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エッセイ100:エッセイ積み重ね秘話

 自動車に搭載されている現在のエアバッグの生みの親をご存知でしょうか。
 発明者である小堀安三郎氏が開発に着手したのは、50年以上も前になります。思いついたのは、旅客機に乗っていた時でした。当時はシートベルトの着用は任意だったこともあって、エアポケットに入った時など、天井に頭を打つような事故もあったようです。そこで、荷物を抱えて座席のテーブルに上体を伏せていれば安全だと考え、そこから次のことを思い浮かんだそうです。「自動車にも、衝突の瞬間、空気で膨らむものがあれば安心ではないか」と。
 今では当り前の装備ですが、当時の試作品発表の場では失笑を買い、14の国で特許取得はしたものの実用化に至りませんでした。最初にエアバッグが実用化されたのは、1970年代半ばのアメリカだったそうです。しかし、小堀氏はその普及を知ることもなく、生活苦から夫婦でガス心中を遂げました。1975年8月のことになります。
 こうやってエッセイを書き続けることで、知らないことのあまりの多さに気づかされます。このことは繰り返し申しあげてきたことです。知らなかったことを知るたびに、多くの方の辛酸や労苦から頂戴している恩恵に対してどうやって報いることができるのだろうか、などと考えるきっかけを投げかけられます。謙虚になって、自身のそれまでの行ないを自主的に振り返るよう、促されてしまいます。私はそう受け止めております。そして、倫理観に照らし合わせて決めた目標達成に向かって、倦まず弛まず、キチンと誠実に対処することを導いてくれているような気にさせられます。
 小堀氏のエアバッグ秘話から、エッセイを書き続けた10年半、途切れることなく呟き続けることが出来た理由は一体何だったのだろうか、そんな思いが沁み出してきました。今回は、その独り言の呟きです。気恥ずかしいのですが、積み重ねてこられた秘話とでも申しましょうか …… 。

エッセイ積み重ね秘話

 エッセイ98回(2015年7月20日記)の本文では、つぶやきエッセイをスタートさせた理由や10年間も続けられた理由の一端を、思いのほか淡々と公表させて頂きました。
 最初の1年間(2005年から2006年にかけて)は、継続掲載が主要目的でしたから、精神的なプレッシャーの中で書き続けました。しかし、継続強迫観念で書き続けていく内に、いつの間にか本気スイッチが起動したのです。以来、10年と5ヶ月も呟いてきました。何とか、呟き続けてきました。
 今、その背景と思われる私自身のメンタル面の自己評価、そしてどのようにして呟きを積み重ねてきたのか、積み重ねてこられたのか、ほんの少しだけお話したいと思うのです。

 不器用人間。それは、私自身から観た一番の自己評価になります。不器用さは、緊急的な要請に対して、なかなか対応できない度合いが高かったと感じております。
 何事に対しても恐る恐る状態の中でのスタート人間。これも自己評価の一つです。自信の無い心的状態の中でのスタートがほとんどでしたね。その癖、隠れ負けず嫌いで、やるからには満点を目指そうともします。それは、自信の無さを隠すための意地っ張りとも言えそうです。
 負けず嫌いが度を越せば、頑固さが顔を出します。頑固さが高じれば、ふて腐れに発展し、その結果、何も行動しないままに終えてしまう可能性も大なのです。恥ずかしながら、同じ轍を何度踏んだことか思い出せないくらいです。20才代、30才代は当然のこと、今から10数年ほど前までは、間違いなくそのような傾向が強かったと思います。
 これらの現象は、あくまでも私の場合ということで申しあげております。

 HPへのエッセイ掲載は、正にプレシャーを感じながらの恐る恐るのスタートでした。
 プレッシャーというものは、重荷になると思考回路をも狂わせてしまいます。最大の苦悩は、“何をつぶやいたらいいのか”というテーマとその内容でした。文章も冗長になりがちでしたから、“コンパクトでシンプルな表現を”という課題が、常に頭から離れません。不器用を強く自認する分、不器用を言い訳として投げ出したくなる頻度も高くなります。しかし、負けず嫌いの性分を、“自己責任意識で乗り切ろう”という足掻きに変えて、活力として利用したのだと思います。
 そのような葛藤と心境も、当時の仕事の忙しさで何とか紛らわせて9ヶ月が過ぎました。
 掲載してから半年後、何人かの社員や知人から、エッセイに対する共感の声、期待の声が頂くようになりました。急速に高まってきました。その声に推されたのでしょう。年が改まった2006年1月には、眠っていた本気スイッチがオンになったのです。
 不器用で負けず嫌いな人間が本気になりますと、石橋を叩いてでも渡りきるための目標を定めるようになります。それも背伸び目標です。そうすることは、私なりの必勝策になっていました。負けず嫌いを上手に持ち上げて、その気にさせる戦術だったのです。
 具体的には、以下の5目標を仕事作法(ルイティーン)と位置づけて、シッカリと心に刻み込んでエッセイを積み重ねました。そして、今でも我武者羅に積み重ねているのです。


    目標1掲載エッセイ数を月3話以上とする。
    目標2掲載月の3ヶ月前から準備を始める。
         準備内容は、①テーマ、②テーマ理由、③内容と私の考えの骨子
     目標3:遅くても2ヶ月前からつぶやき始める
         ただし、緊急テーマの掲載は例外とする。
    目標4最低5回以上のチェックを行なう。
          ①テーマ、理由、内容の整合性
          ②誤字、脱字
    目標5配信納期厳守

 こうやって10年間を見直してみれば、秘話としてご紹介するほどの目標(上記目標1~5)でもありませんね。前文で申しあげましたように気恥ずかしい思いではありますが、そのような中でのささやかな自慢の一つは、積み重ねてきた事実でしょうか。そして、強迫観念から脱皮させてくれた目標を強く意識して、何とかやり通そうとした目標必達魂でしょうか。
 以上、積み重ねてこられたエッセイ秘話でした。

                                                    (2015.9.3記)

