることです。また、地方によっては相変わらず引き継がれている行事もあって、そのことはかなりの驚きの一つでした。
 理解が進むにつれて感心させられたのは、これらの行事の根底に流れている考えです。理念、思想と言ってもいいでしょう。共生、互助、感謝、尊敬など、日常生活や日々の仕事場において、対人関係を円滑にしたり、相互信頼を意識して作ろうとする思想が流れていることです。
 便利さになれた私たちは、不便さを知恵で克服してきた中で培われた大切な思い遣り、気遣いを忘れてしまったようです。どこかに捨ててしまって、その捨てた場所すら記憶から消し去ろうとしているように思います。一方、それら(共生、互助、感謝、尊敬など)が息づいている場も存在しています。その自然体に触れるたびに、日々のあり方が恥かしくなってくるのです。
そんな事を思い起こしながら、新たな年に向かって元旦(1月1日の朝)に叫びたいと思います。
 薬局の未来は、薬剤師自身がつくるのです。一人ひとりがつくりあげるのです。法で守られた特権に胡坐をかくのではなく、法で示されている理念とビジョン実現に汗をかくのみです。
 もう待ったなしですね。実現のための処方内容は、意識と行動の変革しかありません

                                                  (2016.1.1記)

エッセイ102:これが大事~知り学んだ経験を、どう生かすか

 平成5年(1993年)4月8日、ある日本人青年が殺害されました。異国の地で、崇高な志半ばで倒れたのでした。二昔以上も前の出来事ですが、忘れられません。
 青年の名は中田厚仁さん、その時25歳でした。大阪大学出身の中田さんは、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の選挙監視員に応募して、亡くなる前年7月からカンボジアの平和維持活動にボランティアとして参加していました。UNマークのついた車でカンボジア職員と移動中、武装集団によって車から降ろされて、至近距離から銃撃されたそうです。
 厚仁さんがアメリカ留学中、ある先生から一生心に残る言葉をもらったといいます。「あなたが学校に何かを求めているのと同じように、学校もあなたに何かを求めているのです。あなたは必要とされているのであり、求められている人であることを忘れないでください」と。
 求められているのであれば何ができるのか、何を為すべきか。厚仁さんは、そう自分自身に問いかけ、以降、積極的になったようです。父親である武仁さんは、そのように語ったそうです。また、「仕事の性格上、最悪の事態を覚悟していた」とも話されていたようです。
 現在のカンボジアの発展の裏には、多くの尊い志と悲惨な現実や犠牲が横たわっているのです。知り、学び、そして忘れない。そうすれば、行動のあり方の巾も広がってきます。一生謙虚に学ぶことは、人間の義務なのだと思うのです。

これが大事 ~ 知り学んだ体験を、どう生かすのか

 今年の夏、岩手医科大学薬学部の自由科目「東日本大震災の被災地薬剤師から学び考える“これからの薬剤師のあり方”」に、コーディネーターとして参加させて頂きました。
 この企画を提案し、お手伝いするようになって3年目になります。私が捉えております成果と今後の課題を中心に呟いてみたいと思います。

 3年前のスタート時の主目的は、“被災県にある薬学部学生として、被災地に出向いて東日本大震災を知ること、学ぶこと”でした。無関心ではないのでしょうが、発災時の被災状況や医療活動の実態を知らない学生がかなり多いと感じたからでした。企業と大学がもっと密に手を結んで、知り学ぶ機会を提供する必要性を強く感じ行動を起こしたプロジェクト活動でもありました。
 今回の取組みは、過去2年間の反省も踏まえて、学習方針、教育成果、到達目標を吟味しました。
 一方、回を重ねる毎に、震災から日が経つほどに、“知るだけで良いのだろうか!”という問題意識が大きくなっていくのが分かります。9月下旬、この自由科目のまとめ(90分)がありました。この機会に、私の問題意識を受講学生に問いかけることにしました。当日は十分な時間が確保できないこともあって、メッセージを認めて渡しました。以下、その一部を抜粋して紹介させて頂きます。

