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エッセイ110:続・教育機会におけるオリエンテーションの重要性

 “薬局の未来は、薬剤師一人ひとりがつくる”(エッセイ103回タイトル)
 このキャッチフレーズは、『まちの本屋』(田中幹人・著/ポプラ社:2015年11月13日第1刷発行)から拝借いたしました。著者の田中さんは、さわや書店(本店:岩手県盛岡市)フェザン店の店長だそうです。そのあとがきのタイトル“本屋の未来は、自分たちでつくる”に、大いに心惹かれました。その14文字に魅せられて、即購買を決めたのでした。
 そのあとがきの4ページには、その昔、よく耳にした言葉が出てきました。今でも、時々耳にするフレーズです。しかし、一方の耳からすり抜けて、「でもね、・・・・・・」で終わっているようにも感じます。この機会に、志を、そして思考習慣や行動指針を看脚下してブラッシュアップしたいものです。
 エッセイ110回は、研修や勉強会の進め方について考えてみたいと思います。

続・教育機会におけるオリエンテーションの重要性

 ある講習会に参加しました。3時間強のカリキュラムが用意されておりました。
 開始から20分して、「これではダメではなかろうか?」と思い始めました。休憩をはさみ再開して間もなく、「これではダメ!大問題!!」という結論に至ったのです。

 そもそも何がダメなのか、どのようにダメなのか、このことから呟いてみましょう。
 先ず、講習会の狙いは何なのか、何を目指しているのか、目的や目標が分かり難かったのです。私が分かり難いと感じたのは、講師の思いでもあります“何故、この講習会を企画したのか!”という肝心の開催理由が伝わってこないのです。ある程度の想像はついていましたが、多くの受講者の心を掴むことは難しいだろうと感じました。これでは、開催したという主催者側の自己満足で終わりという結果を予想するしかありません。演題に期待して受講された方には、何とも傍迷惑な話であったと思われます。
 目的が曖昧な講習会(研修会、勉強会、セミナーと呼ばれる教育機会も含む)は、進め方そのものに大きく影響します。それもマイナス方向への悪影響です。前段で申しあげた内容が、その一例ということになります。
 グループによる分科会が組み込まれている場合は、グループ毎の進行状況に大きな違いが生じてきます。目的が曖昧ですから、進行役だけではなくグループメンバーの理解や解釈には、当然の摂理としてかなりの巾が生まれてくるでしょう。奥行きにも大きく差が出ると思われます。案の定、私が考えていた方向とは程遠い進め方になりました。結局、“何を討議したかったのだろうか?”という、モヤモヤ感のままで終わってしまいました。
 受講後、「何故そうなったのか」、「どうするべきであったのか」などを自己分析しながら、この体験を反面教師とすることで今後に活かそうと誓ったのでした。

 過去に遡って反芻すれば、このような実態の集合教育機会は、かなり現存しているのではないでしょうか。教育ニーズとはかけ離れた、開催することが主目的の教育機会を苦々しく感じたことが、数え切れないほどありました。
 一方、恥かしくて批判など到底できない教育機会を、何度となく私自身が行なっておりました。教育担当成り立てだった時期の私は、正しくそんな有様でした。しかし、私が強く自覚したある大失敗を契機として、今でも事のほか気を使っていることがあるのです。回を重ねたエッセイにおいて、何度となくつぶやいている内容です。
 その失敗を初心として、試行錯誤を繰り返しながら行き着いた先は、出来得る限りの準備を積み重ねて好スタートを切ることでした。
 それは、スタート時のオリエンテーション(或いはガイダンス)の重要性です。その教育機会の「狙い(目的・目標)」、「狙い達成のためのカリキュラムと全体スケジュール」、「進め方、取組み方の基本ルール」を明示し、共有化することです。ここが集合教育における動機付けの肝所だと思います。長期間にわたる教育機会では、カリキュラムの節目節目において、狙いを確認しながら進めていくことも重要になります。話を本題に戻す時に使う言葉を“閑話休題”といいます。狙いは、正に閑話休題の役目を担うのです。
 その様な苦い恥かしい失敗体験と理由から、私流のイメージトレーニングがスタートしました。40歳代前半からですから20数年間続けてきたことになります。移動する公共交通機関の中で、ちょっとした空き時間を利用して、なかなか寝付けない床の中で、予定日間近の総仕上げや予行として…… 。声を出して話し方を検討したり、ボディランゲージのあり方を調整したり、時には頭の中で言葉を追いかけながら、様々な工夫を繰り返し、試行錯誤を積み重ねては、徹底して訓練に励みました。手抜き無用の精神で、決められた所要時間管理もキチンと行なうのです。50歳前後の何年間は、納得するまで鍛練した記憶が残っております。
 井上流オリエンテーションの詳細はエッセイ75回(平成26年11月アップ)に譲るとして、「狙い(目的・目標)」、「狙い達成のためのカリキュラムと全体スケジュール」、「進め方、取組み方の基本ルール」を明示し、共有化することは、受講者の参画意識を明らかに促進してくれたのでした。

 スポーツの世界では、イメージトレーニングの有効性が盛んに取り上げられています。余談になりますが、20数年間、私が自己流で予行演習してきたことがイメージトレーニングであることを自覚したのは、ごくごく最近のことになります。
                                                                    (2016.1.8記)

エッセイ109:継続して行動することの意味を考える

 マザー・テレサ(1910 ~1997)が残した言葉の多くは、医療倫理を考える時の根源となる問いかけではないか、と思えてきます。その表現はシンプルで分かり易く、心に凛然と響いてきます。しかし、時代背景やその全活動実績(理由も含めて)を知れば知るほど、私ごときがこうやって取りあげることすら憚ってしまいます。恐縮しながら、心の姿勢を正して一つだけ取り上げさせて頂きます。

「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分を必要とされていない、と感じることです」

 インドのカルカッタ(現在名コルカタ)の路上に倒れている多くの病人に対して、開設した「死を待つ人々の家」というホスピスにおいて、限りある数少ない薬を投与しました。その病人たちは、その薬で助かる可能性のない方々です。それなのに、何故使ったのでしょうか。
薬を使うのは病気を治すことではなく、“有難う”と言って感謝の笑顔で死を迎えて欲しい、という理由からなのです。ちなみに、マザー・テレサはカトリック教会の修道女ですが、亡くなられた方の看取りは、その方の宗教・宗派を尊重して執り行ったそうです。
 またノーベル平和賞授賞式のインタビューでの「世界平和のために私たちはどのようなことをしたらいいのでしょうか」という問いに対しては、「家に帰って家族を愛してあげてください」と答えています。あの有名な「愛の反対は無関心である」を思い起こします。
 それらに共通する根源は、日常の人間愛そのものではないでしょうか。直接間接を問わず医療に関わる人間への、職務遂行上の土台となる仕事観熟成の重要な問いかけではないでしょうか。
 マザー・テレサに思いを馳せた、師走初めのある日の夕暮れ時でした。