エッセイ99:日々の出来事と仕事が成長の教材~“共に”の姿勢で

 講師として人前に立つ時は、常に不安感がまとわりついてのスタートになります。その不安感は、講師の私にとりまして当り前の緊張感かもしれません。それが同僚や仲間であれ、知人であれ、初対面の方であれ、不安の色合いは異なりますが、片時も離れることがないのです。
 その理由は、30年近い体験で味わった数多くの初心(私の能力が未熟なこと)が、身体の隅々まで浸み込んでいるからでしょう。受講される皆さんが、私を直視して傾聴する姿勢で臨んでくれるだろうか、という強いプレッシャーが原因でもあります。
 講師の任務を果たすための大きな関所の一つは、口を開いてからの数分間にあります。
 先ず、スタートしてからの数分間で、その場の雰囲気を察知して、目の前の受講者の取組み意欲を自己評価しなければなりません。評価内容とその度合いによっては、与えられた時間の進め方を修正しなければなりません。それは講師の宿命であり、使命感、責任感によって左右されます。どのように修正するかは、その時々の状況に応じて対応することになります。ひと言で言えば、総合的実力の勝負です。多くの場合、そこで勝敗が決すると言っても過言ではありません。そのノウハウのマニュアル化は難しいと感じながらも、出来る限り言葉に残すようにしております。
 初対面の方を担当する場合は、最初の切り出しトークと自己紹介に気を配ります。その場限り(1回のみ)の場合は、なおさら気を遣います。一発勝負と覚悟して臨まなければなりません。
 実務的な知識教育の場合、一にも二にも理解度アップに気を配ります。理解まで辿り着かないことには、開催した意味がありません。“その知識を学ぶ目的は何か”、“そもそもその知識は何故必要なのか”というレベルまで落とし込んで、能動的学びを引き出すことが理解度アップの要諦なのです。
 エッセイ99回は、その理解度アップ策をつぶやいてみましょう。
教育担当であれば、専任、兼任を問いません。経験の有無も、その長さも関係ありません。教育担当者だけではなく、言葉と行動で動機付けする機会の多い方々への問題提起でもあります。

日々の出来事と仕事が成長の教材~“共に”の姿勢で

 理解度を高めるためには、単なる知識として留めてしまわないように、具体的イメージを想像しながら、脳裏に刷り込んでもらう工夫が欠かせません。それが私の流儀です。
 通常よく出会うのが、先人の名言・格言、故事・ことわざ、有名な史実・来歴、そしてビジネス書でも紹介されるような数々のサクセスストーリーでしょうか。マス媒体でも取りあげられる機会が多いこともあって、新たに学んだことをより理解してもらう恰好の教材になります。私も頻繁に活用しております。
 松尾芭蕉の「不易流行」、マザー・テレサの「愛の反対は無関心」、1分間マネジャーの「状況対応リーダーシップとは、部下に対して何をするかではなく、部下と一緒に何をするかである」等など、キラ星のごとく無限にあります。しかし、ほとんどが特別な方々の名言であり、環境や背景が異なる時代の話しですから、別世界の話として他人事で終わる可能性も否定できません。
 私は、ある時から、私の周りの身近な方々の善行、成功例を取りあげるようにしております。身近な方々というのは、会社の仲間がメインですが、知人・友人、そして私自身の場合もあります。ある時というのは、教育担当として何らかの行き詰まりを感じたことがきっかけだったと思います。その行き詰まりが何であったか、記憶には残っておりませんが、20年以上も前だったと思います。
 善行、成功例といっても、小さな出来事がほとんどです。その場合、結果だけではなく、可能な限り理由やプロセスにも言及します。そこまでやらないと、ケーススタディにはならないのです。話して終りの自己満足で終わってしまうからです。私事を取り上げる時は、失敗談がほとんどです。その失敗談も、目の前の方々の年令に合わせて、その年令に近い時の失敗談を探し出します。失敗から学ぶことも多いからです。そうすることで、一人ひとりが手の届く実例と実感できるようにしたいのです。実現可能性という自覚が芽生えて、それがやる気につながっていくからです。

 どのような教育機会でも、その存在意義を問えば、“それほどの監督を受けなくても仕事を十分やってのけることができるという気持ちの強さ”と“仕事をりっぱにやることへの関心(興味)と熱意”、つまりやる気を引き出すことにつきると思います。前文で申しあげました“能動的学び”を引き出すこととイコールではないでしょうか。
 引き出す時には、“共に”の態度と行動が重要になります。このことも忘れてはいけません。

 引き出す手段はいくつもあると思います。私の場合、試行錯誤を繰り返しながら行き着いた先が、受講対象者にとって身近な方々の善行や成功例、そして失敗例や問題提起が、やる気の大きな誘引剤になるという体感なのです。
 私が企業内教育に従事して気づかされたのは、日常の出来事や人間関係、毎日の仕事そのものこそが、最高の教材であり、最良の教育者である、ということです。数多くの失敗や体験を通して、思い知らされ、気づかされ、学び勇気づけられたのです。日常から学び、気づき、反省し、感謝・感動する努力こそが、人材育成の大きなテーマとして継続していかなければならないと常に思っております。ずっと問いかけ続けていくべきテーマなのです。
 もう一つ付け加えましょう。
 身近な方々の善行、成功例の情報収集には、時間と根気とエネルギーが必要だということです。集中力と感受性、視野の広さも欠かせません。そのような覚悟を持って、乗り越えていくテーマでもあるのです。これも宿命なのでしょう。
                                                                         (2015.7.3記)

エッセイ98:一人前の教育担当者への関門

 つぶやきエッセイを書き始めたのは、2005年(平成17年)4月1日でした。このホームページには掲載しておりませんが、“「どんな薬剤師になりたいですか?」~それが私の第一声です”が、第1号のタイトルになります。
 当時のエッセイに対する私の取組み意欲は、それほど高くはありませんでした。その状況を鑑みれば、“思えば遠くへ来たもんだ”というのが、率直な感想になります。つまり、10年以上もの長きにわたって呟き続けるなんて、夢にも思っていなかったのです。今年の7月第一週の数日間、第1回からの全エッセイ(約380回)をざっと読み流してみました。その内のいくつかは、何度か読み返しました。
 今回のエッセイは、採用担当者つぶやきエッセイをスタートさせたきっかけ、そしてそのきっかけを思い出しながら、教育担当の後輩に投げかけたあるひと言をつぶやいてみます。