 『こんにちは。ガイダンスを担当いたしました井上でございます。また、7月27日(月)の被災地バスツァー(1年生対象)の企画、運営も担当いたしました。
 一昨日、皆さんのMY新聞の写しを頂きました。早速、昨日から拝見し拝読し始めて、いま読み終えたところです。新聞作成の意義(意味)については、ガイダンスで申しあげた通りです。その意義を思い起こして頂いて、これから差しあげます私からのメッセージの本意を考えて欲しいと思います。
 MY新聞は手書きの作品です。一人ひとりの感性表現であり個性の産物です。ですから、“一作品一作品と向き合わなければ”と、心に決めて味わってみました。いくつもの要素が影響する見栄えや出来栄えは、個性の産物ですから当然ありますが、今回のMY新聞では、そのことは大した問題では無い様な気がしております。
 一年生のIさん、Oさん、Gさんと読み進めながら、一人ひとりとはいかないまでも、私なりに感じたことをお話したくなりました。そうすることは、私なりの皆さん方への礼儀作法である、という考えでもあります。
 以下、私が気づき学んだこと、感じたこと、そして皆さんに問いかけて考えて頂きたいことを、思いつくままに呟いてみましょう。全対に関するメッセージと学年別のメッセージの二つに分けて編成したいと考えております。
 尚、この自由科目の受講学生の学年別内訳は、6年生3名、5年生2名(他5名が岩手県防災訓練のみ参加)、3年生3名、1年生20名でした。

●受講者全員へ
 何を学び、感じ、そして気づき、これからの目標をどこに定めたのか、それぞれがそれぞれの視点(着眼点、観点)で表現されている、と受け止めております。
 掲載された内容は、多くの方に共通する記事もあれば、1人だけが取りあげた記事もありました。それで良いのです。何故なら、受講目的とその優先順位が、1人ひとり異なるからです。さらに、感じ方や眼の付け所も異なります。それが個性であり、だから共同作業による化学反応が活発化するのです。
 大切なことは、事実を観察すること、素直に感じること、想像しながら気づくこと、可能な範囲で掘り下げて考えること、期限を決めて必ず結論をまとめることです。レスポンスカードとMY新聞から、それぞれの立場(学年、大震災との関わりなど)の目線で表現されていると思いました。私はそう感じています。その点で、先ずは全員に花丸を差しあげたいと思います。
 つまり、未知(場合によっては無知)であったことを既知に変換できたことです。何事もそうですが、知ること(知識修得)が成長への第一歩ですから、これは皆さん方にとって大きな収穫であったはずです。
 一方、知ったという第一歩は、やっとのことスタートラインに立てた段階でもあります。つまり知ってお終いでは、薬学部で学ぶ資格はありません。ガイダンスでも申しあげたことですが、もう一つ重要なことは、“今回の体験を今後にどうつなげていくか”ということにつきるのです。
 それは、気づいたこと、感じたこと、問題だと意識したことを土台として、“これからの1年間(或いは半年間)、日々の学業・私生活において、何を目標にして取り組むかという具体的計画を立てて実践する”ことです。PDCAサイクルを自力で回すことです。
 1年生の場合、多くの方々が宝来館の女将さんの姿勢に共感され刺激を受けたと思います。特に「3.11を風化させてはならない」と。例えば、阪神淡路大震災でも、日航機の御巣鷹山墜落事故でも、近年頻発している気象災害でも、日が経てば常に風化の危機に晒されます。ですから、今回感じたことや気づいたことを、同じ学年の仲間と話し合って、小さな活動につなげて欲しいと思うのです。
 例えば、「来年も参加する」(継続は力なり)、「仲間を誘う」(共感者を増やす)、「この体験を友人・知人・家族に話してみる。MY新聞を紹介する」(積み重ねは力なり)で良いのです。続けることで、新たは発見と人との出会いにつながります。それは69歳になる私の経験則なのです。
 
 出来栄え、見栄えについて、少しだけアドバイスしましょう。
 一般論ですが、内容が素晴らしくても、見栄えが悪いと読んで頂けない度合いが高くなります。基本はプレゼンテーションと同じです。
誤字・脱字は論外と扱われます。不明瞭な句読点も同じです。
段落が判別不能もありました。縦書きでも、横書きでも、一目見て分かる工夫が必要です。
 当然、丁寧な字で書くことが大前提ですが、読み難かった新聞もあります。字の上手下手の問題ではありません。心を込めて書くということです。心を込めるという精神は、岩手医科大学の建学の精神である「医療人たる前に、誠の人間たれ」に相通じることではないでしょうか。私の見解ですが。
 MY新聞の体裁を新聞形式にしていますから、実際の新聞の体裁がどうなっているのか研究して欲しかった人が何人かいます。この機会に新聞の基本骨格を勉強することです。それは1時間で可能だと思います。ほんの小さな努力(小研究)の積み重ねが成果に大きく影響するのです。

