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エッセイ165:学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後のお話だと思います。だから…

 今年は、本格的な新社会人教育に取り組んでおります。数年ぶりになりましょうか。
 思い起こせば、昭和63年(1986年)3月下旬からの2週間が、私の人生のエポックメイキングとなりました。新社会人教育の初心と初志は、それからの5年間に凝縮されています。以来、“倦まず弛まず試行錯誤し続けてきた”と、心密かに自負しております。その時の意気込みは、現在も進行中です。年相応に、気負うことなく、特に人材育成の本質を外さないことを気にかけて、体力減退による質の低下をカヴァーしたいと思います。そして、一年間は続く今年度の新入社員教育機会から、今まで気づかなかったあり方、もっと成果に結びつきそうなやり方を、貪欲に、しかし平常心で追究したいと考えています。
 平成30年の折り返し点が見えてきました。今年の強調テーマについて、この機会に見つめ直したいと思います。取組み課題に対して意味づけするのに、奇を衒った表現に拘る、或いは苦し紛れの理由付けで済ましたことがありました。それらは、勉強不足、未熟さの裏返しなのですが、そんな初心を素直に認められるようになりました。今回のエッセイでは、強調テーマの本質を、シンプルに、平易に、しかしキチンと表現しておきたいと思います。

学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後のお話しだと思います。だから…

 先ず、今年の強調テーマの復習です。

 人間どれだけ年を重ねても、自分の知らないことがイッパイあることを、しっかり自覚しておかなければいけませんネ。その上で、日々謙虚に真摯に学ばなければいけません。
 学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから…

 “学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから…”と言われても、若輩と言われる段階ではピンとこないと思います。未だに弱輩者と自認している私ですが、超弱輩であった30歳代辺りまでは「フ~ン、……」という感じでした。意識することなく、目の前を素通りさせていたのです。そんな私が「なるほど、そうだよネェ……」と明らかに意識するきっかけになったのは、堀切和雅さんの著書「三〇代が読んだ『わだつみ』」(1993年7月初版発行・築地書館)の“あとがき”の中の一文でした。もう40歳代後半になっていました。理屈抜きで、私自身の姿が恥ずかしくなりました。それ以来、謙虚な姿勢で学ぶための時間が格段に増えたと思います。どこか半強制的だった読書も、自主的姿勢で読み耽るようになりました。今流の言い方になりますが、学ぶことが楽しくなったのはこの時期なのです。
 いつ頃だったか定かでありませんが、“こんなこと勉強して何の役に立つの?”と強く感じながら過ごしていた時期がありました。仕事遂行に自信を持ち始めた辺りだと思います。“こんなことやっても無駄じゃないの!”と決めつけて参加した教育機会もありました。そんな時は、教育機会の内容とは無関係な目の前の課題に頭を巡らし、場合によっては、いわゆる内職をしたこともありました。最近問いかける頻度が多くなった“勉強の目的は何か?”、“何のために勉強するのか?”などの自問自答とは、全く無縁な時期でした。

 何年か前から、学ぶことの意味について、私の言い方も変わってきました。“学ぶことに無駄はありません”の後に、実感を込めて付け加えて語りかけております。“学ぶことの意味が分かるのは、学んだ後なんだよね”と。この認識は、学んだことが何らかの役に立ったと実感できた時に、心の底から湧き上がるように理解し納得するのだと思います。そのようなことが一つひとつ積み重なってくると、視野が拡がる感覚、教養が身についていく感覚、人間性が深まる感覚が自覚できるようになりますさらに、謙虚、誠実、真摯などの心構えの必要性を後押ししてくれるのです。当たり前のことでしょうが、そんな本質にようやく気づいたことになります。だから、学ぶことが面白いのです。楽しいのです。苦にならないのです
                                                    (2018.5.31記)

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