 エッセイ109回は、継続して行動することの意味を考えてみたいと思います。

継続して行動することの意味を考える

 目標達成へのスタートラインは、「決心」することから始まります。“何らかの行動を起こそう”と心で決めることです。
 しかし、決心しても目標に向かって行動しなければ実現には至りません。決心したことを、迷わず実行する「決断」まで高めなければなりません。苦もなく達成できそうな目標であれば別ですが、ハードルの上がったストレッチ目標の場合には、(大げさに言えば)煩悩を捨ててキッパリと肚を括った決断が行動促進剤となります。決心を決断まで強めることが、後顧の憂いを振り切って積極的な行動へと導いてくれます。「やります」という心の姿勢の芯を強化して、信念まで高めてくれるのです。それが業績魂を燃やし続けるエネルギー源にもなるのです。
 それでも第一歩を踏み出せない場合があります。迷いや恐れが上回って、“明日にしよう”、“明後日でもいいや”と先送りしてしまうのです。気がつけば信念が揺らいでしまい、折角高めた決断の灯が消えてしまいそうな自分がいるのです。直ぐに着手しなくても、当分は眼に見える影響が現れそうにない場合がそうです。身の回りの現実は、そんな事態が似たり寄ったりではなかったか、と思えるのです。
 それでは、どうするべきか … 。
 決断したら間髪入れずに「決行」することです。思いっ切りスタートダッシュするのです。眼をつぶってでも発進するのです。
 それでも閻魔様は立ち塞がります。業績主義主流の今の時代、即効性(或いは速効性)が最優先評価事項ですから、日々期待する成果を求められます。しかし、直ぐには成果が顕われないのです。なかなか答えが出てこないことの方が、ずっとずっと多いのです。決断し決行したとしても、いつの間にか、嫌々の三日坊主(一日坊主かもしれません)を繰り返すことになります。気がつけば行動計画は中断しています。これでジ・エンドです。頻繁に見聞きしてきました。
 わざわざ登場して立ち塞がる閻魔様の真意は、“失敗は成功の母なり”、“だから、もっともっと試行錯誤しなさい。努力し続けなさい”、“成果に行き着くまで歩き続けなさい”、ということなのですが、その真意に気づくまでには多くの実のある失敗体験が必要かもしれません。この件は、機会を改めて申しあげたいと思います。

 結局、成果への道のりは、いかにして行動の継続を維持し続けるかにかかってくるのです。
 先ず、ありがちな行動習慣、陥りがちな行動習慣を考えてみたいと思います。
 通常、“意志が強いと継続できる”と思いがちですが、果してそうなのでしょうか。先ほど申しあげたように、成果が見えてくるまでには時間を要しますから、“このやり方でいいのだろうか”という手探りの中で進めることになります。暗中模索、試行錯誤の連続です。そのような状態が、スタート時の小さな不安や迷いを増幅して、徐々に行動制御へと働きかけていくのです。決心して決断し、決行したことが途切れ途切れになって、行動の継続に綻びが出始めます。そうなると、“私は何て意志が弱いことか”と自己嫌悪の芽が顔を出します。意志が弱いというのはマイナスイメージですから、どうしても否定的になりがちで、知らぬ間に行動停止の方向へ舵を切ってしまうのです。以上のパターンは一例に過ぎないかもしれませんが、意志の弱さを問題にすると陥りやすいパターンではないでしょうか。
 話を進めましょう。
 そこで向き合いたい視点は、意志ではなく、“やりたい”、“やってみたい”という意欲なのです。意欲で行動の継続へと引きずり込みたいのです。意志の問題は“行動は何とか継続できれば良い”程度に留めて、いかにして意欲を掻き立てるのかを問題にしたいのです。
 ここからが、今エッセイのクライマックスです。
 意欲を掻き立ててくれるファクターは三つあって、それらのミックスブレンドこそがキーポイントになると考えています。エッセイ71回で取りあげました、「使命感」、「自己確信」、「好きであること」の三つの要素のミックスブレンドのことです。アベノミクスをもじって、イヨク(意欲)ミクスとでも命名しましょうか …… 。そして、イヨクミクスを木の幹とすれば、それらを支える根っこ(土台)こそが、行動継続を生み出す最も重要な要因ではないかと思い続けて、現在に至っております。そして、その最重要となる要因は、今までのエッセイで何度となく取りあげました「純粋な志」、「明確なビジョン」と位置づけているのです。

 今回のエッセイのタイトルは、「継続して行動することの意味を考える」でした。ピントを絞って、まとめ直してみしょう。
 継続行動の意味は、“成果への王道であり、結局は近道なのである”という結論に達します。王道(=継続行動)を歩み続けるには難しい側面もありますが、“やりたい”、“やってみたい”という意欲に着目し、意欲を維持する土台となる「純粋な志」と「明確なビジョン」を意識した志事の進め方を身につけることをお奨めしたいと思います。
 最後に、もう一言付け加えさせてください。
 長い年月をかけて積み重ねて追究する生涯学習(ライフワーク)テーマを、一つ持たれてはいかがでしょうか。当然“やりたい”、“やってみたい”というテーマでしょう。そのライフワーク追究の過程において、“行動を継続することの意味”や“行動を継続する原動力が何であるか”が、ある時、見事に結晶化するのだと思います。
 以上が、私の現時点での心境でした。

追:決断の選択肢は、行動の継続が全てではありません。中止や休止もあります。仕切り直しだってあるでしょう。今回のエッセイは、継続行動が成果に直結する時のケーススタディとして呟きました。付記させて頂きます。
                                                                (2015.12.3記)

エッセイ107:結果の基(原因)はプロセスと心構え

 2年前の新聞で知った忘れられない善意のお話です。
 平成25年(2013年)5月、元看護師の中西豊子さんが亡くなりました。その前年2月に入居していたケアハウスのある愛知県豊橋市で、関西大学教授河田恵昭氏の講演を聴いたそうです。東日本大震災での岩手県上閉伊郡大槌町の甚大な被害が語られ、そのような中でがんばっている子どもたちの奮闘の様子が紹介されました。
 大槌町とは縁もゆかりもなかった中西さんですが、講演でのその話に心を痛めて、当時の大槌町長に手紙を書きました。“財産は全て大槌の子どもたちに使いたい”と。委託された親しかった知人らは、中西さんの遺志に沿って、全財産7千万円を寄付されました。そして、中西さんの遺産全額が大槌町の奨学金の貸付基金となる、ということを知りました。
 つぶやきエッセイでは、忘れずに心のどこかに留めておきたい市井の方を、何度か取りあげてきました。頻度は多くはありませんが、これからも取りあげたいと思います。その方々の生き方や考え方と可能な限り向き合って、私自身のこれからの人生を耕す機会にしたいと思うのです。