●5年生へ
 実務実習がありながら、積極的に複数の自由科目を受講した勇気と積極性に、敬意を表したいと思います。
 医療の仕事の原点の一つは、その時その時の事象とキチンと向き合って、どれだけ影響力を発揮できるか、できたかにかかってきます。それも対人関係としての影響力です。災害医療は、正にその一点につきます。そのような力を身に付ける場は、実は、日々の活動・生活の中での対人関係の中にあるのです。日々のコミュニケーションのあり方につきるのです。5年生の場合、所属講座の同級生との関わりの中にこそ、力を蓄える機会が多く存在すると思います。今のチームワークを、そのまま推し進めてはいかがでしょうか。
 もう一つ、実務実習では、現役薬剤師から学ぶことが沢山あります。一方、課題も見えてくるはずです。自由科目での経験、実務実習での経験から、将来目指したい薬剤師像、人間像を、できるだけ具体的に明確にして欲しいと思います。考え方の巾が広がってきますから。

●3年生へ
 他大学の薬学生との交流から、大きな刺激を受けたことでしょう。
 皆さんが入学して、2年半経ちました。日々の授業、部活、そして今回の自由科目(課外活動)などから、薬学を学ぶ意義、学んだことが将来どのように生かされるのか、… 少しずつ見えてきた段階かもしれません。
皆さんが考えている以上に、認識している以上に、薬剤師、薬学履修者の職能範囲は、かなり広く深いと思っております。災害時での医療活動、防災活動は、そのことを知る絶好の機会だと思います。ただし、一度の体験だけでは表面すら見えてきません。今回の受講で、大きな意義を感じたのであれば、来年、再来年と、継続して参加して欲しいと思います。先の長い3人には、このテーマを掘り下げて学び続けることを期待しております。この一点につきます。一つのテーマを掘り下げる活動から、オンリーワン(差別優位性)が芽生えるのです。3人の将来を楽しみにしております。

●1年生へ
 1年生の場合、20名が参加したことに大きな意義があったと判断しております。
 入学して半年、大学生活のあり方にようやく慣れてきた段階でしょうか。毎日が、新たな知識との出会いでしょう。それを理解するだけで精一杯だったでしょうし、戸惑いもあったでしょう。
しかし、何とか理解しなければ先へは進めません。目の前の学習と向き合って、一つひとつクリアするしかありませんね。肚を括って取組みましょう。
 今回の自由科目については、気づいたこと、やろうと決めたことを、行動レベルで積み重ねてください。そして、来年も、自主的に手をあげて参加してください。学び続けることで、釜石方式の真の姿が見えてきますから。これが、1年生へのメッセージになります。

 以上、私の感じたこと、気づいたことを申しあげました。
 理解できないことはありませんでしたか。また、私の勘違いや理解不足があったかもしれません。その場合は、遠慮なく指摘をしてください。不明の点は、問合せしてください。
 私の教育理念の一つに「共に学び、共に成長する」という項目があります。この自由科目では、私自身の勉強にもなりました。皆さんから学んだこともありました。これからも、共に成長していきたいと願っております。
 最後に、不思議な縁で出会った皆さん方に感謝申しあげます。この出会いを大切にして、これからも切磋琢磨して参りましょう。
 有難うございました。』

 以上、私から受講者へのメッセージの抜粋でした。

 さて、何事も“知ってお終い”では、思考停止のまま風化の一途を辿るでしょう。
 今回の体験をスタートラインとして、知って学んだことを掘り下げて、だから“これからの1年間(或いは半年間)、日々の学業・私生活において、○○○を目標にしてこのように実行します”という具体的実行計画を立て、倦まず弛まず着実に行動を積み重ねることです。つまり、PDCAサイクルを自力で回すことです。
 私が申しあげたいことは、唯一その一点につきるのです。現役薬剤師の皆さんには、等身大で構いませんから、そのお手本を示して頂きたいと願っております。

                                                                         (2015.10.15記)

