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エッセイ146:井上君は、「如才ないね」、「スルメだね」

 平成29年(2017年)のスタートエッセイ128回で、今年の強調したいテーマとその理由の一端を披露しました。そのテーマは「心構えが変われば言動に表れる。言葉と態度が変わる」です。
 きっかけの一つが、「激しい言葉は、sanndaru激安その人の主張の根拠の薄弱さを示す」というヴィクトル=マリー・ユーゴー(フランス/詩人・小説家・政治家)の至言&諫言でした。この何年かの間、どなたとは申しませんが、プロパガンダ風の激しい言葉の氾濫が気になっております。また、誰にだって可能な結果に対する理由の後付けをして、したり顔(今流で言えば、どや顔か?)気取りで済ましてしまう様子に、問題意識がざわついてしまうこともあります。さらには、氾濫する情報の内容を吟味せずに信用し、或いは理解しないまま安易にコピペしてしまう風潮に対する危機感が、私の中ではかなりの頻度で自然発生し続けています。全ての原因は、心構えにあるのです。
 強調する場は、シュプリーム ヴィトン 財布 偽物私が企画し運営する教育機会だけではありません。それ以上に、私自身に対する自省的&自制的&自己啓発的意味合いが強いように感じています。ここ数年、“私の心構え(行動理論・行動姿勢)と言動の因果関係を、キチンと検証しておきたい”という思いが、時々顔を出すようになりました。最近では、後悔することもあった(かなり遠い昔からの)私の言動について、その原点となる心構えが何であったのか、時間を割いて総括しておきたいという物静かな意欲が、日々強くなっているのです。それらが、私の現在の姿に影響を及ぼしたと納得するようになったからでしょうか 。或いは…………… 。
 人によっては、“だから何なのさ”と感じられるでしょうが、より正直に、より謙虚に、より客観的に己の心構えと言動の因果関係を看脚下すれば、これからの人生の生き方(私の場合は残りの人生の生き方)を見直すヒントや着眼点が見えてきます。心が解(ほぐ)されて耕されるような感触を味わうことができそうに思えるのです。それは、(ある年令に達すれば実感されるであろう)心的余裕がもたらしてくれたご褒美と決めています。そして、キチンと心を調(ととの)えて、それまでの人生と向き合うこと、肝心な場面においては、年相応の雰囲気を醸し出すことができる存在でありたい、という思いが強くなってきました。だからでしょうか、自分自身との対話、率直な自問自答の対話は、年を重ねるほどに奨励したいと考えるようになったのです。
 今回は、私のある時期のお話しになります。恐縮至極の体での呟きですから、興味を持てない方には、パスして頂きたくお願い申しあげます。ゴメンナサイ。 

井上君は、「如才ないね」、「スルメだね」

 「相手の立場に立って考える」、「相手:自分=51>49」は、いのうえ塾のカリキュラム編成や運営において根幹となる理念であり、同志や仲間には掘り下げて考えて欲しい行動理論となりました。しかし、それらは“言うは易し、but 行うは(超)難し”の代表例なのです。そのことを十分承知しながら自問自答したいと思います。

 先ず、“行うは、超がつくほど難しい理由がどこにあるのか”から考えてみましょう。
 理由の一つとして考えられるのは、自身のことすら覚束ないのに、相手のことを考えることなんて所詮無理、という意識ではないでしょうか。その意識は本音かも知れませんが、それでは思考停止で終わってしまいます。そこで私は“相手のことを考えることは無理かもしれない。非常に難しいことだ”と認めた上でスタートする、と考えるようになりました。意識の問題は、乗り越えなければならない重要なポイントであり、行動結果に大きく影響する分岐点だと思います。
 意識の問題をクリアしたとして、次のような関門が待ち受けています。
「相手の立場に立って考える」ということは、“どのようなことを、どのような視点で、どのように思考するのか”、“考えて意思決定したことを、どのような形で言動として表すのか”など、その都度悩まされることがいくつも出てきます。真面目に追求すればするほど、手探り状態からのスタートになるのです。弱輩であった時代(今でも弱輩と認識していますが)には、言葉の表面上の意味は認めても、具体的な行動レベルは雲を掴むが如きのことが多かったと記憶しております。古希を過ぎても、立ち止まって考えることが多々あります。いつだって、相手の数と同じだけの対応が迫られるからです。画一的な対応策は通用しません。状況に即した対応が求められます。それが実態ですから、“かなりの人生経験、実務経験、それも失敗から学んだ数多くの経験の積み重ね”が、どうしても必要になってきます。“年を重ねても難しい命題”と実感しております。