 エッセイ107回は、今後のいのうえ塾で問いかけたいテーマを呟きたいと思います。日々の忙しさの中では、どうしても疎かにされがちなことです。年に1、2回程度でも方向付けすることで、PDCAサイクルが少しでもスパイラルアップすることを期待したいのです。視点を変えながら、何度となくエッセイの中で問いかけている基本に関することです。

結果の基(原因)はプロセスと心構え
 
 アマチュアスポーツの指導者の育成術で、最近とみに目にするウェイトの高い着眼点があります。十数年前から言われ始めたように感じております。人材育成の方法論とその理由は、指導者一人ひとり違って当り前のことですが、これから紹介することは、私自身が特に共感できる内容です。

 ある大学野球部の監督は、育成の基本をこう捉えていらっしゃいます。
 「結果だけでは怒りません。過程や取組む姿勢で結果が決まると思っています」と。勝つことは当然としても、先ず1人の人間としての部員育成を第一に考えているのです。その理由を、「社会に出て、自由な発想で取り組み、活躍できる選手になって欲しい。そういう選手がいるチームは強いのです」と言い切っています。
“そこに至るプロセスと取組み姿勢を支えている心構え(行動理論、考え方、思考習慣)が結果の基(原因)”、という考え方が根幹にあるのではないでしょうか。

 高校野球における育成の考え方や指導のあり方にも、プロセス重視を見ることができます。そのプロセスの一つが、日常の生活態度や練習への取組姿勢に重点がおかれていることです。そこに、以前とは違う指導のあり方の変化を感じます。
 ある有力校の監督が話された内容の骨子を紹介しましょう。
 「優勝することが花だとすれば、花は枝に支えられ、枝は幹に支えられ、木全体を支えているのは目には見えない根っこになります。小さいことを確実にこなすことが根っこ作りです。日頃から小さいことができないと、サインを見落としたりバックアップ(カバーリング)を怠るのです」と。挨拶や靴の脱ぎ方などのマナー、人との付き合い方・接し方、感謝すること、協調性などを、人として身につけたい目に見えない当たり前の作法を、小さいことと位置づけているのです
 毎日のマナー徹底は当り前として、練習場だけではなく、どのような場所においても、落ちているゴミを拾って捨てる習慣の徹底などは、社会に出てからのことも考慮しての全人的な生徒育成であることに気づかされます。一人ひとりのプレーの中で、予期せぬエラー(ミス)はつきものです。ですから、常に一つひとつのプレーをバックアップすることは、そのエラー(ミス)による被害を最小限に食い止めることが可能になります。それが最終結果に大きく影響する場合もあるでしょう。ゴミに気づかない人、落ちているゴミに気づいても拾わない人は、時々手抜きをする癖が身についてしまうのだそうです。バックアップが疎かになったり、肝心な時のエラーとなって失点につながる可能性が高くなってしまうのでしょう。
 ゴミ拾いもバックアップも誰かに認めてもらうためにやるのではなく、チーム目標達成のための当り前の行動として厳しく躾けているのだと思います。このことは、会社における仕事遂行のあり方にも相通じることであり、リスクマネジメントの基本であると再認識しております。

 チーク(組織)作りというのは、全員が揃って初めてベストとなるチーム(組織)を実現することだと思います。近付くための幹は、プロセス(日々の生活習慣、行動習慣)と心構え(日々の行動理論、思考習慣)の変革に重点をおいて育成することに尽きるのではないでしょうか。私の失敗体験からも、この着眼点にいたく共感を覚えるのです。そして、これらの具体的内容と何故そうするのかという理由を反芻しながら、企業では蔑ろにされてはいないだろうかと思える社員教育の実態に、ハッとさせられているのです。
 そう考えながら、日本女子バレー全盛期に監督をされていた故小島孝治氏(1930年~2014年)の選手育成の考え方を思い起こしております。
 小島氏が監督で出場した1972年ミュンヘン五輪では銀メダルを獲得しました。4年後のモスクワ五輪は、金メダルを期待されながら国として不出場になりました。そのようなことから“悲運の名将”とも言われた方です。指導者としての基本姿勢を、小島氏はこう語っています。
「私は、選手を指導する最初の1年間は、基本的なことを厳しく叩き込みました。なぜなら、基本が出来ていない選手は、故障やスランプ、敗戦など落ち込んだ時、這い上がれないからです。だから1年間は、基本的なパスやスパイクのフォーム、バレーボールのルール、そして先輩や目上の人に対する礼儀作法をしっかりと身につけさせました。そうした基本を的確に習得することが、競った時に一歩抜きん出る力となります。基本ができた選手は、自ら練習に取組んで、放っておいても伸びていくようになるのです」と。

 結局、“結果はプロセスと心構えで決まる”という考え方を、社員育成、選手育成、生徒育成の根幹に据えるべきではないでしょうか。(即戦力化、即効性優先の)人材育成の現実に大きな違和感を覚えながら、一方では自分自身の非力さを不甲斐なく思う毎日なのです。
                                                                   (2015.10.10記)

エッセイ106:“備えよ常に”は、リスクマネジメントの基本

 足利事件をご存知でしょうか。丹念に自分自身で見聞きした調査報道で、服役していた菅家利和さんの冤罪立証を後押しされた日本テレビ記者がいらっしゃいます。当時の番組横断的キャンペーンが、日本民間放送連盟賞「放送と公共性」において最優秀に選ばれました。そのテレビ記者は清水潔さんという方です。5年ほど前の新聞で知りました。
 清水さんは、山歩き用の運動靴をいつも履き続けているそうです。どのような現場に行っても困らないようにするための必須アイテムなのです。これは、想定外にも対応できるような備えとして、清水さんが導き出したプロ記者としての仕事流儀なのだ、と解釈しております。
 それにつけても、最近つくづく思うことがあります。仕事であれ、学びであれ、準備不足が横行していることです。準備内容の貧困化と言っても過言ではありません。“想定外という言い訳は恥かしいこと”と自分自身に言い聞かせて、どのような事態が起きたとしても最低限の任務を果たすことができる作法を特定し、その作法を当り前に実践し維持し続けている人が、本物のプロフェッションなのだと思います。それは、この数年間しつこいほどに方向付けしている“備えよ常に”という不易の日常的作法の一つなのではないでしょうか。

“備えよ常に”は、リスクマネジメントの基本

 先ず、「備えよ常に」の意味と意義を考えてみましょう。私見になります。

 ボーイスカウトのモットーである「備えよ常に」は、“イザという時に備えて、日頃からいろいろと準備しておきましょう”という意味です。
 ビジネスパーソンとして社会に船出した皆さん方は、様々な仕事を指示され、将来はやりがいのある仕事を任される時がくるでしょう。そのような時に、与えられた仕事、任された仕事をやり遂げられる能力開発を、日頃からコツコツこつこつ積み重ねていくことこそが、基本中の基本ではないでしょうか。倦まず弛まず、克己心と自助力で蓄積した開発能力が、与えられた仕事、任された仕事をやり遂げる原動力となるのです。