エッセイ101:成熟した大人とは、ルールやマナーを自然体で守っている人

 今年(平成27年)の6月1日(月)から、改正道路交通法が施行されました。危険運転の罰則強化が主な変更点だそうです。その中での最大のポイントは、何といっても自転車の取締まり強化と言われています。
 自転車は軽車両になります。運転免許は不要ですから、老若男女を問わず誰でもが運転可能です。未就学児が運転している姿も見かけます。今回の改正前から、自転車運転の違反行為が取締まりの対象になることは知っておりました。しかし、実際に取締まりを受けたという話は聞いたことがありません。今回の改正のねらいから想像するに、危険を伴うと思われる違反行為の取締まりは、少しは見逃されることがなくなってくると期待したいところです。そのためには取締まる側のマンパワーが必要になってくると思われます。多忙を極める警察官の仕事でしょうから、それ無しには罰則強化と宣言されても疑問符がついてしまいます。さらに、自転車を取り巻く道路事情問題が根底にあります。交通量調査結果を活かしながら、自転車専用道路の必要性を感じます。
 安全運転の根幹は、運転者自身のマナーとモラルに尽きるでしょう。不特定多数の人間が利用する公共インフラの場において一番留意するべきは、決められたルールを当り前にキチンと守ることでしかありません。何故なら、ルールをお互いが百%遵守することで、安心・安全な生活が維持されるからです。そのことは相手の立場に立った大人としての行動であり、安心・安全な日々の生活の基本中の基本だからです。そこに、明文化されていないマナーが寄り添うことで、お互いにとって気持ちの良い生活環境、それ以上に安全な日常が維持できるのではないでしょうか。ルール遵守は共生の大原則だと思うのです。
 今回のエッセイは、ルールとマナーに関してつぶやいてみます。

成熟した大人とは、ルールやマナーを自然体で守っている人

 日本国民の三大義務の根幹は、一体どこにあるのでしょうか。憲法第12条にある自由と権利の保持義務には但し書きがあって、“これを濫用してはならない。常に公共の福祉のために、これを保有する責任を負う”とあります。
 民主主義下における法律の存在意義は、地球上の空気と同じだと認識しております。その有難味を当り前に享受していながら、その有難味は権利であって義務を果たすことが前提であることを蔑ろして日常生活を送っているのも実態ではないでしょうか。権利最優先、自己都合最優先と思しき行動を、知らず知らずのうちにとっているのかもしれません。それは、明文化されていない常識的ルール、マナーも同じです。
 ある全国紙の「声」欄に、若い看護学生からの強烈な指摘がありました。
 高齢者の乱暴な振る舞いが目につくようになったと思うこと、幼い頃から祖父母に色々なマナーを教えてもらうことが多かった投稿者には、人生の大先輩の姿が悲しいこと、そして、私(投稿者)たちよりも長い人生を歩んできた方たちは常に若い人たちの手本であってほしいこと、… 。具体的事例とともに、率直な感想と大人への期待感が滲み出ていました。
 国民性というのは、正に多種多様で言い表すことが難しいテーマです。そして、所変わればその評価も多種多様なのです。そのような中で、多くの日本人のマナーは高い評価を得られているようで、心の中の誇りでもあります。特に大きな事故が発生した時、大災害時における整然とした行動など、必ずと言っていいほど高い評価として取りあげられています。
 しかし、看護学生の声には、正直ハッとさせられました。ハッとさせられたというよりも、急速に拡大しつつある高齢化社会の負の遺産にしてはいけない心配事となって、正にクローズアップされるべき問題ではないでしょうか。
 キャッチアップ時代の日本を一身に背負って奮闘し、経済大国へと押し上げてきた人生の諸先輩には、それまでの頑張りを掛け替えのない秘めた誇りとして、人生の後輩から「さすが…」と評される人になって頂きたいと思うのです。いや、先ず私自身からそうなりたいと強く感じるのです。そのためには、人生の後輩の手本となることを、当たり前に自然体で実行するしかありません。
 例えば、“状況に応じて無言で範を示すこと“、“譲るべきは成長過程にある後輩に大幅に譲って笑顔で見守り続けること”、“率先して人を信じ人を愛し慈しむこと“、“相手の立場に立った考えや行動を優先すること”、そして“ルールとマナーを当り前に守って社会常識に自然体で馴染んでいること”、・・・・・・ 。
 これらを行動指針として、意識して実践躬行する人を目指したいと思います。

 目の前には、69歳の誕生日が見えてきました。知らない方からは「あのおじさん、さすが」と言われる人生にしなければいけません。これからの人生において頑張るとすれば、その一点に尽きるのだと思っています。
                                                              (2015.9.10記)