 しかし、“難しいから”と言って、手を拱いて、何もしない訳には参りません。行動指針として、ある時期に「相手:自分=51>49」を提唱しました。業績主義が声高に叫ばれてからは、(残念ながら)見向きもされなくなった「相手の立場に立って考えること」を、その重要性を忘れないために考えた私自身への自戒の指針として… 。それは、15年ほど前のことでした。現実に目を向けますと、スピードや効率優先の競争社会の中では、“自分自身のことで精一杯で、相手に気配りする余裕はありません”というのが本音でしょう。言葉では理解している顧客(=相手)満足も、目の前の仕事に窮している状況下では、相手のことを気にかけることなどできそうにありません。それが実態です。自戒が出発点でしたが、ある時から、人材育成という視点に鑑みながら問いかけ続けようと決心しました。
 こんな現象も頻繁に見聞きします。何か問題が発生すれば、コミュニケーション(のあり方)の重要性が叫ばれることです。また、問題の原因の一つがコミュニケーションであることに気づいていないことも、かなりのケースで見受けられます。多くの場合、コミュニケーションのウィークポイントが傾聴(気持ちを集中して、熱心に話を聴くこと)であることからして、いかに「相手の立場に立って考えること」が疎かにされているか明らかです。さらに、コミュニケーションの問題では、いくつもの阻害要因が入り混じっていることが、“行なうは難し”になるのだと思います。いくつもの要因が絡まり合っている“実行が難しい”理由の追究は別の機会に譲るとして、「相手の立場に立って考えること」が難しいという実態は、“従事した全ての職種において共通している”というのが私の見解になります。

 話を先に進めましょう。 
 それでは、私が相手の立場に立つことを意識し始めたのは、一体いつ頃からだったのか考えてみたいと思います。このひと月の間、そのきっかけや経緯を掘り起こしてみたのですが、現時点では整理がつかず整頓できていない状態です。しかし、半世紀近くも前の実状を少しずつでも明らかにしてみると、今まで気づかなかった私の潜在意識の一端が、おぼろげながらも見えてきたように感じます。その実状を取りあげてみましょう。
 私が社会人になって3年目(1971年)ですから、46年も前のことになります。その時の職場の上司は、褒め言葉として「井上君は、如才(如在)ないね」と評していました。ある日、「如才ないって?……」と質問したことがあります。年の差が二回り近くも先輩であった上司は、「井上君のことを指すんだよ」と煙に巻かれた感の回答を頂きました。そう記憶しております。“如才ない”という響きが何気なく嫌であった私は、その意味を調べてみました。国語辞典には、“手抜かりがない”、“気が利く”、“愛想が良い”と三つの意味が出ています。その内のどれを指していたのか、今となっては確かめようもありません。いずれにしても、私に対するそのような評価を意に介していなかったと思います。当時の私は、毎月配属になる研究生(新卒薬剤師)の教育係(現在のチューター役に相当)を任されていました。思い返して想像すれば、その三つ(手抜かりがない、気が利く、愛想が良い)のバランスの良さを買われていたのかもしれません。
 また、年の近い何人かの先輩薬剤師からは、「井上君はスルメ!」と言われていました。「スルメはね、噛めば噛むほど味が出てくる。君はスルメと同じだ」と。そのことに不満はありませんでしたが、“フ~ン、そんなもんか?”程度の受け止め方だったと思います。どのように評価されていようとも、いちいち気にかけることなく、目の前の仕事に精一杯の毎日でした。
 これらの話と「相手の立場に立って考える」こととの関連に言及する前に、この機会に幼稚園や小学生時代(60年以上も前)の私のことにも触れておきたいと思います。

 幼稚園の頃から、逆らわないおとなしい、大人からしてみれば良い子だったようです。外に出ると、引っ込み思案で、何か指示されるまでは、自分からは何もしません。やるとしても最後の方で、いつも置いてきぼりをくらうような目立たない子、存在感の薄い子だったことを覚えています。また、人一倍人見知りで、人づき合いが苦手でした。実を申せば、この年齢になっても変わっていません。それ以外にも、紹介するに憚るような私の姿がいくつもありますが、今回は省略させて頂きます。
 小学校入学後も、特に変化はありません。やりたいことがあっても、欲しいものがあっても、私から意思表示することはなかったと思います。言わなかったのではなく、気が小さくて言えなかったのです。度胸の問題、覚悟や本気度の問題ですね。或いは、手のかかることは避けて、できるだけ楽をする傾向が強かったかもしれません。誰かがやりたい(或いは、欲しい)と言えば、ほとんど譲っていました。何かを決める時には、周りの意見に左右されて自己主張できないタイプで、本心ではすごくやりたくても、指名されるまでは、自分から積極的に意思表示したことは皆無だったと思います。何事においても、声に出して意思表示しなければ伝わりません。結局、分かって欲しいという思いを表さないまま、先送りするか諦めるのが日常の行動パターンでした。
 その一方では、思うように事が運ばなかった場合、気難しさが顔に出るのです。そうなると、頑固なまでの無口になってしまいます。不機嫌さで殻に閉じこもる姿は“自信の無さの裏返しであり、恥ずべきこと”と、大人になれば理解できますが、その癖から抜け出すまでに、ふた昔の時間を要したと思います。我がままで、甘ちゃんでしたね。また、こんな姿も記憶に残っています。本心は嫌なことでも、頼まれると断ることができなかった私です。なかなか嫌とは言えない人でした。
 これらをまとめて自虐的に表現すれば、気弱で意志薄弱、日和見的優柔不断、陰の薄い目立たない臆病者、時には扱いづらい頑固者だったと思います。
 小学校高学年(4年生)になって、少しだけ変化が訪れました。担当する係の仕事内容や日々の勉強は、常に褒められるほどの出来栄えでした。言われたことは、人知れず、コツコツ自力で努力していた気がします。それはやる気の問題ではなく、そうすることが私の唯一の居場所になっていたのかもしれません。特に、学級新聞の企画編集からガリ版(謄写版)刷りの経験と3年間やり通した実績は、その後の人生の各ステージにおいて、大いに役立ちました。今でもそう感じています。
 しかし、ここまで披露した多くの根本的な性格・行動姿勢は、そのまま40才近くまで変わることはありませんでした。実は、まだまだ書き足りないほどの私が存在するのですが、話をさらに進めたいと思います。