 スピード優先、効率化優先、即戦力化、アウトソーシング化、…… 。いつ頃から、このようなことが当り前化してしまったのでしょうか。バブル経済が弾けたあたりからでしょうか。
 それらの基本理念や意図、そして本質的機能が整わないまま、継ぎ接ぎされたシステムとやり方が急いで築かれ、慣れないままに運用されてしまったのです。スピードこそが一番の競争優位性の旗の下で、見切り発車したのです。その結果、企業を支える要となる人材育成の劣化という大きな代償を払うことになったのです。
 つくづく想います。
 イザという時に備えて、日頃から万全の準備をして、目の前の日々の課題や出来事と向き合って対処することが基本です。仕事であれ、日常生活であれ、自己啓発であれ、人生万般において「備えよ常に」を積み重ねて習慣化することが大前提なのです。
 失敗から学ぶ、学習能力を磨く、そして準備万端整える、これらは全てリスクマネジメントと言われる範疇の基本中の基本ではないでしょうか。私は、つくづく感じ想っているのです。
こ のことを、今の時代、どれだけの方々が気づいているのでしょうか。実践しているのでしょうか。69歳目前の私ですが、問題提起し続けることに疲れつつあります。もう言い疲れてしまいました。私の正直な本音は、その疲労感からくる諦念感なのです。
                                                     (2015.9.28記)

エッセイ105:もっとしっかり生きなくてはいけないんだけれども、…

 30年前(1985年・昭和60年)の8月12日は、羽田発大阪伊丹行きの日航ジャンボ機123便が墜落した日になります。墜落場所は長野県境に近い群馬県御巣鷹山の尾根で、520人が犠牲になった大惨事でした。
 尾根の麓にある「慰霊の園」(上野村)では今年も追悼式典が行なわれ、記憶の継承を誓ったと報じられました。多発している飛行機事故やトラブルが気になりながら、この事故から大いに考えさせられる日常の存在を知りました。8月1日(土)21時放送のNHKスペシャル(NHK‐TV)では、事故から30年を迎えた日航ジャンボ機事故が取りあげられたのです。「日航ジャンボ機事故 空白の16時間 ~“墜落の夜”30年目の真実」というタイトルの49分番組でした。
 墜落場所が特定されるまでの16時間に何があったのか、それがどのように検証されてきたのか、NHKが独自の取材で明らかにした内容でした。捜索に当たった警察や自衛隊などの当事者の証言や現在の思いを通して、“救えた命があったのではないか”という、非常に重い問いかけのように感じました。
 エッセイ105回は、30年間も消え去ることのない、これからも消えることのない、番組の中でのご遺族の深く重い言葉を、そのまま書き綴りたいと思います。それらの言葉を決して忘れない、それが私の感懐です。

もっとしっかり生きなくてはいけないんだけれども、…。

 美谷島(みやじま)邦子さんは、遺族でつくる8・12連絡会の事務局長です。今年の7月22日(水)、東京での講演でこの様に話されていました。
 事故や災害をなくすことはできないけれども、被害を少しでも減らすことができるのではないかと思ってきました。当り前の日常が断ち切られた30年前、その日常が大切にされる社会であってほしい、そう願っております。
 「失われた命を生かしたい」30年間思い続けている言葉です。これからも同じだと思います。

 栗原哲さん(92才)は、大阪の実家へ帰省のために搭乗した長男(大学講師)家族3人を亡くされました。“亡くなった家族のために事故の真相や失ったものの大切さを書き残したい”と、ずっと思い続けているそうです。しかし、90歳を過ぎて難しくなってきたと実感されています。
 番組の中で、静かに真情を吐露されました。

 亡くなった子どもらのためにも 
 本当は もっとしっかり生きなくちゃいけないんだけれども …… だめですね。

 次男の毅さん(61才)は、「十分生きたよ」と、間をおいて優しく語りかけました。
 92才の哲さんは、「ごめんなさい」とつぶやいて、両手で頭を抱えてうなだれました。涙を浮かべているように見えました。
 私より二周りも年長の哲さんは、何と30年もの長い間、そう想い続けていらっしゃるのです。62歳から30年間も背負い続けている変わらぬ想いに、発する言葉が見当たりません。思いもよらない事故で先立たれた家族への無念さと深い愛、生きることへの真摯で生真面目な姿勢に、ただただ圧倒されました。ただただ感じ入るばかりでした。
 向き合うとは、学ぶとは、“だから日々どのような心構えで、何を目指して行動をするのかを追求し実践すること”だと、改めて思い知らされた気がします。打ちのめされた気がします。

 毅さんは、「何らかの形で伝えていかなければいけないんだよね」という思いで、10数冊の哲さんの日記の記録化に着手されていました。
 そして、持主の分からない事故による遺品が、まだ眠っていることも知りました。
                                                                          (2015.9.17記)

エッセイ104:隠れた身近な被災地の声に、もっと耳を傾けよう

 2013年(平成25年)10月1日(火)午前11時30分頃、横浜市緑区のJR横浜線川和踏切において、会社員村田奈津恵さんが下り列車にはねられた死亡事故がありました。遮断機が下がった踏切の線路内に横たわる男性を、運転する車から降りて助けようとしてはねられたのでした。
 報道によれば、“助けなければ”の一心で、同乗していた父親の制止を振り切っての行動だったようです。男性はレールとレールの間に横たわっていたために一命をとりとめたことが分かり、村田さんがそのように動かした可能性が高いといわれています。“困っている人がいれば放っておけない子”、“温厚で優しい人柄”の奈津恵さん評を知って、私自身の人生をキチンと全うしなければならないと思い知らされました。今までお世話になった世間様に、少しでも恩返しする行動を続けていかなければなりませんね。村田さんの行いから、改めてそう教えられました。
 さて、104回のエッセイは、前々回の続編になります。言い忘れたことを呟きたいと思います。

隠れた身近な被災地の声に、もっと耳を傾けよう

 エッセイ102回「これが大事 ~ 知り学んだ体験を、どう生かすのか」(2015.10.15記)では、岩手医科大学薬学部における自由科目「東日本大震災の被災地薬剤師から学び考える“これからの薬剤師のあり方”」の成果と今後の課題を取りあげさせて頂きました。先ず、前回のエッセイの中で課題として申しあげたことをお浚いしたいと思います。
 「今回の体験をスタートラインとして、知って学んだことを掘り下げて、“だから、これからの1年間(或いは半年間)は、日々の学業・私生活において、○○○を目標にしてこのように実行します”という具体的実行計画を立て、倦まず弛まず着実に行動を積み重ねることです。つまり、PDCAサイクルを自力で回すことです」、という内容でした。
 実は、それらに関連して申しあげたいことがありました。どうしても、そのことに触れておきたいのです。それは、今後も続くであろう同じ趣旨の自由科目の進め方に関することです。