一人前の教育担当者への関門

 エッセイを書き始めたのは、当時入社したばかりの調剤薬局チェーンのホームページ(以下、HP)の見直しがきっかけでした。10年以上も前のことです。
 何年かにわたって手付かずのままのHPを、抜本的にリニューアルすることになったのです。成長戦略の一環です。その任を全権委任されたのです。私が信頼する就職情報企業との協同作業で骨格を構築しながら、リニューアル後の更新情報のあり方に苦慮しておりました。それだけは、私の責任で進めなければならない、と感じたからです。
 当時、企業のHPの良し悪しの評価基準に、“更新情報のアップ頻度”がありました。中小企業の場合、何ヶ月も更新情報無しの企業があります。そこで、更新情報を毎月アップすることを最大の目標に掲げたのです。それも、企業姿勢や考え方をメインに発信することにしました。考えた末に、私がエッセイを書いてアップすることになりました。これが第一のきっかけです。
 その裏で、つぶやく内容について四苦八苦する状態が始まりました。かなりのストレスでした。プラス方向のストレスに舵を切るために、その5年前に描いていた私の将来の夢に登場願いました。岩手大学人文社会学部に社会人入学して、「自発的(内発的)やる気を喚起する企業内教育のあり方、進め方」、「調剤薬局における人財育成の一考察」の2論文を書きあげる夢です。
 実際、私が確信を持って問題提起できるテーマは、人事業務の一部である人材開発に関する内容です。その中でも、採用と人材育成をメインテーマにして、“行けるところまで突っ走ろう”と決めてスタートしました。これもエッセイ執筆の潜在的きっかけだったと思います。
 今年の7月上旬、10年間の全エッセイを読み流し、あるものは読み返しながら、改めてその傾向を確認することが出来ました。平成27年7月までにつぶやいたエッセイの過半数が、人材育成や企業内教育に関するテーマであるということです。現状実態、現状実態への問題提起、将来の方向性と今後の課題に始まって、教育とは、マネジメントとは、リーダーシップとは、企業の教育担当者のあり方・要件などの持論など、その都度湧き上がってきたテーマを羅列しながら、現在に至ったのです。
 余談ですが、そのような認識から、今後のエッセイをリニューアルして、人材育成に特化してつぶやこうとしているのです。以上が、10年間続けてきた“採用担当者つぶやきエッセイ”の動機や理由になります。
 さて、数日間を使ったエッセイの振り返り作業で、後輩の若い青竹の教育担当者に対してアドバイスをしたあるひと言が蘇ってきたのでした。「一人前の教育担当者としての関門は何か?」という意見交換の中で辿り着いたひと言でもあります。
 「自分自身の生き方や考え方を、自分の言葉で語り、問題提起をして、その輪の中に目の前の受講対象者を引き込むことが出来る様になること」と。その後輩は、22歳で私の部下になり、関門を通過するまでに10年近い試行錯誤の時間を要しました。通過してからは、落ち着いて語りかけ、粘り強く対話を繰り返し、本質をはずさない進め方が出来る様になったのです。安心して任せることが可能になったのでした。難しい課題を乗り越えた努力に、改めて敬意を表した7月20日でした。
                                                      (2015.7.20記)

エッセイ97:成功確率の高い『問題解決の基本手順』

 前回のエッセイ「プロセスは結果の根源」の続きです。
 プロセスを重視した根本的問題解決の手順をご紹介したいと思います。名付けて“成功確率の高い「問題解決の基本手順」”です。新世紀の2001年にまとめ直したもので、この基本手順で対処すれば、かなりの確率で成功比率が高くなると信じております。

成功確率の高い『問題解決の基本手順』

 手順1問題を把握する:観察
      自分が、グループが解決しなければならない問題を明確にする。
       ※発生している現象や状態の事実(ファクトベース)を、4直4現主義で調査します。できるだけ数値化して、率直に表現する
        こと。背景や原因を問題とは言いません。
       ※「直ちに現場で、現人を、現物を、現時点で」が4直4現主義

 手順2原因を分析する:分析
      問題がなぜ起こっているのか、その原因や背景を分析する。
       ※原因はできるだけ沢山だします。そして、それぞれの因果関係を整理して、重要な原因との相互関係を明らかにします。

 手順3対案を列挙し整理する:判断
      その状況のもとで考えられる解決策を、できる限り列挙します。
       ※先入観を排除して、できるだけ沢山だします。
       ※これからの課題に取組む時は、必ず仮説を立てます。

 手順4比較選択する:判断
      列挙した各対案の長短を比較し、その状況に最も適した有利な実行案をひとつ選択します。

 手順5選択案の実行計画を立て、全体をチェックする
      対案を実行に移す手順を、順序だてて具体的な計画にします。
       ※6W3Hを動員します。それが、具体化の鍵です。

 手順6計画に沿って、実行する

 手順7定期的に、進行状況を検証して歯止めを設ける
                                                      (2015.6.20記)

エッセイ96:プロセスは結果の根源

 最近、私の中では、プロセス重視の姿勢が、以前にも増して強くなっているように感じています。今回のエッセイは、そのプロセスと結果の関係性についてつぶやいてみます。

プロセスは結果の根源

 この数年、いやこの10年間、最終結果にそれほど興味が湧かなくなってきたように思います。だからと言って、目標必達魂が衰えているわけでもありません。スポーツであれば、贔屓のチーム、応援する人の勝利を喜び祝福するのは当たり前のことです。仕事であれば、企画立案した取組みやイベントの成功に向けて、目標の達成に向けて全力投球することに変わりはありません。しかし、以前に比べて、結果以上に心が動かされる関心の在処が存在するのです。
 成否が何であれ、原因と結果の相関関係を自分なりに考えて、さらに結果の原因を結論づけて総括することに楽しみを覚えるようになったのです。結果の原因は、計画から始まって実行し終わるまでのプロセスの中に存在します。そのプロセスにこそ大いに興味をそそられるのです。納得のいくプロセスを企画し、そのプロセスを誠実に実行したのであれば、結果が何であれ共感を覚えるのです。失敗であっても、そのプロセスから次の手を学ぶことができるからです。
 MLBマイアミマーリンズのイチロー選手は、スターティングメンバーの場合は当然として、ベンチスタートであろうとも、いつでもスタンバイできるように、常に同じスタンスで同じ質量の準備をし終えてから、その日の試合に臨むそうです。その積み重ねの結果が、数々の記録(業績)となって表現されているのだと思います。それが多くの方々の評価なのです。さらにファンの心を捉えているのが、40歳を過ぎても怪我をせずにパフォーマンスを維持していることへの畏敬の念でしょうか。イチロー選手の偉大な成績(結果)は、日々の丹念な準備(プロセス)があって実現していることの証しと言えましょう。
 