 そんな私でしたが、ある程度の年令(いつ頃だったか定かではありません)になって、私と同じような人の存在が気になり始めたのです。私の想像の世界ではありますが、「私の思いを聴いてください。私に声をかけてください。…… 」というその人たちの心の声が、聞こえてくるのです。それも、一人二人ではなく、時と場合によってはかなりの比率で … 。独りよがりの思い込みかもしれませんが、ちょっと働きかければお互い共感できそうな気がするようになりました。同類項の誼(よしみ)なのでしょうか … 。また、高校や大学のクラブ活動を通して、組織運営の難しさや対人関係の機微に触れて、チームの運営成果を高めていくための要件や着眼点を、いつの間にか意識するようになっていたと思います。
 社会人になってからも、私自身の自信の無さからくる周りのメンバーの思いを第一優先にする姿勢は、何ら変わることがなかったですね。そして、いつの間にか行き着いた先が「相手の立場に立って考える」ことでした。正直雲を掴むような課題でしたが、その時は“これで行こう”と決めたのです。それも、誰かのためとか、何かのためとか、そんな思いではなく、私にやれることは、これしかないと……。

 ここまで呟いたように、私の性格も心構えも、決して褒められたものではありません。だからこそ、時々立ち止まっては、心構えも性格も正してみることが、この世で共生している一人間として避けては通れない道だと思うようになりました。その重要性を、日々接する市井の方々の善行から教えられています。気づかないまま通り過ぎることは、もう許されない年令なのです。
 気づいたら実行です。“試行錯誤で構わないから”と肚を括って、具体的な言動を掘り下げて見直してみます。そうすれば、私の言動にも変化の息吹を見出すことができそうな気がするのです。今回の自問自答から、その都度、私に適した生き方や居場所が育まれていったことが見えてきました。幼少時代から歩いてきた道程とその理由が、断片的ではありますが知るに至りました。
 今思えば、社会人3年目に頂いた「如才ない」という評価の原点は、幼稚園・小中高大の私の自信の無さからくる臆病な消極的姿勢がきっかけとなって、少しずつ少~しずつ、相手の立場に立って考えてしまう思考習慣になっていったのでしょう。その結果が、無意識のうちに“相手に迷惑のかからないような手抜かりのない準備”をし、“相手に喜んで頂けるような気の利いた配慮”と“相手の気持ちを解す愛想”で対処していたと思います。自信が持てないからこそ、何とか克服しようと努力をしていたのです。ただひたすらに … 。また、人知れずコツコツ努力をして、これも無意識に「相手:自分=51>49」を実践していたことが、人によっては「スルメ」と感じて頂いたのかもしれません。
 部下を持つ管理職を拝命してからは、日頃目立たない人、グループワークに馴染めない人、自信のなさそうな人にも出番を作ること、私のできる範囲で可能性を引き出すこと、など努めて意識するようになりました。それも、「相手の立場に…」の産物だと言えそうです。他方、消極的とは正反対の積極姿勢であったなら、それはそれで違った景色に彩られていたことでしょう。
 今回のエッセイは、白黒を明らかにすることではありません。目的は、「私の現在の言動の故郷(心構え)を、60年以上も前まで遡って、より客観的に明らかにすること」、さらに「心構えの変遷を通して、言動がどのように変わっていたのかを知ること」、そして「その因果関係を総括すること」でした。また、私に影響を与えてくれた諸先輩、私の潜在意識・潜在能力を引き出してくれた恩師・上司を知る旅にもなりました。

 さて、気軽に呟いてはみたものの、かなりの時間を要しました。記憶を呼び覚ますことで、頭の活性化運動にもなりました。一方、内容に目を転じますと、気負いが高じてしまい、中途半端で深みの無さが露呈しております。例えば、字数は膨らみましたが行動例が不足しています。私の根本的な性格・行動姿勢の根拠まで掘り下げられていません。そのような消化不良気味を言い訳にしながら、再度恐縮至極の体で、次々回あたりで続編を考えております。そんな我がままをお許し頂くとともに、今後とも宜しくお願い申しあげます。
                                                                                                                                   (2017.7.7記)

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