エッセイ100:エッセイ積み重ね秘話

 自動車に搭載されている現在のエアバッグの生みの親をご存知でしょうか。
 発明者である小堀安三郎氏が開発に着手したのは、50年以上も前になります。思いついたのは、旅客機に乗っていた時でした。当時はシートベルトの着用は任意だったこともあって、エアポケットに入った時など、天井に頭を打つような事故もあったようです。そこで、荷物を抱えて座席のテーブルに上体を伏せていれば安全だと考え、そこから次のことを思い浮かんだそうです。「自動車にも、衝突の瞬間、空気で膨らむものがあれば安心ではないか」と。
 今では当り前の装備ですが、当時の試作品発表の場では失笑を買い、14の国で特許取得はしたものの実用化に至りませんでした。最初にエアバッグが実用化されたのは、1970年代半ばのアメリカだったそうです。しかし、小堀氏はその普及を知ることもなく、生活苦から夫婦でガス心中を遂げました。1975年8月のことになります。
 こうやってエッセイを書き続けることで、知らないことのあまりの多さに気づかされます。このことは繰り返し申しあげてきたことです。知らなかったことを知るたびに、多くの方の辛酸や労苦から頂戴している恩恵に対してどうやって報いることができるのだろうか、などと考えるきっかけを投げかけられます。謙虚になって、自身のそれまでの行ないを自主的に振り返るよう、促されてしまいます。私はそう受け止めております。そして、倫理観に照らし合わせて決めた目標達成に向かって、倦まず弛まず、キチンと誠実に対処することを導いてくれているような気にさせられます。
 小堀氏のエアバッグ秘話から、エッセイを書き続けた10年半、途切れることなく呟き続けることが出来た理由は一体何だったのだろうか、そんな思いが沁み出してきました。今回は、その独り言の呟きです。気恥ずかしいのですが、積み重ねてこられた秘話とでも申しましょうか …… 。

エッセイ積み重ね秘話

 エッセイ98回(2015年7月20日記)の本文では、つぶやきエッセイをスタートさせた理由や10年間も続けられた理由の一端を、思いのほか淡々と公表させて頂きました。
 最初の1年間(2005年から2006年にかけて)は、継続掲載が主要目的でしたから、精神的なプレッシャーの中で書き続けました。しかし、継続強迫観念で書き続けていく内に、いつの間にか本気スイッチが起動したのです。以来、10年と5ヶ月も呟いてきました。何とか、呟き続けてきました。
 今、その背景と思われる私自身のメンタル面の自己評価、そしてどのようにして呟きを積み重ねてきたのか、積み重ねてこられたのか、ほんの少しだけお話したいと思うのです。

 不器用人間。それは、私自身から観た一番の自己評価になります。不器用さは、緊急的な要請に対して、なかなか対応できない度合いが高かったと感じております。
 何事に対しても恐る恐る状態の中でのスタート人間。これも自己評価の一つです。自信の無い心的状態の中でのスタートがほとんどでしたね。その癖、隠れ負けず嫌いで、やるからには満点を目指そうともします。それは、自信の無さを隠すための意地っ張りとも言えそうです。
 負けず嫌いが度を越せば、頑固さが顔を出します。頑固さが高じれば、ふて腐れに発展し、その結果、何も行動しないままに終えてしまう可能性も大なのです。恥ずかしながら、同じ轍を何度踏んだことか思い出せないくらいです。20才代、30才代は当然のこと、今から10数年ほど前までは、間違いなくそのような傾向が強かったと思います。
 これらの現象は、あくまでも私の場合ということで申しあげております。

 HPへのエッセイ掲載は、正にプレシャーを感じながらの恐る恐るのスタートでした。
 プレッシャーというものは、重荷になると思考回路をも狂わせてしまいます。最大の苦悩は、“何をつぶやいたらいいのか”というテーマとその内容でした。文章も冗長になりがちでしたから、“コンパクトでシンプルな表現を”という課題が、常に頭から離れません。不器用を強く自認する分、不器用を言い訳として投げ出したくなる頻度も高くなります。しかし、負けず嫌いの性分を、“自己責任意識で乗り切ろう”という足掻きに変えて、活力として利用したのだと思います。
 そのような葛藤と心境も、当時の仕事の忙しさで何とか紛らわせて9ヶ月が過ぎました。
 掲載してから半年後、何人かの社員や知人から、エッセイに対する共感の声、期待の声が頂くようになりました。急速に高まってきました。その声に推されたのでしょう。年が改まった2006年1月には、眠っていた本気スイッチがオンになったのです。
 不器用で負けず嫌いな人間が本気になりますと、石橋を叩いてでも渡りきるための目標を定めるようになります。それも背伸び目標です。そうすることは、私なりの必勝策になっていました。負けず嫌いを上手に持ち上げて、その気にさせる戦術だったのです。
 具体的には、以下の5目標を仕事作法(ルイティーン)と位置づけて、シッカリと心に刻み込んでエッセイを積み重ねました。そして、今でも我武者羅に積み重ねているのです。