 結果ばかりに目を奪われてしまい、目先の対応に血眼になっていると、肝心の根本的な問題解決能力が身につかなくなります。結果に対する原因分析が自律要因ではなく、他律要因が中心になってしまい勝ちです。そのような事態を何度も経験し、何度も見てきました。
 プロセスに目を向ける人は、他律要因の分析もしながら、失敗の原因を他律要員のせいにはしません。先ず、失敗の原因を対自分自身に求めます。自律要因を徹底的に調べます。掘り下げて考えます。自律要因からつぶしていきます。
 もう少し具体的な問題解決プロセスに落とし込んでみましょう。

 結果とともにプロセスに目を向ける人は、問題解決の基本手順であるPDCAサイクルを回している人です。自ら考えて意思決定し、自ら実行する人なのです。自力でスパイラルアップできる人あり、自己啓発に長けている人です。また、失敗から学ぶことができる人ですから、気がつけば学習能力が高いと評される人でもあります。そのような基本的仕事遂行作法が躾化されていますから、的確な状況対応や応用によって対処することができる人なのです。
 今回のエッセイは、“結果の原因はプロセスにあり”をつぶやきながら、結果とプロセスの両輪を重視する人の特長も考えてみました。次回は、プロセスを重視した根本的問題解決の手順をご紹介したいと思います。

                                                                     (2015.6.15記)

エッセイ95:甲子園球場の土を持ち帰らなかった花巻東ナイン

 8月は、この時期にこそ考えなければならないテーマ、考えるために知っておかなければならないテーマが、目白押しの月です。そして、それらの多くは非常に重たいテーマになります。ポツダム宣言受諾、第二次世界大戦(太平洋戦争)終結、広島・長崎の原爆被曝、日航ジャンボ機墜落事故(御巣鷹山) ・・・・・・ 。
 夏休みは、このような重いテーマを知るために、そしてキチンと向き合って考えるために存在しているような気がします。その本質を知り、核心に迫って考えるために、長い期間が付与されているのではないかと思えてきます。
 また、地球温暖化の影響でしょうか。異常気象への対処や熱中症などの体調管理にも気を遣わなければならない毎日が続いています。
 一方、夏の風物詩として定着した全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)は、今年で百年の歴史を刻みました。その節目の第97回大会は、神奈川県代表の東海大相模高校が二度目の優勝を果たしたのでした。
 余談ですが、岩手県代表チームが神奈川県勢と対戦したのは、過去に6度あったとのことです。常に優勝候補の一つに挙げられます激戦区の神奈川県代表ですが、岩手県代表校に勝利したことが一度もないのだそうです。そのような結果に驚きながら、筋書きの無いドラマの不思議さを感じます。昨年もそうでした。盛岡大学付属高校の甲子園1勝は、昨年も優勝候補の東海大相模高校から勝ち取ったものでした。今年も、かなりの試合をテレビ観戦しました。企業内教育における人材育成という範疇で、高校野球から学ぶことがキラ星のごとくあるからです。
 学生にとっての夏休みのもう一つの意義は、“自分自身の興味を拡げる”、“未熟な点を補強する”というように、自主的な成長取組みが可能であるということではないでしょうか。しかし、どう活用するかは、一にも二にも一人ひとりの自主性にかかってきます。だからこそ、事前の計画性と地道な積み重ねが、重要なキーポイントになります。結局、基本は学びも仕事も同じなのです。
今回のエッセイは、夏の甲子園大会に関しての私見になります。
 
甲子園球場の土を持ち帰らなかった花巻東ナイン

 一昨日の決勝戦は、悲願といわれる東北勢初の全国制覇が達成しそうな試合でした。しかし、東海大相模は、昨夏の1回戦負け(岩手県代表の盛岡大付属と対戦)を教訓として、何が起きても大丈夫なように備えてきたそうです。日本一になるために、1年間かけて用意周到に厳しく取組み、基本を大事にした練習を積み重ねたそうです。ですから、観客を味方につけてしまった仙台育成に同点に追いつかれても、落ち着いたプレーで乗り切った東海大相模の強さが際立っていました。全てが想定内だったのです。ボーイスカウトのモットーである「備えよ常に」、仕事の進め方の基本である「PDCAサイクルのスパイラルアップ」、「段取りのうまさと準備万端整える」は、どの世界でも通用する黄金律であることを、改めて気づかせてくれたのでした。
 それにしても、負けてしまえば終わってしまう高校野球では、何故に数え切れないほどのドラマが生まれるのでしょうか。それらのことを、つくづく感じた夏になりました。

 岩手県代表・花巻東高校は3回戦まで勝ちあがりました。日本一を合言葉にして臨んだ今夏の成績は、準優勝の仙台育英に4対3で惜敗し、結局2勝1敗でした。8回出場した通算成績は10勝8敗と勝ち星が上回っています。ちなみに、岩手県代表チームの夏の通算成績は34勝73敗1分けですから、花巻東ナインが毎年発する「日本一になりたい」という強い思いは、単なる夢物語という3文字を感じさせなくなりました。
 私が花巻東に興味を抱くようになったきっかけの一つは、レギュラーのほとんどが岩手県内出身者であることです。多くの私立強豪校の場合、県外出身者のレギュラークラスの比率が高いように思います。花巻東の場合は、それがチーム方針なのでしょうか。ずっと変わりありませんね。
 その是非を問うつもりはありませんが、高校野球が郷土愛を感じる機会でもあることからか、花巻東の実態と活躍は、いたく私の贔屓心を刺激するのです。そしてこのチーム方針は、あの北の鉄人といわれてラグビー日本一7連覇を果たした新日鉄釜石ラグビー部とダブってくるのです。地元の高校出身選手育成を柱の一つとして、チーム強化を図っての7連覇でした。そうするいくつかの理由があったのでしょうが、その考えはチーム草創期(富士製鉄釜石ラグビー部時代)から変わりなかったようです。時代と競技そのものが異なりますから新日鉄釜石と花巻東を対比できませんが、限られた人的資源と組織環境の中で、出来る限りの知恵を搾り出してチーム強化方針を練り、方針実現のための戦術を具体化して実行し続けた結果なのです。このことは、企業の人材育成にも相通じることです。同じ視点で論じることができると思うのです。