 過去2回の被災地薬剤師から学び考える会の内容は、東日本大震災発災から数週間の活動実態と、その経験を通して気づいた課題を中心とした報告と課題提起でした。その多くは“3.11の実態を知り学ぶ”という貴重な機会であり、実際に知ることで“風化させてはならない”という意識が高められました。それは受講者の声から明らかですが、上級生に対しては角度を変えた学びの必要性も感じ始めております。その角度を変えた学びのヒントの一つが、宝来館の女将岩崎昭子さんの“震災復興の語り”にありました。実際に被災された女将さんの『今』の心情や日々の活動・取組み実態から、受講学生それぞれが、日々の目標を明確にする意義や目標のあり方の本質に気づいてくれそうだと感じたのです。それも他人事ではない、自分事の意義やあり方、具体的目標として。
 私の大学の後輩である道又利一さん(薬剤師)は、大槌町で薬局を経営しております。発災時、全壊した自宅兼薬局の屋上から翌日救助されました。当時は引退を考えたそうです。しかし、その地で薬局を再興し現在に至っています。
 東日本大震災が縁で知り合った大阪府門真市在住の薬剤師がいます。西垣有輝子さんです。大阪薬剤師会のボランティアとして、発災から3ヶ月の間に2回も釜石地区の医療支援活動に参加されました。それ以来、毎年数回の頻度で、釜石・大槌でのボランティア活動を継続中です。一昨年からは石井万里子さんとのペアで、被災者の心身のリフレッシュを目的としたヨーガレッスンとタッチケアの活動をやられています。『アイタイカラ』というホームページをご覧ください。違う角度からの被災地の現状が見えてきます。
 道又さんや西垣さんのように、謙虚な使命感と地道な仕事(志事)に就かれている薬剤師の心情や活動実態の中にこそ、“これからの薬剤師のあり方”を考える根っこが潜んでいると思えるのです。もっと傾聴したい声は、傾聴しなければならない声は、気づき難いけれども身近な所にあるのではないでしょうか。
                                                              (2015.10.26記)

エッセイ103:薬局の未来は、薬剤師一人ひとりがつくる

 明けましておめでとうございます。中田薬局を、そしてつぶやきエッセイを、本年も宜しくお願い申しあげます。
 平成28年(2016年)幕開けのエッセイは、元旦の内に仕上げました。
 私がエッセイをつぶやき始めた平成17年(2005年)4月を思い起こせば、海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」の心境でしょうか。ささやかな“使命感&自己確信&好きであること”の3要素が、自分自身の背中を押してくれているのだと思います。
 年初の“書初め”ならぬ“呟き初め”は、この10年間を振り返ってみれば1月3日以降でした。初エッセイのテーマは、薬剤師の同志への激励メッセージです。

薬局の未来は、薬剤師一人ひとりがつくる

 平成28年1月1日(金)は、ジャスト午前5時に床を出ました。起きて直ぐには、私だけに課せられた任務が待っております。年一回、元旦の朝だけの欠かすことのできない行事です。
 それは若水汲みです。結婚してから、数えて42回目になります。
生活環境の変化とともに日常生活のありようは大きく変貌しました。これからも変わり続けるでしょう。その変化によって、古来の行事や慣習は形骸化したり、或いは消え失せてしまったものもあるでしょう。若水汲みもその一つでしょうか。
 私の若水汲みは、本来の伝統的やり方ではありません。台所の水道の蛇口をひねって、愛用のお茶碗8分目に水を注ぐのです。それが我が家の若水汲みなのです。
 50歳も半ばにさしかかったある時、若水汲みを詳しく知りたくなりました。情報ソースを探して出会ったのが「年中行事事典(田中宣一、宮田登・編者/三省堂:1999年8月1日初版発行)」でした。日本古来の伝統行事が、こと細かに紹介されているのです。目から鱗でした。興味を抱いたのが、それぞれの行事の背景や理由(根拠)でした。特に惹かれたことは、そのやり方一つひとつに、それぞれ意味があることです。また、地方によっては相変わらず引き継がれている行事もあって、そのことはかなりの驚きの一つでした。
 理解が進むにつれて感心させられたのは、これらの行事の根底に流れている考えです。理念、思想と言ってもいいでしょう。共生、互助、感謝、尊敬など、日常生活や日々の仕事場において、対人関係を円滑にしたり、相互信頼を意識して作ろうとする思想が流れていることです。
 便利さになれた私たちは、不便さを知恵で克服してきた中で培われた大切な思い遣り、気遣いを忘れてしまったようです。どこかに捨ててしまって、その捨てた場所すら記憶から消し去ろうとしているように思います。一方、それら(共生、互助、感謝、尊敬など)が息づいている場も存在しています。その自然体に触れるたびに、日々のあり方が恥かしくなってくるのです。
そんな事を思い起こしながら、新たな年に向かって元旦(1月1日の朝)に叫びたいと思います。
 薬局の未来は、薬剤師自身がつくるのです。一人ひとりがつくりあげるのです。法で守られた特権に胡坐をかくのではなく、法で示されている理念とビジョン実現に汗をかくのみです。
 もう待ったなしですね。実現のための処方内容は、意識と行動の変革しかありません

                                                  (2016.1.1記)

エッセイ102:これが大事~知り学んだ経験を、どう生かすか

 平成5年(1993年)4月8日、ある日本人青年が殺害されました。異国の地で、崇高な志半ばで倒れたのでした。二昔以上も前の出来事ですが、忘れられません。
 青年の名は中田厚仁さん、その時25歳でした。大阪大学出身の中田さんは、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の選挙監視員に応募して、亡くなる前年7月からカンボジアの平和維持活動にボランティアとして参加していました。UNマークのついた車でカンボジア職員と移動中、武装集団によって車から降ろされて、至近距離から銃撃されたそうです。
 厚仁さんがアメリカ留学中、ある先生から一生心に残る言葉をもらったといいます。「あなたが学校に何かを求めているのと同じように、学校もあなたに何かを求めているのです。あなたは必要とされているのであり、求められている人であることを忘れないでください」と。
 求められているのであれば何ができるのか、何を為すべきか。厚仁さんは、そう自分自身に問いかけ、以降、積極的になったようです。父親である武仁さんは、そのように語ったそうです。また、「仕事の性格上、最悪の事態を覚悟していた」とも話されていたようです。
 現在のカンボジアの発展の裏には、多くの尊い志と悲惨な現実や犠牲が横たわっているのです。知り、学び、そして忘れない。そうすれば、行動のあり方の巾も広がってきます。一生謙虚に学ぶことは、人間の義務なのだと思うのです。