    目標1掲載エッセイ数を月3話以上とする。
    目標2掲載月の3ヶ月前から準備を始める。
         準備内容は、①テーマ、②テーマ理由、③内容と私の考えの骨子
     目標3:遅くても2ヶ月前からつぶやき始める
         ただし、緊急テーマの掲載は例外とする。
    目標4最低5回以上のチェックを行なう。
          ①テーマ、理由、内容の整合性
          ②誤字、脱字
    目標5配信納期厳守

 こうやって10年間を見直してみれば、秘話としてご紹介するほどの目標(上記目標1~5)でもありませんね。前文で申しあげましたように気恥ずかしい思いではありますが、そのような中でのささやかな自慢の一つは、積み重ねてきた事実でしょうか。そして、強迫観念から脱皮させてくれた目標を強く意識して、何とかやり通そうとした目標必達魂でしょうか。
 以上、積み重ねてこられたエッセイ秘話でした。

                                                    (2015.9.3記)

エッセイ99:日々の出来事と仕事が成長の教材~“共に”の姿勢で

 講師として人前に立つ時は、常に不安感がまとわりついてのスタートになります。その不安感は、講師の私にとりまして当り前の緊張感かもしれません。それが同僚や仲間であれ、知人であれ、初対面の方であれ、不安の色合いは異なりますが、片時も離れることがないのです。
 その理由は、30年近い体験で味わった数多くの初心(私の能力が未熟なこと)が、身体の隅々まで浸み込んでいるからでしょう。受講される皆さんが、私を直視して傾聴する姿勢で臨んでくれるだろうか、という強いプレッシャーが原因でもあります。
 講師の任務を果たすための大きな関所の一つは、口を開いてからの数分間にあります。
 先ず、スタートしてからの数分間で、その場の雰囲気を察知して、目の前の受講者の取組み意欲を自己評価しなければなりません。評価内容とその度合いによっては、与えられた時間の進め方を修正しなければなりません。それは講師の宿命であり、使命感、責任感によって左右されます。どのように修正するかは、その時々の状況に応じて対応することになります。ひと言で言えば、総合的実力の勝負です。多くの場合、そこで勝敗が決すると言っても過言ではありません。そのノウハウのマニュアル化は難しいと感じながらも、出来る限り言葉に残すようにしております。
 初対面の方を担当する場合は、最初の切り出しトークと自己紹介に気を配ります。その場限り(1回のみ)の場合は、なおさら気を遣います。一発勝負と覚悟して臨まなければなりません。
 実務的な知識教育の場合、一にも二にも理解度アップに気を配ります。理解まで辿り着かないことには、開催した意味がありません。“その知識を学ぶ目的は何か”、“そもそもその知識は何故必要なのか”というレベルまで落とし込んで、能動的学びを引き出すことが理解度アップの要諦なのです。
 エッセイ99回は、その理解度アップ策をつぶやいてみましょう。
教育担当であれば、専任、兼任を問いません。経験の有無も、その長さも関係ありません。教育担当者だけではなく、言葉と行動で動機付けする機会の多い方々への問題提起でもあります。