 8月16日(日)の試合終了後、応援団に一礼した花巻東ナインは、三塁側ダッグアウト前で用具の片づけを始めました。テキパキと短時間で済ませた後は、整列をして退場の指示を待っていました。多くの敗戦チームのナインは、ベンチ前の甲子園の土を持ち帰ります。これも甲子園大会の風物詩の一つです。しかし、テレビ映像からの判断ですが、花巻東ナインは誰一人、甲子園の土をかき集めた様子はありませんでした。翌日の岩手日報に、そう報じられていましたので、間違いないようです。土を持ち帰ることの是非はさておいて、花巻東ナインの姿勢に対して大いに感じるものがありました。
 甲子園の土を持ち帰らなかったという彼らの姿勢から、過去にとらわれることなく、過去に縛られることなく、大いに羽ばたくであろう可能性の予感がしたのです。これからの長い人生においては、野球以外のことで多くの艱難辛苦が待ち受けているでしょう。羽ばたく日がいつであるかは、一人ひとり異なるでしょうが、思いっ切り飛翔する日が成就することを祈りたい気持ちが支配したのです。翌日の準々決勝で惜敗した沖縄興南高校ナインも、誰一人土を持ち帰った様子はありませんでした。両校選手の姿勢から、人間教育のあり方、倫理教育のあり方の根幹となるヒントが潜んでいるようにも思いました。
 このことは、チーム指導のあり方の帰結とも言えそうです。監督や部長の育成方針やそれまでのチームの歩みを知るにつけ、関わる指導者の地道なパーソナルインフルエンスの産物であることが明らかです。そこから、私の関わる業種の世界では、企業内教育担当者の育成こそが喫緊の最優先課題であることを、相変わらず強く感じております。相応の人生経験と実務経験を積んだ正社員を、10年かけて教育担当として一人前に育成する覚悟を持って実践している企業が、もっと増えて欲しいと思います。人事や人材育成担当者は、片手間や小手先のやり方では育たないのです。
 そのようなことを学んだ夏でした。
                                                          (2015.8.22記)

エッセイ94:「こんにちは、赤ちゃん」そして・・・

 日本においてテレビ放送が始まって60数年になります。
 昭和28年(1953年)2月1日に、NHK(日本放送協会)が本放送を開始したのです。同年8月28日には、民間企業として初めて日本テレビが放送を始めました。さらに、昭和31年(1956年)12月にNHKでカラー放送の実験が開始され、2年後の昭和33年(1958年)12月23日には、東京タワーからの放送がスタートしております。
 私がテレビなるものに始めて出会ったのは、確か小学校高学年でした。定かではありませんが、昭和33年(1958年)前後だと思います。盛岡市でも視聴できるようになって、テレビジョンなるものが、私の生家の茶の間に鎮座したのでした。知り合いの人たちも集まって、一緒になって驚きの声を上げ、瞬きも忘れて笑顔で画面に釘付けになっていた記憶が、今でも残っております。
 日本経済が急成長し始めた1950年代後半からは、いわゆる家電製品が普及し始めたようです。特に、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3品目は『三種の神器』と呼ばれ、新生活の象徴として持てはやされた時代です。
 テレビの話に戻しましょう。
 その当時、子どもの私にはテレビ電源を入れる権限はありませんでした。放映時間も限られていましたから、何時間も見続けられるような状況でもありませんでした。そのような中で、今でも忘れられない番組があります。その一つが、バラエティの原型とも評される『夢であいましょう』というお洒落な大人向けの番組でした。私が高校生時代の話ですから、勉強の合間の頭休めと言い訳をしては、家族の寝静まった22時からの30分間に熱中しました。
 面白かったショートコントの合間のジャズ風演奏、内外の曲の歌唱は楽しみでした。特に気に入っていたのは、今月の歌というコーナーでした。これを聴きたかったのが一番の理由ではなかったのか…、最近になって思えてきます。
 今回のエッセイは、『夢であいましょう』の今月の歌の中で、特に思い入れの深い曲からスタートして、私の大好きな曲で子々孫々にまで受け継いで欲しい曲、そしてその理由を呟きたいと思います。あの「故郷(ふるさと)」(高野辰之・作詞/岡野貞一・作曲)のように、皆で唱和できる親しみやすい心の温まる曲ばかりです。
 それにしても、“夢であいましょう”をご存知の方は、還暦どころか古希を過ぎた方々になりました。