これが大事 ~ 知り学んだ体験を、どう生かすのか

 今年の夏、岩手医科大学薬学部の自由科目「東日本大震災の被災地薬剤師から学び考える“これからの薬剤師のあり方”」に、コーディネーターとして参加させて頂きました。
 この企画を提案し、お手伝いするようになって3年目になります。私が捉えております成果と今後の課題を中心に呟いてみたいと思います。

 3年前のスタート時の主目的は、“被災県にある薬学部学生として、被災地に出向いて東日本大震災を知ること、学ぶこと”でした。無関心ではないのでしょうが、発災時の被災状況や医療活動の実態を知らない学生がかなり多いと感じたからでした。企業と大学がもっと密に手を結んで、知り学ぶ機会を提供する必要性を強く感じ行動を起こしたプロジェクト活動でもありました。
 今回の取組みは、過去2年間の反省も踏まえて、学習方針、教育成果、到達目標を吟味しました。
 一方、回を重ねる毎に、震災から日が経つほどに、“知るだけで良いのだろうか!”という問題意識が大きくなっていくのが分かります。9月下旬、この自由科目のまとめ(90分)がありました。この機会に、私の問題意識を受講学生に問いかけることにしました。当日は十分な時間が確保できないこともあって、メッセージを認めて渡しました。以下、その一部を抜粋して紹介させて頂きます。

 『こんにちは。ガイダンスを担当いたしました井上でございます。また、7月27日(月)の被災地バスツァー(1年生対象)の企画、運営も担当いたしました。
 一昨日、皆さんのMY新聞の写しを頂きました。早速、昨日から拝見し拝読し始めて、いま読み終えたところです。新聞作成の意義(意味)については、ガイダンスで申しあげた通りです。その意義を思い起こして頂いて、これから差しあげます私からのメッセージの本意を考えて欲しいと思います。
 MY新聞は手書きの作品です。一人ひとりの感性表現であり個性の産物です。ですから、“一作品一作品と向き合わなければ”と、心に決めて味わってみました。いくつもの要素が影響する見栄えや出来栄えは、個性の産物ですから当然ありますが、今回のMY新聞では、そのことは大した問題では無い様な気がしております。
 一年生のIさん、Oさん、Gさんと読み進めながら、一人ひとりとはいかないまでも、私なりに感じたことをお話したくなりました。そうすることは、私なりの皆さん方への礼儀作法である、という考えでもあります。
 以下、私が気づき学んだこと、感じたこと、そして皆さんに問いかけて考えて頂きたいことを、思いつくままに呟いてみましょう。全対に関するメッセージと学年別のメッセージの二つに分けて編成したいと考えております。
 尚、この自由科目の受講学生の学年別内訳は、6年生3名、5年生2名(他5名が岩手県防災訓練のみ参加)、3年生3名、1年生20名でした。

●受講者全員へ
 何を学び、感じ、そして気づき、これからの目標をどこに定めたのか、それぞれがそれぞれの視点(着眼点、観点)で表現されている、と受け止めております。
 掲載された内容は、多くの方に共通する記事もあれば、1人だけが取りあげた記事もありました。それで良いのです。何故なら、受講目的とその優先順位が、1人ひとり異なるからです。さらに、感じ方や眼の付け所も異なります。それが個性であり、だから共同作業による化学反応が活発化するのです。
 大切なことは、事実を観察すること、素直に感じること、想像しながら気づくこと、可能な範囲で掘り下げて考えること、期限を決めて必ず結論をまとめることです。レスポンスカードとMY新聞から、それぞれの立場(学年、大震災との関わりなど)の目線で表現されていると思いました。私はそう感じています。その点で、先ずは全員に花丸を差しあげたいと思います。
 つまり、未知(場合によっては無知)であったことを既知に変換できたことです。何事もそうですが、知ること(知識修得)が成長への第一歩ですから、これは皆さん方にとって大きな収穫であったはずです。
 一方、知ったという第一歩は、やっとのことスタートラインに立てた段階でもあります。つまり知ってお終いでは、薬学部で学ぶ資格はありません。ガイダンスでも申しあげたことですが、もう一つ重要なことは、“今回の体験を今後にどうつなげていくか”ということにつきるのです。
 それは、気づいたこと、感じたこと、問題だと意識したことを土台として、“これからの1年間(或いは半年間)、日々の学業・私生活において、何を目標にして取り組むかという具体的計画を立てて実践する”ことです。PDCAサイクルを自力で回すことです。
 1年生の場合、多くの方々が宝来館の女将さんの姿勢に共感され刺激を受けたと思います。特に「3.11を風化させてはならない」と。例えば、阪神淡路大震災でも、日航機の御巣鷹山墜落事故でも、近年頻発している気象災害でも、日が経てば常に風化の危機に晒されます。ですから、今回感じたことや気づいたことを、同じ学年の仲間と話し合って、小さな活動につなげて欲しいと思うのです。
 例えば、「来年も参加する」(継続は力なり)、「仲間を誘う」(共感者を増やす)、「この体験を友人・知人・家族に話してみる。MY新聞を紹介する」(積み重ねは力なり)で良いのです。続けることで、新たは発見と人との出会いにつながります。それは69歳になる私の経験則なのです。
 
 出来栄え、見栄えについて、少しだけアドバイスしましょう。
 一般論ですが、内容が素晴らしくても、見栄えが悪いと読んで頂けない度合いが高くなります。基本はプレゼンテーションと同じです。
誤字・脱字は論外と扱われます。不明瞭な句読点も同じです。
段落が判別不能もありました。縦書きでも、横書きでも、一目見て分かる工夫が必要です。
 当然、丁寧な字で書くことが大前提ですが、読み難かった新聞もあります。字の上手下手の問題ではありません。心を込めて書くということです。心を込めるという精神は、岩手医科大学の建学の精神である「医療人たる前に、誠の人間たれ」に相通じることではないでしょうか。私の見解ですが。
 MY新聞の体裁を新聞形式にしていますから、実際の新聞の体裁がどうなっているのか研究して欲しかった人が何人かいます。この機会に新聞の基本骨格を勉強することです。それは1時間で可能だと思います。ほんの小さな努力(小研究)の積み重ねが成果に大きく影響するのです。

●5年生へ
 実務実習がありながら、積極的に複数の自由科目を受講した勇気と積極性に、敬意を表したいと思います。
 医療の仕事の原点の一つは、その時その時の事象とキチンと向き合って、どれだけ影響力を発揮できるか、できたかにかかってきます。それも対人関係としての影響力です。災害医療は、正にその一点につきます。そのような力を身に付ける場は、実は、日々の活動・生活の中での対人関係の中にあるのです。日々のコミュニケーションのあり方につきるのです。5年生の場合、所属講座の同級生との関わりの中にこそ、力を蓄える機会が多く存在すると思います。今のチームワークを、そのまま推し進めてはいかがでしょうか。
 もう一つ、実務実習では、現役薬剤師から学ぶことが沢山あります。一方、課題も見えてくるはずです。自由科目での経験、実務実習での経験から、将来目指したい薬剤師像、人間像を、できるだけ具体的に明確にして欲しいと思います。考え方の巾が広がってきますから。