日々の出来事と仕事が成長の教材~“共に”の姿勢で

 理解度を高めるためには、単なる知識として留めてしまわないように、具体的イメージを想像しながら、脳裏に刷り込んでもらう工夫が欠かせません。それが私の流儀です。
 通常よく出会うのが、先人の名言・格言、故事・ことわざ、有名な史実・来歴、そしてビジネス書でも紹介されるような数々のサクセスストーリーでしょうか。マス媒体でも取りあげられる機会が多いこともあって、新たに学んだことをより理解してもらう恰好の教材になります。私も頻繁に活用しております。
 松尾芭蕉の「不易流行」、マザー・テレサの「愛の反対は無関心」、1分間マネジャーの「状況対応リーダーシップとは、部下に対して何をするかではなく、部下と一緒に何をするかである」等など、キラ星のごとく無限にあります。しかし、ほとんどが特別な方々の名言であり、環境や背景が異なる時代の話しですから、別世界の話として他人事で終わる可能性も否定できません。
 私は、ある時から、私の周りの身近な方々の善行、成功例を取りあげるようにしております。身近な方々というのは、会社の仲間がメインですが、知人・友人、そして私自身の場合もあります。ある時というのは、教育担当として何らかの行き詰まりを感じたことがきっかけだったと思います。その行き詰まりが何であったか、記憶には残っておりませんが、20年以上も前だったと思います。
 善行、成功例といっても、小さな出来事がほとんどです。その場合、結果だけではなく、可能な限り理由やプロセスにも言及します。そこまでやらないと、ケーススタディにはならないのです。話して終りの自己満足で終わってしまうからです。私事を取り上げる時は、失敗談がほとんどです。その失敗談も、目の前の方々の年令に合わせて、その年令に近い時の失敗談を探し出します。失敗から学ぶことも多いからです。そうすることで、一人ひとりが手の届く実例と実感できるようにしたいのです。実現可能性という自覚が芽生えて、それがやる気につながっていくからです。

 どのような教育機会でも、その存在意義を問えば、“それほどの監督を受けなくても仕事を十分やってのけることができるという気持ちの強さ”と“仕事をりっぱにやることへの関心(興味)と熱意”、つまりやる気を引き出すことにつきると思います。前文で申しあげました“能動的学び”を引き出すこととイコールではないでしょうか。
 引き出す時には、“共に”の態度と行動が重要になります。このことも忘れてはいけません。

 引き出す手段はいくつもあると思います。私の場合、試行錯誤を繰り返しながら行き着いた先が、受講対象者にとって身近な方々の善行や成功例、そして失敗例や問題提起が、やる気の大きな誘引剤になるという体感なのです。
 私が企業内教育に従事して気づかされたのは、日常の出来事や人間関係、毎日の仕事そのものこそが、最高の教材であり、最良の教育者である、ということです。数多くの失敗や体験を通して、思い知らされ、気づかされ、学び勇気づけられたのです。日常から学び、気づき、反省し、感謝・感動する努力こそが、人材育成の大きなテーマとして継続していかなければならないと常に思っております。ずっと問いかけ続けていくべきテーマなのです。
 もう一つ付け加えましょう。
 身近な方々の善行、成功例の情報収集には、時間と根気とエネルギーが必要だということです。集中力と感受性、視野の広さも欠かせません。そのような覚悟を持って、乗り越えていくテーマでもあるのです。これも宿命なのでしょう。
                                                                         (2015.7.3記)

エッセイ98:一人前の教育担当者への関門

 つぶやきエッセイを書き始めたのは、2005年(平成17年)4月1日でした。このホームページには掲載しておりませんが、“「どんな薬剤師になりたいですか?」~それが私の第一声です”が、第1号のタイトルになります。
 当時のエッセイに対する私の取組み意欲は、それほど高くはありませんでした。その状況を鑑みれば、“思えば遠くへ来たもんだ”というのが、率直な感想になります。つまり、10年以上もの長きにわたって呟き続けるなんて、夢にも思っていなかったのです。今年の7月第一週の数日間、第1回からの全エッセイ(約380回)をざっと読み流してみました。その内のいくつかは、何度か読み返しました。
 今回のエッセイは、採用担当者つぶやきエッセイをスタートさせたきっかけ、そしてそのきっかけを思い出しながら、教育担当の後輩に投げかけたあるひと言をつぶやいてみます。