「こんにちは、赤ちゃん」そして…

 69歳間近の私が、ずっと歌い続けたい曲、未来永劫歌い継がれて欲しい曲があります。その数は二桁に達することでしょう。
 前文で取りあげました『夢であいましょう』の今月の歌は、共に早稲田大学卒の永六輔さんと中村八大さんの六八コンビの作品です。永さんの和やかさと優しさを醸しだしてくれる詞に、ジャズピアニストの中村さんが心にスーッと浸み込んでくる曲をつけるのです。
 アメリカでも大ヒットした九ちゃん(坂本九さん)の代表曲「上を向いて歩こう」、サブちゃん(北島三郎さん)の「帰ろかな」が有名ですが、私の推薦曲は「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよさん)、「おさななじみ」(デューク・エイセスさん)、そして番組オープニングのテーマ曲「夢であいましょう」(坂本スミ子さん)の3曲なのです。
 それぞれ歌詞の雰囲気も曲想も異なりますが、三様の味わいに心が潤ってきます。時を経る毎に、その思いは強くなりました。その中の私の一押しは「こんにちは赤ちゃん」です。
 赤ちゃんの笑顔、泣き声に対して呼応する“はじめまして 私がママよ”のご挨拶、そして小さなお願い、…… 。今の世の中にこそ、そして何百年先までも、家族全員で唱和したい歌です。ママのお腹で、愛情イッパイに大切に育まれ、オギャーと産声をあげくれた赤ちゃんに、Sotto Voce(小声で囁くように)で構わないから、関わってくれる一人ひとりが温かい眼差しで唱和したい祝福と愛情と大歓迎の歌なのです。それぞれが、“はじめまして 私がパパ…”、“… …ババ…”、“… …ジジ…”…と。
 ちなみにこの曲は、八大さんの第一子誕生をヒントに、パパの心情を歌詞にしてご本人にプレゼントされました。今月の歌では、歌い手が女性であったことなどから、ママの心情に置き換えたそうです。
 『夢であいましょう』以外では、同じ永六輔さんの詩に、いずみたくさんが作曲した「見上げてごらん夜の星を」も大好きな歌です。気分が落ち込んでいる時、スランプでチョッピリ自信喪失の時などに、心を調えてくれそうな作品ではないでしょうか。
 “小さな星の小さな光が ささやかな幸せをうたっている”、そして“ボクらのような名もない星が ささやかな幸せを祈っている”という、等身大の祈りの曲のような気もします。
 坂本九さんの歌では、「さよなら さよなら」が一番のお気に入りです。東京薬科大学合唱団時代に、男声カルテット(四重唱)用に私が編曲をしました。卒業間際に、最上級生によるフェアウェルコンサートがありました。その後の送別会の席上、アンコールとして歌った思い出深い曲です。作詞がマイク真木さん、作曲は中村八大さんです。
“君に会えてよかった”こと、“とっても楽しかった”こと、“もっともっと歌いたかった”こと、“いつまでも元気でいて欲しい”こと、“いつまでもいつまでも忘れない”こと… 。
 Ddur(ニ長調)のModerate(音楽記号で、“中くらいの速さで”の意)が原曲ですが、途中からESdur(変ホ長調)に転調するという編曲にしました。その時の感性が、自然にそうさせたと思います。
 男声四重唱は憧れの一つでした。そのきっかけは、“夢であいましょう”で聴いた、デューク・エイセス(男声カルテット)の「ドライボーンズ」だったのかもしれません。Fから半音ずつ八音上がってCへ、そしてCから半音ずつ下がってFに戻るという見事なハーモニー移動は、鳥肌以上の感覚でした。人間の声でこんなことが出来るのだ!という感嘆でしょうか。
 何やら限がなくなりそうな予感がしてきました。もう一つだけに紹介させてください。
 それは、昭和50年代後半放映された『まんが日本昔ばなし』のエンディング曲「にんげんっていいな」です。山口あかりさんの作詞、小林亜星さんが作曲しました。
 熊の子が見ていたかくれんぼで“お尻を出した子 一等賞”、モグラが見ていた運動会で“びりっこ元気だ 一等賞”で始まる1番と2番の歌詞。“何じゃこりゃ?”、と想像力への誘いでしょうか。それとも、感性を刺激しようとの企みでしょうか。最初から惹かれます。
 そして、“ゆうやけこやけで またあした”、“ぼくも帰ろ おうちに帰ろ”、“でんでん でんぐりかえって バイ バイ バイ”でthe ENDになります。
 これらの曲は、私の個人的好み以外の何ものでもありませんね。独り善がりで申し訳なく感じております。以下、私の見解を申しあげて、“でんぐりかえって バイバイバイ”といたします。

 私が選びました、ずっと歌い続けたい曲、未来永劫歌い継がれて欲しい曲に、いくつかの共通点があると感じております。
 一つは、“田舎のおじいちゃんとおばあちゃんが、木綿のような雲に座って、温かい眼差しでひたすら見守っている”、そんな光景が歌全体を包んでいることです。喜びと楽しみに対する感謝があります。哀しみへの労わりがあります。喜怒哀楽の怒はありません。
 もう一つは、全てが賛歌なのだという感覚です。
 先ず人間賛歌が根底に流れています。次が、家族賛歌家庭賛歌です。そして、身近な幸せ賛歌小さな思いやり賛歌、さらに有難う賛歌と続きます。詩と曲の織りなす縦糸と横糸が、阿吽の呼吸で賛歌を誕生させている、と感じさせてくれるのです。
 そして、これら潮流は、小さな灯火ですが、着実に点り継がれている実感もあります。
 さらに、このエッセイを書きながら、いのうえ塾新入社員導入研修ノートのある1ページを思い起こしております。「人は人づれ 木は木づれ」というタイトルのショートエッセイです。

                                               (2015.6.10記)

エッセイ93:「考えるとは?」を、行動レベルで考える

 5月3日は、国民の祝日の一つであります憲法記念日です。
『国民主権、平和主義、基本的人権の尊重』を基本理念とした日本国憲法が、昭和22年(1947年)5月3日に制定されました。私が生まれて約7ヵ月後のことです。「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」という趣旨のもと、翌年の5月3日から国民の祝日となったのでした。
 法治国家である日本において、全ての法律の基盤となるのが日本国憲法なのだそうです。“なのだそうです”とは、何とも情けないお話ですが、そのことを最近学びました。改めて学びました。国政では改憲論議が活発化しております。改憲の是非を問うアンケート調査結果が、盛んに報道され始めております。これまた情けないお話しになりますが、今の私には自信を持って回答することができません。「改憲か」、「護憲か」という前に考えなければならない、それはそれは高いハードルがあるのです。その高いハードルとは、私自身がどれだけ日本国憲法を知り理解しているか、という大命題のことです。
 ある方はこう言われました。「改憲、護憲の前に、先ず知憲」と。
 義務教育から始まって、高校そして大学において、日本国憲法を真剣になって学んだ記憶が皆無に等しいのです。大学時代は薬事関連法規の勉強はしました。社会人になってからのある時期は、独占禁止法、景表法、大店法などの流通に関する法律の勉強もしました。その時々の仕事遂行上、必須だったからです。それらの法律に則った仕事が行われなければならないからです。もう少し法というものを掘り下げてみると、それらの法律の根底に流れている理念は日本国憲法であって、薬事法や薬剤師法の本質を理解するためには、先ず憲法を学ぶことが避けては通れない前提要件になってくるのです。そうであるならば、毎年の薬剤師国家試験の問題として、日本国憲法から2問は出題するべきではないかと思えてきます。薬剤師にとっての倫理観の土台として、薬剤師倫理規定とともに、日本国憲法にこそ本質的意味が隠されていると思うのです。以上、私の呟きでした。
 今回のエッセイは、考えるという行為を考えてみましょう。