●3年生へ
 他大学の薬学生との交流から、大きな刺激を受けたことでしょう。
 皆さんが入学して、2年半経ちました。日々の授業、部活、そして今回の自由科目(課外活動)などから、薬学を学ぶ意義、学んだことが将来どのように生かされるのか、… 少しずつ見えてきた段階かもしれません。
皆さんが考えている以上に、認識している以上に、薬剤師、薬学履修者の職能範囲は、かなり広く深いと思っております。災害時での医療活動、防災活動は、そのことを知る絶好の機会だと思います。ただし、一度の体験だけでは表面すら見えてきません。今回の受講で、大きな意義を感じたのであれば、来年、再来年と、継続して参加して欲しいと思います。先の長い3人には、このテーマを掘り下げて学び続けることを期待しております。この一点につきます。一つのテーマを掘り下げる活動から、オンリーワン(差別優位性)が芽生えるのです。3人の将来を楽しみにしております。

●1年生へ
 1年生の場合、20名が参加したことに大きな意義があったと判断しております。
 入学して半年、大学生活のあり方にようやく慣れてきた段階でしょうか。毎日が、新たな知識との出会いでしょう。それを理解するだけで精一杯だったでしょうし、戸惑いもあったでしょう。
しかし、何とか理解しなければ先へは進めません。目の前の学習と向き合って、一つひとつクリアするしかありませんね。肚を括って取組みましょう。
 今回の自由科目については、気づいたこと、やろうと決めたことを、行動レベルで積み重ねてください。そして、来年も、自主的に手をあげて参加してください。学び続けることで、釜石方式の真の姿が見えてきますから。これが、1年生へのメッセージになります。

 以上、私の感じたこと、気づいたことを申しあげました。
 理解できないことはありませんでしたか。また、私の勘違いや理解不足があったかもしれません。その場合は、遠慮なく指摘をしてください。不明の点は、問合せしてください。
 私の教育理念の一つに「共に学び、共に成長する」という項目があります。この自由科目では、私自身の勉強にもなりました。皆さんから学んだこともありました。これからも、共に成長していきたいと願っております。
 最後に、不思議な縁で出会った皆さん方に感謝申しあげます。この出会いを大切にして、これからも切磋琢磨して参りましょう。
 有難うございました。』

 以上、私から受講者へのメッセージの抜粋でした。

 さて、何事も“知ってお終い”では、思考停止のまま風化の一途を辿るでしょう。
 今回の体験をスタートラインとして、知って学んだことを掘り下げて、だから“これからの1年間(或いは半年間)、日々の学業・私生活において、○○○を目標にしてこのように実行します”という具体的実行計画を立て、倦まず弛まず着実に行動を積み重ねることです。つまり、PDCAサイクルを自力で回すことです。
 私が申しあげたいことは、唯一その一点につきるのです。現役薬剤師の皆さんには、等身大で構いませんから、そのお手本を示して頂きたいと願っております。

                                                                         (2015.10.15記)

エッセイ101:成熟した大人とは、ルールやマナーを自然体で守っている人

 今年(平成27年)の6月1日(月)から、改正道路交通法が施行されました。危険運転の罰則強化が主な変更点だそうです。その中での最大のポイントは、何といっても自転車の取締まり強化と言われています。
 自転車は軽車両になります。運転免許は不要ですから、老若男女を問わず誰でもが運転可能です。未就学児が運転している姿も見かけます。今回の改正前から、自転車運転の違反行為が取締まりの対象になることは知っておりました。しかし、実際に取締まりを受けたという話は聞いたことがありません。今回の改正のねらいから想像するに、危険を伴うと思われる違反行為の取締まりは、少しは見逃されることがなくなってくると期待したいところです。そのためには取締まる側のマンパワーが必要になってくると思われます。多忙を極める警察官の仕事でしょうから、それ無しには罰則強化と宣言されても疑問符がついてしまいます。さらに、自転車を取り巻く道路事情問題が根底にあります。交通量調査結果を活かしながら、自転車専用道路の必要性を感じます。
 安全運転の根幹は、運転者自身のマナーとモラルに尽きるでしょう。不特定多数の人間が利用する公共インフラの場において一番留意するべきは、決められたルールを当り前にキチンと守ることでしかありません。何故なら、ルールをお互いが百%遵守することで、安心・安全な生活が維持されるからです。そのことは相手の立場に立った大人としての行動であり、安心・安全な日々の生活の基本中の基本だからです。そこに、明文化されていないマナーが寄り添うことで、お互いにとって気持ちの良い生活環境、それ以上に安全な日常が維持できるのではないでしょうか。ルール遵守は共生の大原則だと思うのです。
 今回のエッセイは、ルールとマナーに関してつぶやいてみます。

成熟した大人とは、ルールやマナーを自然体で守っている人

 日本国民の三大義務の根幹は、一体どこにあるのでしょうか。憲法第12条にある自由と権利の保持義務には但し書きがあって、“これを濫用してはならない。常に公共の福祉のために、これを保有する責任を負う”とあります。
 民主主義下における法律の存在意義は、地球上の空気と同じだと認識しております。その有難味を当り前に享受していながら、その有難味は権利であって義務を果たすことが前提であることを蔑ろして日常生活を送っているのも実態ではないでしょうか。権利最優先、自己都合最優先と思しき行動を、知らず知らずのうちにとっているのかもしれません。それは、明文化されていない常識的ルール、マナーも同じです。
 ある全国紙の「声」欄に、若い看護学生からの強烈な指摘がありました。
 高齢者の乱暴な振る舞いが目につくようになったと思うこと、幼い頃から祖父母に色々なマナーを教えてもらうことが多かった投稿者には、人生の大先輩の姿が悲しいこと、そして、私(投稿者)たちよりも長い人生を歩んできた方たちは常に若い人たちの手本であってほしいこと、… 。具体的事例とともに、率直な感想と大人への期待感が滲み出ていました。
 国民性というのは、正に多種多様で言い表すことが難しいテーマです。そして、所変わればその評価も多種多様なのです。そのような中で、多くの日本人のマナーは高い評価を得られているようで、心の中の誇りでもあります。特に大きな事故が発生した時、大災害時における整然とした行動など、必ずと言っていいほど高い評価として取りあげられています。
 しかし、看護学生の声には、正直ハッとさせられました。ハッとさせられたというよりも、急速に拡大しつつある高齢化社会の負の遺産にしてはいけない心配事となって、正にクローズアップされるべき問題ではないでしょうか。
 キャッチアップ時代の日本を一身に背負って奮闘し、経済大国へと押し上げてきた人生の諸先輩には、それまでの頑張りを掛け替えのない秘めた誇りとして、人生の後輩から「さすが…」と評される人になって頂きたいと思うのです。いや、先ず私自身からそうなりたいと強く感じるのです。そのためには、人生の後輩の手本となることを、当たり前に自然体で実行するしかありません。
 例えば、“状況に応じて無言で範を示すこと“、“譲るべきは成長過程にある後輩に大幅に譲って笑顔で見守り続けること”、“率先して人を信じ人を愛し慈しむこと“、“相手の立場に立った考えや行動を優先すること”、そして“ルールとマナーを当り前に守って社会常識に自然体で馴染んでいること”、・・・・・・ 。
 これらを行動指針として、意識して実践躬行する人を目指したいと思います。

