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エッセイ149:「相手の立場に立つ」の私的実践例あれこれ

 私自信が惑うことなく“じりつ(自立&自律)するぞ!”と決めたのは、40才を超えてからでした。その経緯やそうなった要因の一部は、エッセイ146回と148回で紹介しております。その壁を乗り越えて以降、それまで考えもしなかった副産物が、様々な方面から届けられるようになりました。私にとって“届けられた”と実感するほどの言動が増えたということです。その一つが、「一生涯、学び続ける人(学び人・マナビスト)でありたい謙虚に学び続けます」という心構えです。だから、こうやって呟きを続けていられるのだと感謝しております。
 学ぶという意味で、“今、教育が必要な人=学ばなければいけない人)はだれでしょうか?”と問われれば、迷わずに“不惑を過ぎた大人”と回答するでしょう。不惑を過ぎた皆さんには、初心に返って(=未熟であった時のことを思い起こして)学び直して頂きたいのです。“何と、この年齢で… ”というように、情けなさを禁じ得ないような出来事が、かなりの頻度で報じられているからです。様々な事情がおありでしょうが、それまで(たとえ些少であっても)世の中を支えてきた誇りを噛みしめて、正に“道徳面・倫理面を踏み外さないように自己研鑽して欲しい”と祈りたくなることが、再三にわたってあるのです。
 確かに、成長途上の未熟な若人に対して、説教の一つもしたくなる時が、何度となくあるでしょう。私にもあります。しかし、客観的に振り返ってみれば、その姿は多かれ少なかれ私達が歩んできた姿の一部でもあるのです。ですから、40数年以上も人生経験を積み重ねてきた中高年が、子供と同じ年令の若人から蔑視されるような言動を発しては、“何をか言わんや”ではないでしょうか。そんなニュースを見聞きすることが、10年も前から気になり出しました。ここは、分別を持ち合わせている中高年として、範を示しては影響力をスパイラルアップして頂きたいのです。等身大の範囲でしかできませんが、私はそう心がけて学び続けております。その人流の生涯学習は、誰もが通るべき道であり、後輩に対しては背中で教えるべき道なのだと思います。
そこで今回のエッセイは、示範を意識しながら「相手の立場に立つ」ことの具体的行動編を考えてみたいと思い立ちました。私が試行錯誤しながら考えたことですから、賛否両論あるでしょう。だからこそ、一生学び人でありたいのです。

「相手の立場に立つ」の私的実践例あれこれ

 相手の立場に立って考える、相手の立場を考えて行動する、…… 。エッセイ146回では、“言うは易し、行うは(超)難し”の代表例として、考えられるその理由も含めて取りあげました。
 相手の立場といっても、その内容は十人十色ですから、相手の立場に立つことは、単に難しいばかりではなく、多かれ少なかれ悩ましさが付き纏います。それぞれのいくつもの立場を意識しながら、あれこれ思い巡らしては一所懸命考えなければいけません。考えるということは、自分の考えを反映させて意思決定することなのです。考えてオーライではないのです。さらに、考えた内容が受け容れて頂けるかは分かりません。全くの見当違いだって起こり得ます。相手にとって納得いかない内容であったとしても、多くの場合、波風を立てることなく“ハイ、分かりました”と成りがちでしょう。しかし、黙っている訳にはいかない場合だってあると思います。
 私は、ある時からこのように考えて対処するようになりました。チームで仕事をしている限りは、「相手の立場に立って考える」、「相手:自分=51>49」を前提の心構えとして、目の前の課題と向き合って誠実に取り組むことにしました。“誠実に”の中には、壁にぶつかっても諦めないで試行錯誤し続けるという意味を籠めております。また、ミスマッチの歯止め策として、対案に対しては、その理由を必ず添えること にしました。理由が判れば、何故ミスマッチが生じたのか明らかになり、前進する可能性が高くなるからです。
 ここからは、今回のE森のメインテーマに移りましょう。「相手の立場に立って考える。考えて行動する」ことの私の実践例、考え方例の紹介です。
 最初に申しあげておきたいことがあります。スマートにまとめあげるのではなく、私が日々当たり前を意識して心がけていること、皆さんには当たり前と感じられることの紹介になると思います。何か特別なことにチャレンジしているような内容ではありませんし、中には“全てやり通している”という自信の持てないものもあります