「考えるとは?」を、行動レベルで考える

 とにかく便利な世の中になりました。
 コンビニエンスストアでは、そのお店の取扱商品であれば1年365日24時間購買することが出来ます。いつでも入手可能ですから、買い置きの必要がありません。何らかの事情でも無い限り、必要になった段階で買いに走れば事足りるでしょう。事前にあれこれ考えなくても、日常生活に支障をきたすことはあり得ない環境下にあるのです。流通企業にとって、生き残り策の一環としての利便性追求は更に激化していくことでしょう。
 そのような中での私の心配事は、便利さが進展すればするほど、全身を使って考える必要性が減っていくことです。別の言い方をすれば、思考停止を招きかねないことです。それ以上に恐ろしいことは、そのことに気づかないばかりか、日常生活における問題意識が低下してしまうことではないかということなのです。
 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言います。大騒ぎしたことが教訓として生き続けて、備えを疎かにしてはいけないことへの格言なのでしょうが、苦かった出来事がいつの間にか忘れ去られてしまうのも現状です。「人の噂も七十五日」の通り、特に他人事であれば、時の経過とともに多くの出来事は消え去っていくのです。だから、それは人間の生理的現象と認めた上で、“忘るべからず。考え続けるべし”と、言い聞かせたいのです。

 つくづく思います。考えるという行為が少なくなってしまいました。
 考える余裕がなくなっているのでしょうか。考える必要性を感じなくなったのでしょうか。考える必要性が亡くなりつつあるのでしょうか。はたまた、考えることが拒絶される場面が多くなっているのでしょうか。
 想像の羽を広げることは異端児なのでしょうか。感受性も、好奇心も、そして問題意識も、厄介者なのでしょうか。
 少々気落ちしながら、“考える”ということを行動レベルで表現してみました。

       足考:行動することは、足で考えること。
       手考:メモすることは、手で考えること。
       口考:言葉に感情を添えて表わすことは、口で考えること。
       目考:観察することは、目を凝らして考えること
       頭考:感じること、疑問に思うこと、興味を抱くこと。
          そして、掘り下げること、組み立てること、深化させることは、
          頭を使って考えること、脳で考えること。
       耳考:傾聴することは、耳を研ぎ澄まして考えること。
       指考:温もりや肌触りを感じることは、指先を使って考えること。
       顔考:思いや情緒を表情に表すことは、顔全体で考えること。
       心考:相手の気持ちを想像することは、心を使って考えること。
       書考:書き表すことは、言葉に魂を添えて考えること。

 こうやって問題意識を整理整頓してまとめ直してみれば、考えるという行為の巾の広さが見えてきます。これらの「○考」は全て考える行為だと思えてくるのです。この「○考」をシッカリと認識しながら、日々全身で考えるという行為を実行することは、脳活性化の自己動機付けになります。何故なら、ちょっと意識してその気になれば、○考の機会は身の周りに散らばっているからです。ステレオタイプが巾を利かせている昨今、考えることの意義、考える行為の実例を啓発するとともに、問題意識を高める行為の実践を奨励し続けたいと思います。

 最後にひと言。
 本文の冒頭で申しあげた便利さを、否定している訳ではありません。決して、悪者扱いにしているのではありません。エッセイ88回(町の電器屋さんと在宅医療の共通点)で取りあげたように、多くの高齢者にとって便利さは非常に有難いものです。便利さのニーズは十人十色で異なりましょうが、自力での生活が難儀になってくる年代にとって、お節介と思えるほどの便利さに縋り付きたくなる場面が出てくるのです。このことは、69歳を目前に控えた私の実感です。加齢現象を意識することのなかった年令では、全く思いもしなかった実感なのです。想像できなかった実感なのです。
                                                   (2015.5.30記)

エッセイ92:新社会人のスタートは不易の基本修得から

 食事の時の素晴らしい挨拶言葉が、二つもあります。どなたもご存知であり、当り前に発している言葉でしょう。二つともに心の底から発したい言葉です。
 それは、食事の前の「いただきます」と食べ終わった時の「ごちそうさまでした」です。その食後の「ごちそうさま」の意味を考えてみたいと思います。
 「ごちそうさま」を漢字で表すと「御馳走様」になります。その「馳走」は、本来“奔走すること”、“走り回ること”を意味します。
 昔は、大事な来客をおもてなしするために、遠方まで馬で走り回って食材や獲物を調達して食事の用意をしました。そのような命がけの働きに対する「有難う」という感謝を表す言葉として、「御」と「様」がついて「御馳走様(ごちそうさま)」という丁寧語で使われるようになったようです。  
 食事の挨拶用語の意味を調べながら、新年度スタート時期にあたります3月と4月のビジネス誌や新聞紙上には、新社会人向けの特集記事が多いことに気がつきます。その内容についての一考察です。