 目の前には、69歳の誕生日が見えてきました。知らない方からは「あのおじさん、さすが」と言われる人生にしなければいけません。これからの人生において頑張るとすれば、その一点に尽きるのだと思っています。
                                                              (2015.9.10記)

エッセイ100:エッセイ積み重ね秘話

 自動車に搭載されている現在のエアバッグの生みの親をご存知でしょうか。
 発明者である小堀安三郎氏が開発に着手したのは、50年以上も前になります。思いついたのは、旅客機に乗っていた時でした。当時はシートベルトの着用は任意だったこともあって、エアポケットに入った時など、天井に頭を打つような事故もあったようです。そこで、荷物を抱えて座席のテーブルに上体を伏せていれば安全だと考え、そこから次のことを思い浮かんだそうです。「自動車にも、衝突の瞬間、空気で膨らむものがあれば安心ではないか」と。
 今では当り前の装備ですが、当時の試作品発表の場では失笑を買い、14の国で特許取得はしたものの実用化に至りませんでした。最初にエアバッグが実用化されたのは、1970年代半ばのアメリカだったそうです。しかし、小堀氏はその普及を知ることもなく、生活苦から夫婦でガス心中を遂げました。1975年8月のことになります。
 こうやってエッセイを書き続けることで、知らないことのあまりの多さに気づかされます。このことは繰り返し申しあげてきたことです。知らなかったことを知るたびに、多くの方の辛酸や労苦から頂戴している恩恵に対してどうやって報いることができるのだろうか、などと考えるきっかけを投げかけられます。謙虚になって、自身のそれまでの行ないを自主的に振り返るよう、促されてしまいます。私はそう受け止めております。そして、倫理観に照らし合わせて決めた目標達成に向かって、倦まず弛まず、キチンと誠実に対処することを導いてくれているような気にさせられます。
 小堀氏のエアバッグ秘話から、エッセイを書き続けた10年半、途切れることなく呟き続けることが出来た理由は一体何だったのだろうか、そんな思いが沁み出してきました。今回は、その独り言の呟きです。気恥ずかしいのですが、積み重ねてこられた秘話とでも申しましょうか …… 。

エッセイ積み重ね秘話

 エッセイ98回(2015年7月20日記)の本文では、つぶやきエッセイをスタートさせた理由や10年間も続けられた理由の一端を、思いのほか淡々と公表させて頂きました。
 最初の1年間(2005年から2006年にかけて)は、継続掲載が主要目的でしたから、精神的なプレッシャーの中で書き続けました。しかし、継続強迫観念で書き続けていく内に、いつの間にか本気スイッチが起動したのです。以来、10年と5ヶ月も呟いてきました。何とか、呟き続けてきました。
 今、その背景と思われる私自身のメンタル面の自己評価、そしてどのようにして呟きを積み重ねてきたのか、積み重ねてこられたのか、ほんの少しだけお話したいと思うのです。

 不器用人間。それは、私自身から観た一番の自己評価になります。不器用さは、緊急的な要請に対して、なかなか対応できない度合いが高かったと感じております。
 何事に対しても恐る恐る状態の中でのスタート人間。これも自己評価の一つです。自信の無い心的状態の中でのスタートがほとんどでしたね。その癖、隠れ負けず嫌いで、やるからには満点を目指そうともします。それは、自信の無さを隠すための意地っ張りとも言えそうです。
 負けず嫌いが度を越せば、頑固さが顔を出します。頑固さが高じれば、ふて腐れに発展し、その結果、何も行動しないままに終えてしまう可能性も大なのです。恥ずかしながら、同じ轍を何度踏んだことか思い出せないくらいです。20才代、30才代は当然のこと、今から10数年ほど前までは、間違いなくそのような傾向が強かったと思います。
 これらの現象は、あくまでも私の場合ということで申しあげております。

 HPへのエッセイ掲載は、正にプレシャーを感じながらの恐る恐るのスタートでした。
 プレッシャーというものは、重荷になると思考回路をも狂わせてしまいます。最大の苦悩は、“何をつぶやいたらいいのか”というテーマとその内容でした。文章も冗長になりがちでしたから、“コンパクトでシンプルな表現を”という課題が、常に頭から離れません。不器用を強く自認する分、不器用を言い訳として投げ出したくなる頻度も高くなります。しかし、負けず嫌いの性分を、“自己責任意識で乗り切ろう”という足掻きに変えて、活力として利用したのだと思います。
 そのような葛藤と心境も、当時の仕事の忙しさで何とか紛らわせて9ヶ月が過ぎました。
 掲載してから半年後、何人かの社員や知人から、エッセイに対する共感の声、期待の声が頂くようになりました。急速に高まってきました。その声に推されたのでしょう。年が改まった2006年1月には、眠っていた本気スイッチがオンになったのです。
 不器用で負けず嫌いな人間が本気になりますと、石橋を叩いてでも渡りきるための目標を定めるようになります。それも背伸び目標です。そうすることは、私なりの必勝策になっていました。負けず嫌いを上手に持ち上げて、その気にさせる戦術だったのです。
 具体的には、以下の5目標を仕事作法(ルイティーン)と位置づけて、シッカリと心に刻み込んでエッセイを積み重ねました。そして、今でも我武者羅に積み重ねているのです。


    目標1掲載エッセイ数を月3話以上とする。
    目標2掲載月の3ヶ月前から準備を始める。
         準備内容は、①テーマ、②テーマ理由、③内容と私の考えの骨子
     目標3:遅くても2ヶ月前からつぶやき始める
         ただし、緊急テーマの掲載は例外とする。
    目標4最低5回以上のチェックを行なう。
          ①テーマ、理由、内容の整合性
          ②誤字、脱字
    目標5配信納期厳守

 こうやって10年間を見直してみれば、秘話としてご紹介するほどの目標(上記目標1~5)でもありませんね。前文で申しあげましたように気恥ずかしい思いではありますが、そのような中でのささやかな自慢の一つは、積み重ねてきた事実でしょうか。そして、強迫観念から脱皮させてくれた目標を強く意識して、何とかやり通そうとした目標必達魂でしょうか。
 以上、積み重ねてこられたエッセイ秘話でした。

                                                    (2015.9.3記)

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