一人前の教育担当者への関門

 エッセイを書き始めたのは、当時入社したばかりの調剤薬局チェーンのホームページ(以下、HP)の見直しがきっかけでした。10年以上も前のことです。
 何年かにわたって手付かずのままのHPを、抜本的にリニューアルすることになったのです。成長戦略の一環です。その任を全権委任されたのです。私が信頼する就職情報企業との協同作業で骨格を構築しながら、リニューアル後の更新情報のあり方に苦慮しておりました。それだけは、私の責任で進めなければならない、と感じたからです。
 当時、企業のHPの良し悪しの評価基準に、“更新情報のアップ頻度”がありました。中小企業の場合、何ヶ月も更新情報無しの企業があります。そこで、更新情報を毎月アップすることを最大の目標に掲げたのです。それも、企業姿勢や考え方をメインに発信することにしました。考えた末に、私がエッセイを書いてアップすることになりました。これが第一のきっかけです。
 その裏で、つぶやく内容について四苦八苦する状態が始まりました。かなりのストレスでした。プラス方向のストレスに舵を切るために、その5年前に描いていた私の将来の夢に登場願いました。岩手大学人文社会学部に社会人入学して、「自発的(内発的)やる気を喚起する企業内教育のあり方、進め方」、「調剤薬局における人財育成の一考察」の2論文を書きあげる夢です。
 実際、私が確信を持って問題提起できるテーマは、人事業務の一部である人材開発に関する内容です。その中でも、採用と人材育成をメインテーマにして、“行けるところまで突っ走ろう”と決めてスタートしました。これもエッセイ執筆の潜在的きっかけだったと思います。
 今年の7月上旬、10年間の全エッセイを読み流し、あるものは読み返しながら、改めてその傾向を確認することが出来ました。平成27年7月までにつぶやいたエッセイの過半数が、人材育成や企業内教育に関するテーマであるということです。現状実態、現状実態への問題提起、将来の方向性と今後の課題に始まって、教育とは、マネジメントとは、リーダーシップとは、企業の教育担当者のあり方・要件などの持論など、その都度湧き上がってきたテーマを羅列しながら、現在に至ったのです。
 余談ですが、そのような認識から、今後のエッセイをリニューアルして、人材育成に特化してつぶやこうとしているのです。以上が、10年間続けてきた“採用担当者つぶやきエッセイ”の動機や理由になります。
 さて、数日間を使ったエッセイの振り返り作業で、後輩の若い青竹の教育担当者に対してアドバイスをしたあるひと言が蘇ってきたのでした。「一人前の教育担当者としての関門は何か?」という意見交換の中で辿り着いたひと言でもあります。
 「自分自身の生き方や考え方を、自分の言葉で語り、問題提起をして、その輪の中に目の前の受講対象者を引き込むことが出来る様になること」と。その後輩は、22歳で私の部下になり、関門を通過するまでに10年近い試行錯誤の時間を要しました。通過してからは、落ち着いて語りかけ、粘り強く対話を繰り返し、本質をはずさない進め方が出来る様になったのです。安心して任せることが可能になったのでした。難しい課題を乗り越えた努力に、改めて敬意を表した7月20日でした。
                                                      (2015.7.20記)

エッセイ97:成功確率の高い『問題解決の基本手順』

 前回のエッセイ「プロセスは結果の根源」の続きです。
 プロセスを重視した根本的問題解決の手順をご紹介したいと思います。名付けて“成功確率の高い「問題解決の基本手順」”です。新世紀の2001年にまとめ直したもので、この基本手順で対処すれば、かなりの確率で成功比率が高くなると信じております。

成功確率の高い『問題解決の基本手順』

 手順1問題を把握する:観察
      自分が、グループが解決しなければならない問題を明確にする。
       ※発生している現象や状態の事実(ファクトベース)を、4直4現主義で調査します。できるだけ数値化して、率直に表現する
        こと。背景や原因を問題とは言いません。
       ※「直ちに現場で、現人を、現物を、現時点で」が4直4現主義

 手順2原因を分析する:分析
      問題がなぜ起こっているのか、その原因や背景を分析する。
       ※原因はできるだけ沢山だします。そして、それぞれの因果関係を整理して、重要な原因との相互関係を明らかにします。

 手順3対案を列挙し整理する:判断
      その状況のもとで考えられる解決策を、できる限り列挙します。
       ※先入観を排除して、できるだけ沢山だします。
       ※これからの課題に取組む時は、必ず仮説を立てます。

 手順4比較選択する:判断
      列挙した各対案の長短を比較し、その状況に最も適した有利な実行案をひとつ選択します。

 手順5選択案の実行計画を立て、全体をチェックする
      対案を実行に移す手順を、順序だてて具体的な計画にします。
       ※6W3Hを動員します。それが、具体化の鍵です。

 手順6計画に沿って、実行する

 手順7定期的に、進行状況を検証して歯止めを設ける
                                                      (2015.6.20記)

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