新社会人のスタートは不易の基本修得から

 企業における人材育成の仕事に携わっている限り、ビジネス誌であれ新聞であれ、社員教育や人事制度に関する記事に対して敏感に反応してしまう行動パターンは、これからも消えそうにありません。また、日本能率協会、日本生産性本部、産業能率大学などによる意識調査は、30年も前から気にかけてチェックをしております。リタイヤ後も変わっておりません。
 前文で申し上げました新社会人向けの特集記事は、目を通してハイ終わりではなく、必ず微妙な変化を読み取ることに頭を使います。数年ぶりに新卒新入社員研修がなかったこの4月は、新社会人向けの記事内容を、時間の許す限り分析することにしました。余裕のある時に、今後の進め方や教材内容の見直しに結び付けようという思惑なのです。
 “新社会人に望みたいこと”、“働く上で重要なこと”、“新しい職場になじむために”など、概ね似たり寄ったりの見出しが多いように感じます。中には、“職場にいる使えない社員の特徴”というようなマイナス表現のタイトルもあるようです。新入社員とっては、反面教師として捉えることが出来そうです。
 内容に目を移してみると、ランキングで表わしたり、図表を用いたり、理解しやすい工夫を凝らしていることが目に留まります。身だしなみから始まって、挨拶、言葉遣い、報連相やPDCAサイクルなどの仕事遂行上の基本、そして公私にわたる行動姿勢や心構えのあり方にいたるまで、そうする理由も添えて詳細に方向づけがされています。
 ここからが私の呟きです。
 それらの内容は、正しく「不易流行の不易だなぁ」という肚の底からの実感です。30年近くの間、ずっと変わることなく、いのうえ塾新卒新入社員研修の幹をなしている部分なのです。その時々の状況に応じて、強調し力を入れる箇所に僅かな違いはありますが、根幹となる育成ニーズは変わっていないのです。
 一方、気になることは、そして正確に把握しておくべきは、毎年同じように叫ばれ続けている基本教育の現実の姿がどうなっているのかということです。半日程度でお茶を濁しているように感じる現状、社員の躾を外部講師に委ねて満足している現状で良いのでしょうか。それらは、本気で社員を育成しようとしている姿なのでしょうか。ちなみに“いのうえ塾”では、ビジネスマナー修得に24時間以上を費やしております。ビデオ学習、ロールプレイング、複数回の理解度確認テストもやります。都度、試行錯誤しながらの産物です。
 新卒新入社員教育の柱の一つは、千載不易と位置づけられる全職種共通のビジネスパーソン基本スキルの修得でなければなりません。出来るという技能レベルに達するまで愚直に実施するべきと、つくづく感じ入っております。
                                                                        (2015.5.2記)

エッセイ91:入社式では企業理念の本質をシッカリ語る

 4月2日付けの新聞には、毎年恒例の記事が掲載されます。主な有名企業の新入社員入社式でのトップの声の要旨です。
 激励の言葉は当然として、現在の経営環境下での期待したい行動指針が強調されることが多いようです。将来を背負ってくれる新入社員への期待度が、非常に高いからでしょう。
 その様子を想像しながら、私には以前から気になっていることがあります。当り前の基本が見過ごされている世の中になったと感じられることが、根本的要因なのかもしれません。それが企業経営にもいえる現象ではないか、と思えてくるからです。私が気になっている内容は、マス媒体の報道で知り得たほんの一部がもとですから、間違った指摘になるかもしれません。その場合は、一見解として受け止めて頂きたいと存じます。
 今回のエッセイは、その気なっていることをつぶやきます。

入社式では企業理念の本質をシッカリ語る

 昨年と今年、さらには10年以上も前の入社式での社長訓示の報道内容を見比べております。
 過去一年間の業績、経営環境の実態によって、その内容や厳しさに差が生じてくることは当然のことでしょう。それを除きますと、具体的内容は業種や会社によって異なってくるのでしょうが、根っこの部分は概ね似たり寄ったりの内容ではないかと思えてきます。求められる能力や行動姿勢、現状を打ち破るための行動指針、具体的な仕事の進め方と取り組み方など、これから始まる新入社員研修でも触れられるであろう内容が中心のような感がしないでもありません。
 内容は別にして、社長の生の声を直接拝聴できる機会は、年に数えるほどしかないかもしれませんから、新入社員にとっては心の高ぶりが半端ではないでしょう。それだけ、貴重な時間なのだと思います。
 一方、企業倫理が問われる事態が相も変わらず飛び込んできます。“エーッ、あの企業が……”と言われるような有名企業も例外ではありません。だからと言う訳だけではありませんが、経営トップの口から新入社員に対して必ず語って頂きたい内容は、不祥事など起こさない企業の存在意義に関わる“根源的な何か”ではないでしょうか。私が言及したい“根源的な何か”とは、社是・社訓も含めた企業理念の核心のことです。
 先ず、“企業理念とは何か?”についての私見から申しあげましょう。
 企業理念は、『企業の根本的な存在理由や存在意義』を表わし、『時代の流れや時空を超えた、企業経営に対する普遍的な価値観であり、揺ぎ無い信念と行動原理』ではないでしょうか。
 存在理由、存在意義という視点でもう少し掘り下げてみれば、企業の目指す方向や事業領域を表わし、意思決定の価値基準・判断基準となります。行き詰まった時に帰るべき原点は企業理念、と言われる所以でもあります。さらに、日々の仕事遂行の行動規範としての社員共通の哲学であったり、時には社外へのメッセージという役割も担います。全ての企業業活動の源泉にもなります。正に、企業文化の中核と言えるのではないでしょうか。
 企業経営の普遍的価値観であり、揺ぎ無い信念と行動原理を表わした企業理念を、その意味する本質的側面から始まって、自社の具体的理念の詳細を、将来の企業を背負って立つ若人に対して、経営トップ自身が、滔々と熱く、朗々と高らかに語って頂きたいのです。さらには、企業理念の番人になることも、強く訴えかけて欲しいと思います。そしてこの訓示は、新入社員だけではなく、従業者(経営陣も含めた社員全員)に対する本気度を表明する一番の機会なのです。自社の存在意義に関わる“根源的何か”を語ることこそが、何よりの歓迎表現であるべきだと強く思います。
 入社式後に始まる新入社員研修では、教育担当者からレクチャーされるのでしょうが、企業理念が企業経営の根っこであり幹であるからには、経営トップがその意義と意味を直に語るべきです。それこそが企業不祥事の一番の防止策であり、ステイクホルダーに対する誠実な企業経営の公約宣言になると確信しているのです。
 入社式において企業理念の本質を真剣に語ることを、大小を問わず、全ての会社で実践されることをいつも願っております。
                                                  (2015.4.15記)

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