 先ず「整頓」です。
整頓とは、“必要なものが、決められた場所にある”状態のことを指します。世の中の殆どの仕事はチームワークで成り立っていますから、道具も資料も、チームメンバーにとって重要な共有財産となります。保管場所が決まっていますから、使用後は、決められた保管場所に必ず戻さなければ、メンバーに迷惑を及ぼすことになってしまいます。現実は、どうなっているでしょうか。
 次は挨拶に関することです。
 ハイオアシスの当たり前化は、相手の立場に立つことの基本中の基本である、と日頃から強調しています。信号機のない横断歩道で停車した私に対して、横断後に振り向いて“有難うございました”と一礼した小学生がいます。頭を下げて“どういたしまして”と目礼するのですが、そのまま通り過ぎては、その小学生の心にどう映るのでしょうか。言うまでもありませんね。余談ですが、信号機のない横断報道に横断待ちの人がいた場合、歩行者優先で停車する車の比率は1割にも満たないように感じています。それが実態でもあります。「心を込めた挨拶」は、人としての品格を磨いてくれます。それが私の信念なのです。
 席を譲られる、“どうぞお先に”と通路を開けてくれるなど、ちょっとした心遣いに対する「有難うございます」、出会い頭にぶつかる、間違いがあって何らかの迷惑をかけた時の「ごめんなさい」など、代表的な挨拶用語のハイオアシスをキチンと声に出して態度を表わすことは、相手の心の養分として吸収されるでしょう。
 顔の表情や視線にも、かなり気を配るようにしております。自然な「笑顔」は、周りの皆さんに安心感を伝播します。聴く時も話す時も、「相手の顔をキチンと見る」ことは、何をおいても忘れぬよう意識しています。そうすることで心を啓いてくれることを、何度も体験しました。
 対話する時の基本は、「傾聴ファースト」です。傾聴は、信頼と安心のコミュニケーションの基本でもあります。相手の本音を汲み取るにはこれが一番です。話す時間の倍を私の目標にしております。同じキクでも、分らないことは「訊く」ことです。推し量って考えることも必要ですが、肝心な点は「その理由も添えて質問する」ことで、何が真実なのかが明らかになるのです。
 レポートの添削、どなたかが考えた原案を依頼されて編集する場合には、次のようなことに気を遣って進めています。「筆者・考案者の文言・文章や考えは、可能な限り活かす」ことです。そのために、多くの場合は直接お会いして、考えや理由を聞き取りするようにしております。手間暇を要することは明らかですが、それを当たり前の躾だと思います。
 Eメールでのやり取りは、「即または即日が基本。遅くても翌日が納期」を厳守ルールとしています。こんな気遣いもします。私が企画・運営する会議、打合せ、研修などの教育機会の案内の発信納期は、遅くてもひと月半前を貫くことです。それ以上に、可能な範囲で年間予定計画を策定することも怠らないようにしております。そうする大きな理由の一つが、対象者の時間と心的余裕を尊重したいからです。気遣いすることに限りはありませんネ。
 何よりも大事なことは、「約束事を履行する」ことですね。時代がいかに移り変わろうとも、信頼関係樹立の一丁目一番地の座が揺るぐことは無さそうです。
 こう書き連ねていくうちに、“入社1年間で身につけたい「新23の行動習慣」”が脳裏を過り始めております。今後のエッセイで取りあげたいテーマとなりそうです。

 まだまだ出てきそうですが、話を進めたいと思います。
 これらには総じて共通することがありそうです。言動を支えてくれる行動理論、心構えに関することです。
「①私がされて嫌なこと、嫌だったことはSTOP」、「②私ならこうして欲しいこと、こうしたいと思えることは基本GO」、「③それらを基準として、相手の状況に応じて対処する」の三つは、親戚関係の間柄になります。それまでの人生経験による学習効果の産物でしょうか。反面教師として学んだことでしょうか。さらにそれらは「④他人に迷惑をかけてはいけない」、或いは「⑤世間や職場の規則や規範は遵守する」というような、希薄になりつつある当たり前の倫理的・道徳的側面の上に成り立っていることが、大前提であることを忘れてはいけないと思います。
 また、年を重ねる毎に「先ず、受け容れて考えてみる。想像する。推敲する」ことが、以前よりも自然体でできる様になりました。相手のためという思いが強過ぎて、相手の出方によっては“してやったのに…”というような独りよがりの感情が、時として溢れ出ることもあります。これは、相手の立場に立つことの悩ましい点ですが、“してやっている”感が出てくることが無くなってきました。達観できるようになったのでしょうか。

 この数ヶ月間、いつ頃から「相手の立場に立つこと」を私の生き方の柱としたのか、その理由は何かなどを追いかけ続けて、改めて思い知らされたことがあります。
 それは、考え方も性格も十人十色ですから、多様性を尊重する姿勢が基本だということです。私たちが生活している世の中には、考え方も言動も、自分とは異なる人達が存在することを、先ず認めようとする努力が、何よりも大切だと思います。もう一つは、人は一人では生きていけないことを知る、ということです。直接か間接かを問わず、どこかでお互いが助けられて成り立っているのが社会です。相見互いなのです。それらの大原則を肚に据えて向き合うことが、「相手の立場に立って考える」、「相手の立場を考えて行動する」ことの出発点だと突きつけられているのです。
 それにしても、相手の立場に立つことは、考えるほどに難しいテーマですね。時には感情が先行して、思いの伝わらないこともあります。根気が減退して気持ちが緩んだり、他にやらなければならないことが重なれば、七面倒臭くなることだって出てきます。それでも、私の限度の範囲内という注釈付きになりますが、負げることなく実践し続けたいと思います。誰彼からの評価が欲しいという問題ではなく、このことは私の生き方の問題なのです。この世に“さようなら”を告げるまで、格好良くしていたいのが本音なのでしょう。
                                                                        (2017.9.1記)

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